二日目 「届」



「――以上で顕現届に必要な手続きは終了しました。月筆乃命様のあらゆる情報は神霊法により天照庁に厳重に保管され、裁判所の命令なしには一切の開示をいたしません。ですが神通力の項目が空白ですので、今後知ることがありましたらお手数ですが再記入をお願いいたします。神通力の明記は神霊法で定められた義務でありまして、秘密にされますと場合によっては重い罰則がありますのでお気をつけください。なにか気になることはありますでしょうか」



 何百何千と繰り返し言い続けたのだろう台詞を、受付台を挟む女性職員が噛むことなく話す。その横には職員の神様であろう毛が真っ赤な兎が鼻をヒクヒクさせながらジッとしている。



「なら聞くが、我が依巫が日常で神通力を使おうと罪にならなければ問題ないか?」



 台に乗る月筆乃命が威風堂々とした口ぶりで聞く。



「はい。神様は憲法で定められております三つの条件のみ気をつけてもらえれば問題ありません。依巫様も善良な使い方でしたら問題ありませんが、違法行為をされれば補導、逮捕がありえますのでご注意ください。力の方向性が分かれば無料の講習も実施しています」



「神通力に関しては、分からなければいつまでってことはなくていいんですよね?」


「生涯に渡り神通力を知らない方もおりますので問題ありません。ですが、神通力を明記せずに使用して罪を犯した場合、隠匿したとして重くなるのでお気をつけてください」



 と依巫より行政側にしか得のない面倒な手続きを済ませ、貫之と月筆乃命は草間市役所にある神霊課をあとにする。



「しかし屈辱じゃ。全国の神がしているとはいえ、全てをさらけ出すなど罰当たりもいいところじゃ」



 人前では体裁を保っていたが、そこから離れると月筆乃命はさっそく愚痴をこぼした。



「法律で決まってることだから仕方ないよ」


「その法律は人間が作ったものではないか。しかもそれを利用して有益な力を見つけるのが本音の目的だろう?」


「でもこの法律や天照庁があるのって『日本大災害』があったからだし、神や力の使い方をうまく使ったから今があるんじゃない? もしあのときに神様が一柱もいなくなるか無視を決め込んだら、今頃日本はアメリカの州か中国の省になってたよ」



 建前として勝手に情報開示はしないとしても、神様全般の行政を司る天照庁は秘密裏に国益になる神通力を探しては行政に就職させて優遇させている噂がある。有益とは同時に悪用されると大規模テロに匹敵するため、甘い飴を与えて管理しようとするのが狙いだ。


 しかし、行政がそんなことをしている事実は今のところなく、民間企業が行っている依巫優遇制度から派生している噂でしかなかった。



「うまく使おうと使いすぎて神通力至上主義になっては本末転倒であろう。それでは日本大災害をまた引き起こすぞ」



『日本大災害』は、皇紀二六〇五年(西暦一九四五年)に日本全国で起こった人類史上最大の天災だ。


 第二次世界大戦が終戦した直後に発生したこの災害は、国中の神々があるきっかけで暴動を起こし、当時の総人口である九千万人から半数以下の四千万人にまで減らした。五千万人という常軌を逸した被害者数は、絶対的に国家を持続させることは不可能で、日本の政治、経済、軍事は完全崩壊し、占領か委任統治も已む無しの状況まで追い込まれた。だが、災害が沈静化した後で生き残った皇族、政治家、軍人、有数企業経営者、八百万の神々、四千万人の日本人の尽力によって占領・統治を免れ、半世紀で人口を二千万増やして世界二位の国家にまで巻き返した。


 日本にとって日本大災害は最大の転機であり汚点で、旧日本である大日本帝国を壊し、新日本となる神聖大日本国を作る原因にもなった。



「その代わりに、神通力なしじゃ生きていけないけどね」



 壮絶な大災害から日本の復活に導くのに神通力は欠かせず、故に日本経済は神通力を切り離すことが不可能なほどの癒着と差別が生まれている。


 例えば一般人が一日汗水流してようやくできた仕事を、依巫はほとんど苦労せず数分で終わらせてしまう。社会的に見てどちらが欲しいのかは言うまでもない。一般人の何倍の成果を安易に成せれば誰だって欲しいし、給与だって優遇されて差別と見られてしまう。



 しかし一長一短として、神通力を使って生計を立てる人は成長が乏しく、事故などで神通力を損失してしまうと即刻首を切られてしまうことがあるのだ。逆に一般人は自力で成長している分、神通力に依存しないから無能解雇が起きない。むしろ成長している段階で依巫になれたら確実な昇格が待っているから損とは言いがたいのだ。悲しい差別はあっても調整はしっかりと取れている。



「貫之、お前は妾がいても自力でのし上がれよ」


「大丈夫。兄ちゃんみたいにはならないよ」



 仮に月筆乃命の力が貫之の予想外だったとしてもそれまでだ。それで金儲けを考えたくはないし、きっと金儲けをしようとすれば佐一みたいに痛い目に遭うに決まっている。


 と、くいくいと月筆乃命は耳を引っ張りながら聞いてきた。



「……今お金はもっておるか?」


「五百円くらいならあるけど、なにか欲しいの?」


「肉まんを食べてみたい」



 道路を挟んだ向かい側にコンビニが見えた。



「ああ、別にいいよ」



 食べ物の要求に一瞬驚くも、貫之はすぐに了承して横断歩道を渡って向かいのコンビニへと向かう。


 実のところ、月筆乃命に限らず物に宿る神々は栄養を必要としない。


 なぜなら『物』の神霊は『物』が生きていないため飲まず食わずでも死なないし依り代も壊れない。逆に『大自然』を依り代とする神は『大自然』は生きているため栄養摂取をしないと自然を含め死んでしまうらしい。これは実証された日本限定の学術的事実である。



 ただ、食べなくて平気でも食欲は生物の大事な欲求であり娯楽だ。依巫側としては出費が増えるから遠慮願いたくても、タバコや酒など嗜好品として受け入れるのが大半で、ハシラミもたまにステーキ肉を生で食べている。カマキリであっても虫は食べない。あの出たら恐怖のGを食べてくれれば幸いなのだが腕を落としそうだから絶対に言わない。


 自動ドアが開く際に流れる音といらっしゃいませーの挨拶を聞きながら店内に入ると、月筆乃命は周囲を細かく見渡した。



「音だけは聞いたことはあるが目で見るのは初めてだの」



 万年筆をコンビニで使う機会なんて一度も無かったから、貫之には見慣れても月筆乃命にとっては新鮮なのだろう。考えてみれば顕現してから頻繁に周囲を見ている気がする。



「さすがに色々なものがある」


「買えるのは肉まんだけだからね?」


「妾を子ども扱いするな。それくらいの弁えくらい分かっておる。さて、何を食うかの」



 カウンターの前に置かれた保温機に近づき、日本人の口に合うよう改良された中国伝来の肉まんを選ぶ。



「どれも初めてなんだから普通のでいいんじゃないの?」


「いやいや、初めてだからこそ変化球を食すのもありよ。あんまんも良いが豚まんも……」



 女性の買い物は長いというが、月筆乃命も例に洩れず買い物は長いと見た。


 月筆乃命の背丈がせめて小学生くらいあれば任せて立ち読みでもするのに、肩から下ろすと見比べることも出来ない。その背丈に不満は無いが人間の生活に合わせるのは大変だ。


 男性店員と目が合った。不思議そうな目で貫之と月筆乃命を見る。人形を肩に乗せているとでも思ったのだろうが、神らしい身動きを見てか視線を逸らす。



「……よし決めた。豚の角煮まんじゃ」


「じゃあ僕は肉まんかな」



 なんとなく貫之は別のを選べと言われ、一口食べたら寄こせと予想出来て言われる前に決める。



「む、今言おうと思ったのに」


 うし、と貫之は握りこぶしを作って後ろを向いている店員に声を掛けた。



「「あの、すみません」」



 横のレジでちょうど二人組みの女子がいて貫之の声と合わさった。


 寸瞬違わぬ合わさりに、思わずお互いで顔を見合わせる。



「「あっ」」


 今度は最初に合わさった声の人とは違う人と声が合わさった。


「おっ、古川ではないか」


 月筆乃命が名を呼んだように、隣のレジカウンターの前にはセーラー服の制服を着た古川がいた。その後ろにはジャージを着た女子がいるが貫之に見覚えはない。



「なんであんたがここにいんのよ。今まで見たことないわよ」


「神が顕現したから市役所に顕現届を出したんだよ。ここには寄り道」


「ふーん、顕現初日に届け出るなんて几帳面て言うかバカっつーか」


「それは妾も同意する。初日という記念すべき日に何ゆえ面倒事をするのかの」



 初日であろうとなんだろうと逃げられない面倒事は早めにこなすのが月宮貫之だ。



「……ひぃちゃん、私を差し置いて話を進めないでちゃんとまぜて」



 古川の背後にいる学校指定のジャージ姿の女子がくいくいと袖を引きながら注意した。その女子は毛先が若干ウェーブしているセミロングで、肌が日焼けか若干色濃く、体つきは細くともひ弱よりはがっちりしているように見えた。ジャージからして運動部に所属しているのかもしれない。



「かわいいお人形。これって市販? それとも手作り?」


「そのどちらでもない!」



 どうしても月筆乃命を初見する人は人形と思って神様の考えが過ぎらない。今のところ全戦全敗で、禁句であることから否定と怒鳴りを合わせて返した。



「わっ! しゃべった。すっごー、今時の人形って喋るんだ。さすが日本製、人工知能とかもう出来てたんだ」


「だから違うと言っているだろ!」



 二度目の叫びに身を竦めたのは三人。一人は向けられたジャージ女で、一人は突然の不穏な空気圏内にいた店員。もう一人は月筆乃命の口から数センチと離れていないところに耳がある貫之だ。


 キーンと耳鳴りが脳内を駆け巡り、耳を押さえようとするのを必死に自制する。



「あ、あのう……申し訳ありませんが他のお客様のご迷惑になりますので……」


 営業妨害となって店員が丁重に注意をする。


「おおすまんな。間近で大声を上げてしまって。貫之、鼓膜は大丈夫か?」



 店員の言葉に月筆乃命は貫之に謝罪をする。その他の人へは一切なしだ。


「謝るとしたらあたしらじゃないのかよ」


「なぜ妾はお前たちに謝らなければならん」


 古川の怒りを月筆乃命はあっさりと飲み込む。不穏な空気がいっそう濃厚になる。



「えっと……ごめんなさい。もしかして神様?」


 ジャージ女が伺うように聞き、それに貫之が頷いて答えた。


「フミって言うんだけど、さっき言った呼び方は大嫌いみたいだからやめたげて。古川も言い続けたら洒落にならないと思うからやめとけよ」


「チビ神はチビ神で十分よ。つーか、月宮はなんでゆゆには優しくてあたしには命令なわけ? チビのくせに生意気」



「同い年なんだからチビかどうかは関係ないだろ。というか、背丈で上下関係って差別と思うけど?」


「年功序列は仕方なかろうが、同い年なのに背丈で優劣が決まるのはいただけないな」


「あんたね、神様が顕現したからって調子乗るんじゃないよ」


「古川とまともに話をするのって昨日今日で、それより前の僕のことなんて知らないだろ」



 覚えている限り、昨日の早朝より以前に話すことは一度としてなかったはずだ。事務的な話ことはしても談話は確実に無い。



「チビだからってひ弱とか貧弱とか思うなよな」



 神がいるから強気ではない。チビだからこそ強気なのだ。チビはひ弱、デカイは屈強で括られるのは嫌いだ。



「あの……さ、なんか色々と話もあるみたいだけど、とりあえずお店出ない?」



 ジャージ女は苦笑しながら入り口を指し、貫之と古川は周囲を見て時と場所を間違えたと後悔した。ちょうど二つしかないレジを塞いでの口論で、会計をしようとしていた人々を邪魔していたのだ。全員が全員口には出さずとも不満顔を見せていて、さすがにこれ以上はいられないと三人揃って店から逃げ出したのだった。

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