3 選択肢のない死亡フラグ

 通りを二頭だての馬車が走ってくる。

 馬は興奮していて、むちを持った御者ぎょしゃを振り落とすような速度だ。


 後ろにつながれた客車が左右に揺れて、通りに出ていた看板や屋台にぶつかる。

 粉々になったアイスクリームスタンドを見て、私は青ざめた。


(これは、このシーンで選択肢を間違ったときの展開だわ!)


 私に選択肢は見えなかったけれど、『アリス』の人生はゲームの中のように分岐ぶんきしているらしい。

 このままここにいると、確実に死ぬ――!


 テラス席から店内に逃げようとした私は、通りの端をとぼとぼと歩いている子どもに気がついた。

 馬車がこちらに突っこんでくれば、あの子も危ない。


「ジャック! あの子を連れて通りの中央へ走って!!」

「そんなことをしたら、あの馬車にひかれるぞ」

「あの馬車は中央を通らないの! 私の方に来るんだから!」


 言い合いをしている間にも、馬車はどんどん進んでくる。


「もういいわ。私が迎え撃つ!」


 私は、ポシェットから拳銃けんじゅうを取り出して、通りの中央へと走った。

 やはりと言うべきか。馬車はコーヒーショップから進路を変えて、私の方へと向かってきた。


 拳銃をまっすぐ構えて、馬の眉間みけんを狙う。

 ドクンドクンとうるさい鼓動を落ちつけながら、指を引き金にかける。


「ごめんなさい!」


 思い切って撃つと、銃弾じゅうだんは馬同士をつないでいたロープの金具に当たった。

 金具が砕けて自由になった馬は、私をけるように左右へと別れる。


 助かった!

 

 ほっとして顔を上げた私は、眼前に迫る客車を見て、ぼう然とした。


 ――ああ、死亡フラグからは逃げられない。


「お嬢!」


 そのとき、黒い影が私を抱いて横へ飛んだ。

 私はぎゅっと目を閉じて、映画のスタントマンのように通りを転がる。


 砂粒がビシバシと顔に当たって痛いけれど、悲鳴を上げるどころか歯を食いしばるので精一杯だった。

 やがて回転がおさまると、私を救ってくれた相手が呼びかけてきた。


「生きてるか、お嬢?」

「ジャック……」


 目蓋まぶたを開けた私の顔を、ジャックが近くから見つめていた。

 紫水晶アメジストのような瞳はうるみ、頬は砂で汚れている。


 真剣な表情に、私はまたたく光のような感傷かんしょうを覚えた。


 こんなスチルは知らない。

 私がプレイした『悪役アリスの恋人』には無かった。


 ゲームの中では、暴走馬車に襲われた『アリス』は、必ず死んでいたからだ。


 けれど今、私は自分で最悪の結末を変えることができた。

 選択肢は見えなくても、危険を察知して生きのびられた。


「私は、私自身の手で、この人生を変えていけるんだわ……」


 自分の行動に責任がともなうなんて、まるでゲームの中ではないみたいだ。

 選択肢が出ない分、良くも悪くも、予期せぬ事態が待っている。


「知らなかった。人生ってゲームより面白いのね」


 危険から抜けだした高揚感のせいで笑いだすと、ジャックは渋い顔になった。


「よく分からないが、怪我はないんだな?」

「ええ。あの子は?」


 私が店の方を見ると、子どもは家族らしい女性に抱きしめられていた。

 馬は遠くに走って行ってしまったし、振り落とされた御者が腰をさすっているけれど、この事故での死亡者は『アリス』を含めてゼロだ。


「みんなが無事で、本当に良かった」


 立ち上がった私とジャックには、事故を見ていたコーヒーショップの店長から温かなモカが提供ていきょうされた。

 窓際の席で一休みしていると、突然、私の肩に重みがかかった。


「騒がしいと思って来てみれば……。どうしちゃったの、お嬢。コートが砂まみれよ?」


 リーズが顎をのせたのだった。

 彼は黒が主体のシンプルなジャケット姿で、ストールだけが鮮やかだ。


「どうってことはないの。道に転がって、競走馬を目指す二頭の審査しんさをしただけよ」

「お嬢の見立てなら、きっと名馬になるわね。アタシは足の速い子よりも、後ろ足でかけた砂を払っていくだけのたしなみがある子にけるけど」


 リーズは、カウンター席のそばで他の客から身のこなしを称賛しょうさんされるジャックを流し見る。


「何があったのか、聞いてもいいかしら?」

「不運な事故があったの。私もジャックも生きているから平気」

「命や体はね。だけど、別のところはどうかしら……?」


 リーズは、労るような優しい手つきで、私の乱れた髪を直してくれる。


「お嬢、怖い思いをしたときは泣いていいのよ」

「泣く?」


 そう言われても、私は少しも悲しくなんかなかった。


「そうね……。そういう機会があったら、泣くわ」

「泣くときはアタシを呼んで。女の約束よ。はい、髪も綺麗きれいになったわ」

「ありがとう」


 リーズと微笑みあっていると、ジャックが席に戻ってきた。


「どいつもこいつも興奮してるな。事故の現場を目撃した客も多い。炎を出していたら、マズいことになっていたかもしれない」


 烙印スティグマは、一般人に見られてはならないものだ。

 処刑する罪人の他には、知られないように行動するのが鉄則である。


「リーズ。お前、あの伯爵のそばを離れていいのか?」


 ジャックは、私の後ろに立っているリーズを胡乱うろんな目で見た。

 リーズは、ナイトレイ伯爵邸に張りついて、異変があったら報告する手はずになっていた。

 その彼がここにいるということは。


「ダーク……ではなくて。ナイトレイ伯爵が、どこかへ外出したのね?」

「そうそう。彼ね、警察ヤードに捕まったみたいなのよ」


 じつに喜ばしげなリーズの言葉に、私は一拍おいて飛び上がった。


「捕まった!?」


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