第17話 誘拐事件迷走(五)

 黙って、アントニーとして不満そうにしながら、時間を潰そうとした。アントニーを続ける行為に苦痛はなかった。他人に、長期間に亘って成り済ました経験はないが、充分いけそうな気がした。


 問題があるとすれば、寝ている間だ。寝ているときまで成り済ませていられるかどうかは、さすがにわからない。とはいえ、ランスやガニーは眠っているアントニーを見た過去がないので、大丈夫なはず。


 夜になった。深夜のつまらないテレビ番組を見ていると、ランスの大きな声が聞こえてきた。すぐに、テレビを消した。等々力は床に耳を付けて階下の音に耳を澄ました。


 内容はおろか、日本語か英語かもわからなかった。ただ、ランスがすごく怒っているのは、確かだった。ガニーの声は聞こえなかった。


(何か、トラブルがあったな。でも、ランスがガニーに逆らいそうに見えなかったな。ランスは、ガニーと争っているわけではない。誰か俺が知らないうちに、隠家に来たのかな)


 訪問者なら、車を使わなければ、ここまで来られない。付近には、放棄された畑しかなかった。深夜の静かな場所、車が来たら、気付いてもよさそうだった。


 しばらく、細心の注意を払って、下の音を拾おうとしたが、何も聞こえてこなかった。突如、ガニーの怒声がした。ランスや第三者の声はしなかった。


 等々力は下の階の様子を想像した。


(これ、おそらく電話だな。ランスが最初に出て会話していたら、ランスが怒った。内容が深刻だったから、ガニーに替わった。話を聞いたら、ガニーも怒った。そんなところか。問題はなんで二人が怒ったか、だな)


 考えられるのは、黒幕が金を払わないと言い出したケース。これは、最悪だ。

 黒幕が金を払わない理由は、仕事の失敗。つまり、偽者を誘拐したから金を払わないと言い出したのなら、等々力は始末される。


 等々力は心臓が速く脈打ち、全身の筋肉が強張った。すぐにも逆上して銃を携えたランスかガニーが上がってくるのではないか。


 されど、二人は上がって来なかった。声も聞こえてこなかった。

 少しすると等々力は冷静になった。


(待てよ、黒幕が金を払わないと言い出したなら、逆に安全か。二人が上がってきたら、影武者だと正直に話して、黒幕を売る気がないか、交渉しよう。ランスやガニーも黒幕が金を払わなければ、義理立てする必要もない)


 交渉次第では、いける気がした。等々力が交渉に失敗しても電話を借りて、左近と連絡がつけば、左近ならうまく交渉してくれる気がする。


 等々力が安心すると、下から一発の銃声がした。銃声がした後また静かになった。

 再び筋肉が強張った。


(ランスがガニーを撃った? それとも、ガニーがランスを撃った? 考えられるとするなら、おそらく、後者だな)


 すぐに、悪い想像が頭の中を駆け巡った。

 黒幕からの電話で、情報漏洩により計画の失敗が告げられる。ガニーは以前から抱いていた些細な疑問からランスを疑う。ランスがボロを出す。


 ランスが、実はウリエル側の内通者だったと判明。ランスは苦しまず殺される条件と引き換えに、二階にいるのがアントニーの影武者だと告白。


 このケースは、非常にまずい。ガニーと黒幕は今なお繋がっており、相棒に選んだランスの不始末のケリをつけなければならない。当然、アントニーの誘拐をもう一度、実行せねばならないし、等々力は必然的に始末される。


 何か手はないかと考えるが、何も手は浮かばなかった。

 等々力は思考が高速に空回りしていた。頭から血が足に下がっていった。


 今にも、ガニーが銃を片手に階段を上がってきて、ドアを開けるのではないかと怯えた。怯えたが、五分、待っても、十分、待っても、ガニーは上がって来なかった。


 上がって来ないと、再び冷静になってきた。希望も湧いた。

(もしかして、PMCの人間が黒幕の確保に成功したのか?)


 一番良いケースかもしれない。黒幕が捕まった情報が入り、ランスとガニーは仕事が失敗を知る。黒幕がPMCに拘束されたので、お金が入らない。捕まった黒幕からアントニーを無事に家に帰すように指示が出され、荒れるランスとガニー。ガニーが気晴らしに一発、空に向けて発砲。


 ランスとガニーが単独の誘拐事件に切り替えるとしても、やはり金銭で解決が可能だ。


 等々力はベッドで横になり、ガニーかランスが上がってくるのを待った。けれども、どちらも上がって来なかった。


(おかしい、単独誘拐に切り替えるにしても、隠家を代える必要がある。アントニーを移動させようとなるはず。ということは、俺が考えたどのケースとも違う事態が起きたのか)


 等々力は電気を消して横になった。他に何が考えられるか検討した。

 どれも前に考えた三つのいずれかに近いケースしか思い浮かばなかった。何かが起きたのは確実だが、何が起きたのか、わからない。人質役の辛いところだ。

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