第14話 誘拐事件迷走(二)
リムジンの前半分が切り落とされたので、風景が見えた。下は湿地帯だった。
リムジンの前と後ろを区切る仕切りは、リムジンの前半分と一緒に落下したので、存在しない。
飛び降りれば大怪我するかもしれないが、死にはしない高度に思えた。
等々力の心は揺れた。
(今なら、行けるかな? 下は柔らかそうだ。でも、下手をすると、死ぬかもしれない。そうだ、捕まるのも仕事だ。だけど、偽者ってばれたら殺されるよな。逃げよう。待て待て、仕事を失敗したうえに、大怪我したら、大損だ。それに、最悪、もう一回ってなるかもしれないし。やっぱり――)
「でも、そうだ、だけど、待て待て、それに、やっぱり」と何度も等々力は葛藤した。葛藤しているうちに、後部座席だけになって軽くなったせいか、高度は急に上がっていった。
すぐに、飛び降りられる高さではなくなった。
逃亡する選択肢は潰れたので、等々力は腹を決めた。
十二、三分ほど飛び続けたあと、携帯に電話が掛かってきた。電話の向こうから渋い男の声で脅してきた。
「お前は、執事の柴田か?」
「柴田は休暇中だよ」
男は会話をしている人物を柴田とは別の執事か護衛だと思い込んで、要求を切り出した。
「俺の言う指示をよく聞け。今から高度を下げる。高度を下げたら、後部座席にいるアントニーを残して、残っている全員、飛び降りろ。もし、アントニーも一緒に下りれば、全員射殺する」
護衛も運転手も既に誰もいなかった。完全に逃げ遅れたボッチ状態。
だが、正直に「皆、すでに逃げました」と申告するとする。当然「護衛のプロがそんな簡単に逃げるか」と相手は疑問に思うだろう。
等々力は早口にならないように気をつけながら答えた。
「護衛なら、高度が低い内に逃げるよう僕が指示をしておいた。今、僕は一人で遊覧飛行を楽しんでいるよ。ところで、遊覧飛行にシャンパンのサービスなんかあると嬉しいんだけど」
男は等々力のジョークに付き合わずに、懐疑的な点についてだけ短く尋ねてきた。
「護衛に退避命令を出しただと、本当か?」
「ああ、本当さ、合理的に考えて、目的は僕だろう。僕以外の人間には用がないはず。目的地に着いた途端、目の前で知っている人間が撃ち殺され光景は見たくなかったからね。言っておくけど、人望がないわけではないないよ」
男はすぐに突っ込んできた。
「なぜ、お前は一緒に飛び降りなかった」
「チャンスはあったけど、
誘拐犯はアントニーが一人だけ残ったのに、安心せず、追及してきた。用心深い人物だ。
相手の姿が見えなくても、短い会話で、等々力は相手の持つ空気を読んだ。相手の持つ空気を読み、電話の向こうの人物を想像して、対処法を瞬時に決めた。
(この手の疑り深い相手は、いくらそれらしく答えても、すぐには信用してこない。しかも、こういうのに限って、結構しつこい。次々質問されれば、嘘が露見するかもしれない。会話はできるだけ素早く終らせたほうがいい)
対処法は、わざと嘘を吐く。嘘を吐いてから嘘を相手に指摘させる。あとは、成り済ました人間なら「こういうであろう」と思われるユーモアを交えて、正直に話す。
偽者かもしれないと疑う緊張感の後に、ユーモアで空気が和ませるのが大事。
和んだ相手は、知らず知らずの内に油断する。無意識に油断させておいて相手の手持ちの情報と等々力の言葉が合致すれば、勝手に納得して質問を止める。
等々力はとてもフランクに話しかけた。
「君は高い所は平気なのかい? 僕は高所恐怖症なんだよ」
男がすぐに聞き返してきた。
「スカイ・ダイビングが趣味の男が、か?」
相手はアントニーについてある程度は知っている人物だ。
等々力は余裕を持って答えた。
「スカイ・ダイビングをやるときはパラシュートを装着するからね。さすがに、パラシュートなしのスカイ・ダイビングは、やった経験がない。君が望むなら一緒に、今すぐタンデム・ジャンプで飛んでもいいよ。僕はインストラクターの資格も持っているからね」
電話の向こうで男が鼻で笑った。等々力の予想通りの反応だ。
男が馬鹿にしたように口にした。
「俺は男とベッタリ張り付いて飛ぶ趣味はない」
「そうか、それは良かった。僕も一緒に飛ぶなら、女性がいい」
男が再び命令してきた。されど、空気は最初の頃より少しだが、和らいでいた。
「お前の軽口は聞き飽きた。俺が電話を切ったら、電話の電源を切ってから捨てろ。ヘリが着陸するまでおとなしくしているんだな。間違っても、ビビッてションベンしようとして、落ちるなよ」
等々力は「ウィ」と返事をした。
男が通話を止めたので、指示通りに電源を切って、携帯電話を投げ捨てた。
(さてここまでは、左近さんの予定通りなんだけど、PMCの人間はちゃんと、俺を捕捉しているんだよな。まさか、ヘリで車ごと誘拐されるとは思っていませんでしたと、言い訳していないよな)
等々力は不安になったが、すぐに不安を打ち消した。
(大丈夫。サポートはプロの人間がやってくれているんだ。素人が思いつかない方法で派手に誘拐されても、きっとプロなら想定内――だよな、たぶん)
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