第69話 出発前夜

荷造りの確認をしていると、ノックの音がした。入室を促すと、「失礼します」と言う声と共に、ロゼットが寝間着のまま入ってくる。そして、ぐるりと私の部屋を見たあと、少しだけ寂しそうな顔をした。


「……いよいよ、明日ですね」

「そうですね」


明日はいよいよ出発の日。ここ最近起こっている事件については心残りではあるものの、出発の準備は万全だ。


「そういえば、ペルルーシュカ様はあれからどう?」

「そうですね、ここのところはサッパリお見えにならないです」

「そう……」


噂は聞けど、姿は見せず。私が会ったのは彼女の屋敷でお茶会をして以来だから、相当前の話である。


(嵐の前の静けさでなければいいけど)


「寂しくなりますね」

「すみません」

「いえ、大事なお役目だとわかってはいますので」


ロゼットには今回、カジェ国の通訳として同行するとしか伝えていない。正直私の出生についても漠然とボカしたままでしか伝えてなく、彼女が私をどう思っているかも正直なところ不明だった。


もしかしたら先日の肖像画の件で気づいているのかもしれないが、特に言及されたことはなく、私も自らは特に何も話さなかった。


それは、心を許してないのではなく、逆に彼女を巻き込みたくないvからこそだった。下手に私のことを話して、私の秘密を共有することによって狙われる可能性が出てくるかもしれない。それを、少しでも減らしたかった。


(大事な友達だからこそ、巻き込みたくない)


「先日も不審者が来たことですし、何かあったらバースに言ってくださいね」

「えぇ、あと、リーシェさんに教わった自衛も活用します!」


そう言って取り出したのは、煙幕と火打ち金だ。それは、持ち運びしやすいように巾着に入れて、肌身離さずもっておくように言っていたものだった。


「乙女の嗜みですからね」

「えぇ、そうですね」


お互いに笑い合う。クエリーシェルには以前、物騒だな、と少し引かれたが、自分の身は自分で守るに越したことはないと思う。


「決して立ち向かわずに、それを投げたらすぐに逃げてくださいね」

「それは、もう耳にタコができるほど聞きましたから、大丈夫です。しっかり心得てます」


ここの屋敷にロゼット1人残しておくというのは忍びなかった。だから、マルグリッダにお願いして、大公家にお世話になるのを提案したが、ここは私の職場兼家ですから、と断られてしまった。


一応不在中はバースが常に在中してくれるし、ちょくちょく大公家から派遣という形で誰かしらは来てくれるそうだが、それでもやはり心配ではある。


「クエリーシェル様とリーシェさんがいない間、きちんとお留守番できることを証明しますわ」

「ありがとうございます、期待しています」


かと言って、年上の元令嬢に年下のよくわからない小娘から、心配だと言われたところで彼女のプライドとしてもあまりよくないだろうと、あえて心配のことは口にしなかった。


「そうそう、もしよければこれ」

「本、ですか……?」

「えぇ、船旅のときにでも読んでいただけたら」

「ありがとうございます」


パラパラと捲る。軽く見た感じ、内容としては、冒険ものだろうか。


「まだ私の作品は完成しそうにもないので、私の1番のお気に入りを持ってきました」


言われて、確かに色褪せて古びているのが見て取れる。今まで貸してもらった本に比べてとても分厚く、読み応えがありそうな作品だった。


「いいんですか、お気に入りの本だなんて」

「えぇ、これは私が読書にハマるきっかけになった作品なんです。でも絶対に返してください」


珍しく強い口調をするロゼットの声は、少し震えていた。


(あぁ、ダメだな、私。こういうときは言葉にしなきゃいけないんだな)


「絶対に返します。絶対に帰ってきますから、約束しますから。私を信じて待っていてください」

「絶対に、絶対に、ですよ……っ!」


潤んだ瞳から、ぼたぼたと涙が溢れ出るロゼットを抱き締める。その身体は震えていて、自分がいかに彼女に心配をかけていたかが伝わった。


(相手のことばかりで、自分のことなど二の次だった)


これは私の悪い癖だ。こうして自分のことを顧みないから、こうして心配されてしまう。クエリーシェルにも、ロゼットにも。


今まで心配してくれる人がいることなど姉以外にいると思ってなかったし、その姉が亡き今はそういうことなど頭からすっぽりと抜けていた。


(ありがたいことだな)


こうして心配してくれる人がいる。そして帰りを待ってくれる人がいる、そう思うだけで頑張れる気がした。


「自慢じゃないですが、私は悪運が強いので絶対に生き延びますよ」

「そんなこと言ってると、またクエリーシェル様に怒られますよ」

「いいんですよ、今ここにいませんから」

「全く、リーシェさんたら」


背を摩りながら、そう軽口を口にすれば、少しだけロゼットの震えが和らいだ気がする。安らかに死にたいという目標こそ変わっていないが、目的を達成するまでは死ねない。ただ何もせずに死を受け入れるのはやめたのだ。


国を守って以前成し得なかった平和な世界をみんなに享受させることが今の目的だ。だから私はペンテレアではできなかったことを、このコルジールで成し得たい。そしてこの国で生を全うしたい。


「約束、ですよ」

「はい、約束です」


はっきりと口にすると、ロゼットはふっと口元を緩めて笑ってくれた。

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