ロゼット編1

家族関係の希薄な家だとそうずっと思っていた。


父は研究一辺倒な人だった。


実際に父は研究に没頭していて、家庭を顧みず、侯爵という地位なのにほとんどの仕事を母に一任していた。


父は植物学について学んでいるということは知っていたが、あまり関わらず、関わろうとすると母にとがめられた。


それほどまでに私の存在は疎ましいのか、と思うこともあったが、関わらないことの方が精神衛生上良かったので、出来る限り関わらないようにしようと子供ながらに決めた。


母はとても謙虚な人だった。


常に父よりも一歩下がり、父に言われた通りに仕事も家庭も1人で全て指揮していて、母のほうが余程有能だと思っていた。


だが、そう口にすることは母から禁じられ、父があってこその母だと言うことをよく言い聞かされた。


幼いときは意味がわからなかった。研究だけしかしない父のどこが偉く有能なのかと。正直、今も納得しかねる部分はあるが、それはそれで家庭内を回すのに都合がよいのだと自分を納得させた。


母は皆に対して親切で優しかった。私のようなとても人見知りで何も取り柄もない娘だというのに、私が好きだからと天体がよく見えるようにと部屋も与えてくれた。私は母が好きだった。


姉はとても自己中心的な考えの人だった。


私と姉は6つ離れているせいか、それとも1人っ子時代が長かったせいか、まるで姫かのように独善的に振る舞っていた。


自分のものは自分のもの、人のものも自分のものを地でいく人だったので、私はなるべく彼女の食指が動かないものを好むようになった。そのおかげかあまり被害らしい被害はなく、たまに装飾品や調度品が盗られる程度だった。


両親は姉の独善的な行為を咎めることもなく、ただ、かといって溺愛しているわけでもなく、どちらかといえば放任主義だった。


だからますます姉はつけあがってしまったところもあるが、それでも両親にとってはどうでも良かったように感じた。


この歪な家族関係が変わったのは、ハッキリとしている。父の研究によって莫大な金が入ってきてからだ。今まで金に対して無頓着だった父が、そこから急に態度が変わった。


今まで私達のことに無関心だったのに、急に母から引き継ぎ、侯爵として領主として仕事に乗り出した。


周りもさぞ驚いたことだろう。今まで研究一辺倒だった父が目の色を変えて仕事を始めたのだから。そして議会長になるまでに至ったのだから。


母はとても喜んだ。今までの努力が報われた、と。その気持ちを知ってか、父は母のために彼女の好きな調度品や庭を金に糸目もつけずに与えた。母は大喜びだった、そんな母を見ているのは嬉しかった。


そして、無関心だった私達の縁談にさえ乗り気になった。姉と婚姻を結んだのは我が国屈指の資産家でシュタッズ家と並ぶと言われているハリアー家だった。


ハリアー家の長男は気が弱く、姉と対照的な存在ではあったが、資産があることや見た目が好みだったこと、お屋敷がとても豪華絢爛で自分好みだということで姉は即答で受けたと聞く。そして早々に姉は結婚し、残されたのは私だった。


私も結婚はしたいとは思っていたが、正直自分が結婚したらどうなるかなどと現実的には考えられなかった。物語の中でのお話は、どれもこれも結婚することで「めでたしめでたし」と終わりを迎え、その後のことなど何1つ教えてくれなかった。


身近な参考例である自分の両親もどう参考にすればよいのかわからなくて、正直戸惑った。本音としては、両親のような夫婦にはなりたくなかった。


今まで男性と会う機会も少なく、私の趣味は読書や天体のみで分かり合える友人も少ない。話すこともダンスも苦手で、舞踏会に行けば母から声かけしてくれた殿方と何度かダンスを踊るか、当たり障りのない会話をするしかなかった。


そんなときだった、彼ヴァンデッダ卿と出会ったのは。


初めて見たときはとても大きくてびっくりした。けれど物腰は優しいし、顔立ちは整っているしで、まるで物語の王子様が出てきたような気がした。


ダンスもお上手で、常にリードしてくれて、私の理想そのものの人だと思った。


そんな私の様子を悟ったのだろう、母はしきりに彼を勧め、ぜひ我が家で舞踏会を開こうと言う話になった。これに父が乗り気だと言うことにとても驚いたが、父も変わったのだと、私に興味を持ってくれたのだと、密かに嬉しかった。


当日はとても楽しかった。


彼も天体のことが好きだと言ってくれて、私の話を真摯に聞いてくれた。こんなに親身になってくれたのは初めてだった。だからこそ私は浮かれていた。


「庭には出るな、ベランダも禁止だ」と言われていたにも関わらず、天体見たさに彼と共にベランダに出た。素敵な殿方と見る星々。そのシチュエーションにとても酔っていた。


不意に、クエリーシェル様がキョロキョロと周りを見回すことに気づいた。


「どうかなさいましたか?」


彼は私の声など聞こえなかったのか、そのまま勢いよく高所にあるベランダを難なく飛び降りていった。


(一体、何が起きているの……?)


ただ、暗くてよく見えなかったが、何か言い争いをしているのが見えた。


そして、よくよく目を凝らすと、それが自分の父親とクエリーシェル様、もう1人は見覚えのない少女だった。


クエリーシェル様がその少女を抱き締めるように、守るようにする姿を見て、勝手にざっくりと刃物で抉られたかのように心が傷つく。


勝手に1人で盛り上がって、勝手に傷ついて、我ながらなんて自分勝手なんだろうと思うが、それくらいには私はクエリーシェル様のことが好きなのだと気付かされた。


だが、それくらいで傷ついているうちには入らなかった。突然の悲鳴にハッと我に返り、舞踏会会場を見れば阿鼻叫喚の世界が広がっていた。


嘔吐するもの、痙攣してるもの、倒れるもの、叫ぶもの。何が起きているのか理解できなかった。


母を見ると、動揺はしている様子ではあったが、驚いている様子が見られず、その姿にさらに混乱した。


「ねぇ、お母様!どういうこと、みんなどうなっちゃっているの?!」

「ロゼット。これもまた運命なのよ、お父様のためなのだから」

「何を、言って……」


目の前の母親だったものが怪物にしか見えなかった。何をこの人は言っているのだろうか。


そもそもこの状況に戸惑ってなく、受け入れているということはどういうことなのか、問い質したい気持ちはあったが、恐怖で言葉が紡げなかった。


「落ち着いてください!」


女性の声が響く。


そちらに顔を向けると、いつ頃戻ってきたのかクエリーシェル様に抱き上げられ、先程の少女が声を張り上げていた。


彼女はまるで姫のように、クエリーシェル様は従者のように。お互いを信頼しているような姿に不謹慎ではあるが、まるで理想そのものだと見惚れてしまった。


(何、私ったらこんなときに)


頭を振って我に返る。そして、少女に言われた通りに近くにいる人達に水を飲ませようと動くと、母に腕を掴まれる。


「何するの……!」

「もう、手遅れよ」

「そんなことないわ!」


母に抗ったのなんて初めてだった。そのとき、グリーデル大公夫人が母の背後にいることに気づいた。


「クォーツ夫人」


母が振り返ると同時に振りかぶられる手。


パーーーン


乾いた音が会場に響いた。そして、思い切り母に平手打ちしたグリーデル夫人に呆気に取られてしまった。


「貴女、何をなさっていらっしゃるかおわかり?!これは立派なテロよ!!」

「は!そんなことはとうに分かっているわ!わかっているに決まってるじゃない!!」


頬を押さえながらも笑う母に気味悪さを感じながら、見ていられなくて、私は水差しを持ち、近場の人々に水をあげた。


ただ水をあげるしかできない自分の無力。そもそも自分の希望によって叶えられた舞踏会が、まさかこのような地獄絵図になろうとは誰が想像しただろうか。そして何より、それを企てたのが自分の両親だとは誰が想像しようものか。

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