第60話 ルール
夜が明けた。なんだかんだと、2日も地上に滞在してしまっていた。どう言い訳をしようかと考えながら。
『……終わったようだ』
「うん」
その場には、たったひとりの男。教主と呼ばれていた男が立っていた。
「……ふぅ……ふぅ……。くそっ!」
「終わったね」
「! てめえ! クソガキ!」
肩で息をしながら。鉄パイプを持ち。愛月を睨み付ける。
「そこから動くな! 殺してやる!」
「筋違いも甚だしいよ。あなたに、怒る権利は無い」
そして一直線に向かって来て——
「!」
血だまりで滑り、転けてしまった。
「最期に何か言うことはある?」
「はっ!? ふざけんな! ぶっ殺してやる! クソガ——!」
愛月の手には、その辺で拾ったナイフが握られていた。
血に濡れたナイフ。
「大きな怪我も病気もなく。健康に育ててくれたことは感謝してるよ。でもね、心を健康に育ててくれなかったね」
「やっ! やめろ! そうだ! 宝石でもなんでも——!」
「だから、今、あなたを殺す瞬間も。……何も感じなくなっちゃった」
「やめっ!!」
1回。
「っ!! ……!」
2回。
「意外と固いんだね」
3回。
「………………」
「終わった? 死んだ?」
少女の力で大人を殺すには、筋力が足りない場合がある。
愛月は無表情のまま、何度も念入りに刺した。
——
「…………死体って臭いね」
『これでお前は自由だな。どうやって日本へ帰る?』
「うんとね。……まずは、お風呂入りたい」
『この時間に営業している浴場は無い』
「えー。じゃ水道水か。……いや、ソフィアのお家に行こっと」
『見届けた。それでは私は帰るぞ』
「うん。ありがと。ねえ、やっぱり名前、教えてよ」
『…………』
「おねがい」
ここまで来れば。
あといくつルールを破っても変わらないだろう。
『……カエルムだ』
「カエルム。ねえ、また会える?」
『…………さあな』
呟いた後、愛月の目の前から突如、カエルムは消えた。
「えっ?」
何の予兆も予備動作も無く。視界から無くなった。
バサ……と、鳥が羽ばたくような音が、遠くからした気がした。
振り向いても、何も居ない。
「……カエルム」
あれは、何だったのだろうか。他の大人達とは纏う雰囲気が異なる。声もなんだか、普通とは違う気がする。
「また会えるよ。『分かる』んだから」
——
——
そして。数日後。
保護された愛月は、日本へ帰ってきた。懐かしい畦道。懐かしい看板。懐かしい……家。
「愛月っ!!」
「お父さんっ……!」
父は、大人とは思えないほど涙を流していた。彼がこの10年、どれほどの絶望の中に居たか。
「お母さんと、赤ちゃんは? あっ。赤ちゃんももう10歳? だよね」
「…………愛月」
「?」
「よく、聞いてくれ……」
どれほど絶望したか。
「………………!」
——
——
『(…………まずいな)』
その頃カエルムは。
彼も同じく、日本に居た。
『(翼を没収されてしまった。これではすぐに天界へ帰れない。加えてさらに現地調査を押し付けられてしまった。……佐々原さつき。25歳。……ネフィリム疑惑だと?)』
彼は不真面目な不良だった。そのせいで職場では昇進もできず、もうずっと下っ端のような業務をやらされていた。
『(……日本は地名がややこしくて敵わんな。…………あれは)』
とある、橋の上で。ぼうっと立ち竦む小さな影を見付けた。普段ならば無視をする所だが。その影が。
『(……あれはアヅキか。日本へ帰れたのだな)』
今にも飛び降りて死にそうな顔をしていたのだ。
『何をしている』
「!」
思わず声を、掛けてしまった。
「え。……カエルム……?」
『まさか本当にまた会うとはな。だが今回はお前に用がある訳では——』
愛月は。
直ぐ様駆け寄って、彼に抱き付いた。
「助けて……」
『なに』
その声は、か細く消えてしまいそうな程震えていた。
——
「……ルール……?」
『ああ。あらゆる事象全てに、ルールがある。死ねば、生き返らない。お前がどれだけ泣いて神に懇願しようが、決して、二度と、お前の母親と弟に会えることは無い』
「…………どうして、そんなこと言うの……」
『どうしても何も無い事実だ。残酷に思うなら、死後の世界で会えるよう宗教に入るんだな』
「……やだ。宗教なんて絶対やだ」
『お前の経験からすれば、そうだろうな。だが真っ当な宗教もある。心の平安に重きを置いたものも』
「……どうしても、お母さんに会えないの?」
『そうだ。私と違って、神はルールを破らない。決してな。遥か昔から、何億年もそれを守ってきた』
「……ルールは変えられないの?」
『不可能だな。神に変える気は無いようだ』
「てことは、変える気にさせたら変えられるんだね」
『……理論ではそうだが、現実的に無理だ。ちっぽけなお前が、どうやって神の気持ちを動かすと言うのだ』
「カエルムじゃできないの?」
『何を言っている。私は神の僕だぞ』
「でもルール破って怒られて、日本に来たんでしょ?」
『……お前のせいだろうが』
「なら、あなたならルールを破れるじゃない。神の気も引けるし。それなら『生と死のルール』も変えられるかも!」
『私は協力しないぞ』
「なんでっ?」
『私はこれでもな。神の僕だからだ。それに弓引くようなことはできん』
「ねえ、おねがい」
『こればかりは聞いてやれん』
「むぅ……ケチんぼ」
『許せ。……世の中にはお前のように悲惨な事故事件で家族を失った者は大勢いる。その殆どが、それでもなんとか受け入れて生きているのだ。お前もそうしろ』
「やだ」
『アヅキ……』
——
「ねえ、思い付いたんだけど」
『なんだ。私はもう行くぞ』
「ちょっ。待ってよ。カエルムが必要なんだから」
『なにを言っている。協力はせんぞ』
愛月はカエルムを逃がしはしないと、腕に絡み付いて引き留めようとする。
また一瞬で消えるかもしれない。そうするともう、偶然出会うか彼から会いに来るしか無くなる。
このチャンスは逃せない。逃がさない。
「カエルム達が神のルールを破れるなら。カエルムの『子供』もできるよね!?」
『………………』
愛月が『なんのつもり』なのか。一瞬で察したカエルムは押し黙った。
「沈黙は肯定! やったあ!」
『なにをするつもりだ』
「ねえっ。あなたの子供、わたしに頂戴!」
『…………は?』
「だから。あなたとわたしで、子供を作りましょう?」
『では去らばだ』
「あーっ。ちょっと! 待って待って! お願いっ!」
インターネットの時もそうだが。この娘の発想は普通とは違う。死んだ母と弟に会いたい話が何故子作りになるのか。
「ねえ、わたしはカエルムが好きよ。助けてくれたもの。顔もかっこいいし」
『興味本意と善意と一応の責任だ。お前個人に好意は抱いていない』
「でも好き。ねえお願い」
『駄目だ。そもそもお前自身がまだ子供だろうに』
「そんなのやってみなくちゃ分からないじゃない。それにテレビで見たよ。わたしと同じくらいの歳の子が妊娠してた」
『フィクションだろうそれは』
「ねえ、どれくらい日本に居るの?」
『なんだ急に』
「チャンスを頂戴。絶対あなたを、落として見せる。神の気を変えるんだもの、あなたの気くらいこっちに向かせてみせるんだから!」
『…………』
カエルムは、困った。
人間の娘を好く者は昔から居たが、人間の方から好かれるのは珍しい。そもそも人間が我々を見付けること自体珍しい、否、それもカエルムの失態なのだが。
本当に、この小娘にはそっちの興味が無いのだが、『人間性』という点での興味はあった。
『…………1ヶ月だ』
「!」
『日暮れから夜明けまで。……「夜」の間はこの橋の下に居ると約束しよう。あとは勝手にしろ。私は恐らく寝ているがな』
「ありがとう!」
『……どうした、離してくれ。私も私で忙しいのだ』
「……嘘じゃないよね」
『?』
「またふっ、て、消えちゃわないよね。夜になったら会えるよね」
『…………』
その目は。間違いなくカエルムを『求めている』目だった。離れたくない、別れたくないという寂しい瞳だった。
『……お前にはまだ父親が居るだろう』
「うん。そうだよ。お父さんはわたしを待っててくれて、本当に大好き。だけどわたしは、もっと『家族』が欲しいの」
『…………ああ嘘じゃない。夜にはまた会える』
「うん……」
名残惜しそうに手を離した愛月の頭に。
ぽんと、手を乗せて撫でた。
『(私も大概だな……)』
心の中で溜め息を吐いた。
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