18 決戦



 身をひるがえしたルクセルの真横で書き物机が砕かれ、炎が赤々と吹き上がる。赤玉の王に砕かれた古い木の机は突如上がった炎に飲まれ、崩れ落ちた。


 腕を取ったルクセルを、その右腕一本で掴み上げて机に叩きつけた異形の王は、燃え盛る家具と石壁をなぶる炎に手の平を向けた。

 炎はゆるやかに振られた指にからめとられるようにして、生み出された場所へ、赤玉の王の手へと吸い込まれる。煙を上げ、くすぶる木切れに背を向けて、城の主は旅人を見つめた。


 追撃の炎を逃れたルクセルは書架を背にして、平然と立っている。古いものとはいえ、ぶ厚い天板をへし折るほどの力で叩きつけられたにも関わらず、何の痛みも感じてはいない冷ややかな瞳をしていた。


「お前は異様だ。今まで現れた者たちとは違う。何のため、ここに来た? 石を探す目的は、何なのだ?」


 赤玉の王は再び同じことをたずねたが、ルクセルはその問いに問いを返した。


「赤い石を探している。その石と同じ、赤い石だ。知っているか?」


 この問いが、旅人の答えだ。ルクセルにはそれ以外の目的はない。その答えが今までの旅のすべてであったし、それ以上でも以下でもなかった。それ以外に何ひとつ、ルクセルが旅をしてまで探すものは出来なかったからだ。

 そしてそれはカーバンクルス、偽りの赤き石をその体に宿した者も同じだった。赤玉の王と呼ばれるようになったこの者にも、ただのひとつしか目的はなく、それ以外に戦う意味などなかったのだ。


 この胸の赤き石に誘われ来る者を退ける。 


 誰にそれを命じられたのか、覚えもなければ今さら思い返すこともない。

 しかしそれが目覚めてからの長きに渡り、赤玉の王カーバンクルスのただひとつの使命であり、この地にとどまり待ち続けた理由でもあった。


「永遠の命のともしび、カーバンクルス。お前も、それを求めてきたか。この石にもその力はある。お前が探すものかは知らぬがな」


 赤玉の王は闇を探るようにしてルクセルを見つめたが、凍えるような空の色をした瞳は何も答えない。旅人から答えがないのにも慣れてきたか、昼の空の色を知らぬ地底の王は、独り言のように語り続ける。


「この赤き石と、この地の宝玉にひかれ来るものたちをただ待つのにも飽きた頃、ここの書物が何を記しているかを知った。それを自分が、己の力に出来ることも。それならば試すより他あるまい。時は無限にあるのだからな」


 偽物であろうがなかろうが、この赤い石こそが己の力、永遠の命の源であることは間違いない。それならば石の死守という使命を続ける中で力を蓄えることも、この力を何に与えるかも、赤玉の王と名乗る者に託されてしかるべき使命である。

 地の底の緩慢なる暮らしに新たな愉しみとして創造を加え、赤玉の王は今日まで備えてきた。そして戯れに地上へとその手を伸ばし、待った甲斐はあったと言える。


 それ以外に何の目的もなく、ただ赤い石を探して現れた旅人。


 正直、小動物から玩具を作り出すのにも、強奪や戦争ごっこにも飽きた頃だ。赤玉の王は、赤き石に誘われ現れた旅人を見つめた。


 ほこりや泥の染みで薄ら汚れたルクセルの姿から感じる印象は、傍らの朽ちかけた本たちから受けるそれと大差ない。

 だからこそ、この旅人が異形の王には異様に思えた。ここの書架に収まる本を今では、宝玉の力から命を生み出そうとする者によって集められた、目的あるものだと確信しているように。


 この必要以外に物言わぬ旅人にも目的はあるはずだ。赤い石を探すという目的の奥底に、秘めたる何かがきっとある。


「まあ良い。お前のことは追々探ろう。それよりも、お前そのものが興味深い」


 赤玉の王が背にした残り火の光は胸の赤い石を抜けて、揺らめく輝きを四方に投げかける。異形の王の瞳にも、それに似た光が見えた。湿った書架を背にルクセルは密やかに息を吐き、己に向けられた闘志に備える。


「力を試させてもらうぞ」


 笑みを見せた赤玉の王は、ひと跳びでルクセルの眼前に迫った。ルクセルが身をひねって拳をかわせば、旅人に代わって一撃を受けた棚板が砕けて回り、本たちがはじけ飛ぶ。

 古ぼけた書物は書架や床に当たった衝撃で、ばらばらになる。先ほどのものように魔封じがされた本はなく、紙片が舞い、ほこりを上げ、残骸が次々と床に積み上がるばかりだ。


 ルクセルは床に散らばる書物のかけらを避けるようにして跳ぶと、梁からかかる天蓋の合間をくぐり、赤玉の王から距離を取る。ゆるやかにはためく布の向こうに見える旅人に、赤玉の王は向き直った。


 目線は落とさぬままルクセルがわずかに屈みこみ、右手を伸ばして、足の間の巻物を指先で拾う。古い絵巻物らしきそれを側の棚へとのせる様子に目を細め、赤玉の王は何の前触れもなく、半分ほど空になった書架に残った書物へと火をかけた。


 ちらりと書架へ目をやった一瞬を突かれた。

 赤玉の王が今までのように拳や炎で撃ってきたのならルクセルの反応も違ったかもしれないが、目線を遮ったのがくすんだ色の布であったばかりに、身構えるのが遅れた。

 巻き付いてきた天蓋から逃れるようにして身を返した先に、もう一枚、布がはためき絡み付く。書架の覆いとして下げられていた古びた布は汚れが染みついた見た目以上に丈夫で、ルクセルの体を捉えると身動きするごとに締め付けてきた。


「やはり、永遠の命は気になるようだな」


 布の端を片手に赤玉の王は燃える書架を見やった。布を手繰り、捕らえた獲物をさらに宙へと吊り上げる。天井を支えるために組まれた梁が、ぎしりと鳴った。

 柱と柱の合間に板を渡して作られた簡易的な書架から上がった火は、湿った地下の空気を煙らせながら小さくなっていく。ルクセルは布に上半身を取られたまま身じろぎもせず、書棚のそこそこで燃える小さな炎を見つめた。


 赤玉の王はルクセルの視線を追うと、尊大な口ぶりで旅人に宣告する。


「良かろう、己で選ぶがいい。書架の謎を知るため、その身を実験台とするか。我が血となるかを」


 空いた右の手の平が、赤に染まる。体をめぐる金継ぎの線が強く輝き、その光が流れを作って、手の内へと集まってゆく。右手を染めた赤が濃くなるごとに手の平からは熱が立ち上り、陽炎のように揺らめいた。


 その手で燃やし尽くしたものを、炎を介して己の力と出来る。異形の王を貫く偽りの石は、命を得るために命を欲している。赤玉の王はその力を用いて迷い込む数多の者の命を喰らい、永遠の命を得ているのだ。

 そして時に、命を司る石から力を分け与え、地の底では生きられぬ者たちを惑わせては、しもべとしてきた。己の血から生み出される炎の色をした、燃えない石を喰らわせて。


「永遠とは、そんなものか? 君の言う、永遠の命とは、そんなものなのか」


 ルクセルは穏やかな声音でたずねた。蜘蛛の糸にからめとられた哀れな虫の最期のように、ついには手向かうこともせず、布から出た右足を宙へと放り出している。

 永遠の炎の石、カーバンクルス。偽りの神の石をその胸に、赤玉の王は満足げに笑みを浮かべた。己を否定するルクセルの答えこそ、待っていたものだとでもいうように。


「なるほど……要らぬか。永遠も、命も」


 それが要らないのは己も同じなのかもしれぬ。赤玉の王カーバンクルスは己を貫く宝玉を見やった。


 永遠は、この赤き石に付属していただけ。己の命でもあるその石を守るため、更なる力を欲していただけに過ぎない。長き時は退屈を生み、力への欲求が際限なかったゆえに、ただここまで来た。

 異形の王が求めていたのは力だ。今までとは違う、新しく、異様な力。この旅人を取り込めば、なにか新たなものが宿るだろうか。赤玉の王は朱に染まった己の右手を見やる。


「ならば、私の血になると良い」


 新たな力を手に入れられる予感に囚われて、赤玉の王カーバンクルスは一層笑みを強くした。




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