第86話 生物学的なお話(前編)
エミリアの男性恐怖症になった経緯は分かった。
「概ね予想通りだったんだけど、まさか10歳の幼女を強姦して既成事実を狙ったものだとは思っていなかった。この『強姦未遂』がより複雑なトラウマになっている原因だね」
「エミリアお嬢様のこのご病気は治せるのでしょうか?」
シエラさんが心配そうな顔で俺に質問してきた。
「トラウマ――心的外傷とも言うけど、ヒール系回復魔法は効かないんだよね。聖属性の魔法の中に【精神回復】というピンポイントで効果のありそうなものがあるけど、これを毎日掛けても絶対治るとは言えない厄介なものなんだ」
「毎日かけてもダメなんですか?」
やはりこういう話にはイリスが一番食いついてくるね。
「うん。毎日【精神回復】の魔法を掛けても、毎日その魔法を掛ける度にその時のことを思い出して、最悪悪化することもあるそうだよ」
「回復した以上に思い出して心にダメージを負うから治らないのですか? 厄介ですね」
「そういうこと。しかもその原因に個人差があるから、原因を聞き出す行為すら負担になりかねない。だから師匠は俺に【精神回復】の魔法を教えてくれなかったんだ」
「どうして大賢者様はルークさまにお教え下さらなかったのでしょう?」
「記憶というものは時間経過とともに薄れていくから、何もしないでそっとしておくことの方が良い場合の方が多いらしい。それに、そういうのはデリカシーのない俺より神殿の神官やシスターに任せた方が良いって言ってね。俺も理由に納得したので覚えようともしなかった。そういうイリスは習得しているのか? 学生時分は神殿の診療所でアルバイトしてたんでしょ?」
「【精神回復】の魔法は学園では習いませんし、神殿でも告解室に入って指導できる神父様クラスの御方しか習得していないと思います」
「告解室?」
「神殿には神様に『ごめんなさい』する部屋があるのです。告解室とか懺悔室とか言われています。そこで自分の罪を告白した後、神父様たちがその後どうすれば良いのかご指導くださるのです」
『♪ ちなみに告解室で自分の罪を告白しても、実際神が許しを与えることはありません。罰を与えることもしませんけどね。そもそも告白する以前に、下界のことはユグドラシルシステムの管理下にあるのですから、常に罪は平等に評価され、その人の
ステータスプレートに記載されてペナルティーとなっています』
『なんか身も蓋もない話だね』
『♪ でも『告解』に意味はありますよ。ステータスプレートに記載されないような軽犯罪の告白が大半ですので、神父が「神はお許しになられました。今後は悔い改めて、良き行いを心がけるのですよ」と指導すると、改心する者は多いのです』
『まぁそもそも罪を認めて、後悔しているから懺悔しているような人たちだろ? 盗賊たちみたいな重犯罪者はそんな部屋に行こうとも思わないだろう』
「まぁその辺の話はいいや。神殿に通って【精神回復】の魔法を掛けてもらうのも一つの手段かもしれないけど、俺の案を先に聞いてもらってエミリアの判断に任せよう。エミリアそれでいいか?」
こっそり俺が【精神回復】の魔法をエミリアに掛けていることはまだ言わない。さっき言ったとおり、事前に教えていたら掛ける度に思い出してしまい、悪化する可能性があるからだ。
「はい。ルークさまにお任せいたします。その案とやらをお聞かせくださいませ」
「エミリアのルークさまに対する態度が急に緩和されているようなのですが、お二人の間でなにかあったのでしょうか?」
でた! ミーファの焼きもちだが、俺もエミリアの素顔見せや男性恐怖症の経緯説明とかを急にしてきたことが気になっていた。
「ミーファお姉さま……実はシエラがルークさまが滞在中の間、自分がルークさまの専属に付きたいと申してきまして――」
「シエラが? それで?」
「シエラはルークさまの行動を逐一わたくしに報告してくるのです。最初は『お止めなさい』と言ったのですが、報告を聞いているうちにルークさまが今何をされているのかがだんだん気になってきまして――ララのことやシエラの報告、これまでのわたくしへの接し方やお母さまのことなど……信頼しても良いお方だと判断いたしました」
「シエラさんって俺の監視役だったの?」
「申し訳ありません! わたくし、どうしてもエミリアお嬢様のことが心配だったのです。人の噂などではなく、自分の目で判断したかったのです」
「いや、別に怒ってはいないけどね。それで、俺は合格なのかな?」
「はい。エミリアお嬢様との御婚約、公爵家使用人一同、心からお祝い申し上げます」
使用人一同って! 公爵家の関係者全員に報告してたってこと!?
* * *
「さて、何から話そうか。とりあえず、エミリアというより女子全員に関係することなので、生物的な話からしようかな。イリスが興味を持ちそうな『生物学』から話そう」
「生物学? 早く聞きたいです」
やっぱイリスは興味津々で楽しそうだね。
「みんなは生物の生きる目的って何だと思う?」
「「「生きる目的?」」」
「この世に生まれた時点で否応なしに『生きる』しか選択肢はないですよね? あえて言うなら、日々の生活が生きる目的とかでしょうか?」
「言い方が悪かったかな、う~ん言語化するのは難しいね……分かりやすい生物だと、オークやゴブリンたちは何のために生きている?」
「種の継続、子孫を残すために生きているのではないでしょうか?」
「シエラさん正解! あいつらは性に対して必死すぎて分かりやすいよね。でも根本的に生物全てに当てはまることが『種の継続』なんだ。これは昆虫だろうが、爬虫類だろうが、植物だろうが関係なく、生物全てに当てはまる本能的根源にあるものだね。勿論人間もね」
ちょっとみんなには難しいかな。
「じゃあ、生物が生きていくために絶対必要で、魂に刻み込まれたようなレベルで誰しもが生まれた瞬間本能的に備わっている『三大欲求』ってのがあるのは知っているかい?」
「欲求ですか? 食欲とか?」
「エミリア正解! はい後2つは?」
「物欲?」
「それは生物が生きるために必要ないものだね。むしろ7つの罪として数えられるものの1つだよ」
「性欲です!」
「エリカ正解! あと1つ」
最後の1つは誰からも正解はでなかった。
「じゃあ答え合わせね。まず最初にでた『食欲』、これは生命維持のために備わっている。ほとんどの赤ちゃんは生まれてすぐに母親のお乳を求めて行動を開始するよね。食べないとどんな生き物も数日で死んでしまう。次にでた『性欲』、これは『種の継続』のために必要なものだね。性欲がないと繁殖行為が行われず、生物は数を減らしてやがて絶滅する」
「「「確かにそうですわね」」」
「そして答えがでなかったのは『睡眠欲』、これも生命維持活動のために生物である以上必ず備わっている。人も眠っている間に体を休息させてHP/MPを回復させている。3~5日もずっと起きていたら、勝手に気絶するほど『睡眠』に対しての強制力は強い。植物学者の研究では、植物も眠っているそうだよ」
「「「なるほど~、これも納得です」」」
「必ず三大欲求をみんな持ってるけど、男女の性別や個人によって、求める欲求の強さが各々違うってのが問題なんだよね。ちなみに俺はなにが一番強いと思う?」
「「「食欲!」」」
「まぁ見たまんまだよね。普通は生命活動に直結するため、食欲>睡眠欲>性欲の順の欲求の強さになっていると思う。じゃあここからが俺の言いたい核心になってくるんだけど、『性欲』について生物学的に掘り下げてみよう」
「あ、その前にルーク殿下、お茶のお代わりはいかがでしょう?」
「あぁうん、お願いするよ。沢山喋ったので喉が渇いた」
すぐに用意されたのだが、シエラさんではなく、別の侍女2名が紅茶セットと焼き菓子のお茶請けをワゴンに乗せて運んできた。
侍女2名がみんなに配り終えたのだが、部屋から出て行かない。それどころか、入り口待機でもなく、シエラさんの後ろに控えている。
「シエラさん? その二人は?」
侍女たちは名乗りを上げるが、俺が聞きたいのは名前じゃない!
「お気になさらずに――ルーク殿下のお話がとても興味深いので、こういう話に目がない二人にも聞かせてあげようと思い呼んだ次第です。静かに控えさせますが、ご迷惑でしょうか?」
こういう話って……これから話すの、性欲についてだよ。
「まぁいいけどね」
「「ありがとうございます」」
「では先ほどの続きからね。三大欲求のうちの性欲についてだけど、さっきも言ったけど、この欲求がないと生物は繁殖しなくなっていずれ滅んでしまう。で、基本生物は『雄』と『雌』がある。人で言えば『男』と『女』、植物なら『雄蕊(おしべ)』と『雌蕊(めしべ)』だね。基本と言ったのは中には変わり者もいて、雌雄同体で雄と雌の機能を単一個体で持っているやつらもいる」
「えっ? 一人で勝手に増えることができる生物がいるのですか? あ、スライム!」
「スライムはまたちょっと違う生態だね。あれに雌雄はなく、分裂で増える。イリスが知ってそうな身近な生物だと、ミミズ・ナメクジ・カタツムリなんかが雌雄同体種だね」
「ミミズ! 意外な生物です。単独で増えるからミミズもナメクジもどこにでもいるんですね」
「いや違うよ、ミミズもナメクジも雄と雌の生殖能力を持っているけど、単体で増えることはないようだよ。必ず交尾をして子種の受け渡しを行うみたいだ。単体で増えないのにはちゃんと理由があるんだけど、これは後の話にもつながるのでその時に話すね」
イリス以外はあまりこの話に興味がなさそうだ。
「鳥類は交尾をして卵を産むよね? じゃあお昼に食べた両生類のカエルは?」
「カエルも雄と雌で交尾をして卵ですね。そして卵から孵ったものがおたまじゃくしで、だんだんカエルの姿に成長していきます」
「エミリアはよく勉強できてるね。じゃあミーファ、人は?」
「人は……その……あの……」
おや? ミーファさん! なんで人と意識したらそんなに恥ずかしがるのかな?
「生物の話をしてるんだから、意識し過ぎて恥ずかしがらないように! こっちまで照れるでしょ」
「ご、ごめんなさい」
「じゃあ、次はナタリーに答えてもらおうかな」
「えっと……人は男女でえっちして赤ちゃんを産みます……」
「間違ってはないけど、もっと生物学的、医学的に更に突っ込んだ答えで、次はイリス」
「はい、男女で交尾をし、男性が子種を女性の中に注ぎ込み、女性が妊娠して赤ちゃんを産みます」
「ほぼ正解だけど、実は人種の女性も卵を産む」
「「「えっ!? 卵?」」」
思った通りみんな驚いている。
「女性は『月のもの』、『生理』が月に1回あるでしょ。生理が始まって約2週間後に、赤ちゃんの部屋になる子宮に卵を産むというより出すんだよね。で、そこに男性が子種、精液を注ぎ込んで、卵に上手く男性の子種の情報を送り込む受精が成功して着床できれば、子宮内で赤ちゃんになって約10カ月後に産まれてくる。これが人の産まれる一連の流れだね」
「ルークさま、女性が卵って……流石にこれは嘘ですよね?」
「一番弟子のイリスが俺の言うこと信じてない! そんなに意外だった? しかたないなぁ~ミーファ、さっき俺がなにか嘘言ってた?」
「いいえ、一切の嘘はなかったです。わたくしの一級審問官としてのスキルに何の反応もありませんでした」
「「「卵?」」」
余計なこと言っちゃったかな。
エミリアの件とあまり関係のない話をしてしまい、ちょっと後の説明が面倒だと後悔するのであった。
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