第84話 イリスの気になっていた調合レシピ
介護娘たちから解体済みのカエルを引き取り、離れの小屋から移動する。
「ルークさま、この風属性の防御魔法は便利ですね」
相変わらず外は小雨がぱらついているが、風魔法を身に纏って弾いているので濡れることはない。
「初級の風魔法だからイリスも覚えたらどう?」
「う~ん、風魔法に充てる練習時間が勿体ないです。どうせなら水の加護を女神様から授かったので、水魔法の習得にその時間を充てたいです」
「そっか、まぁあれば便利だけど雨具使えばいいだけだし、濡れてもイリスなら【クリーン】で水分だけ飛ばせるもんね」
「はい。ところでこれからどのような作業をなさるのですか?」
「ほら、学生寮で薬草を粉にするの手伝ってもらったでしょ、あれを仕上げようかと思って」
「ああ、あれですか。私、あれからずっと気になっていたのですよ。あれってララさまのお腹のお薬ですよね?」
「ララ御嬢様はどこかお悪いのですか⁉」
一緒について回っている侍女が、慌てたように俺とイリスの会話に割って入ってきた。これまでほぼ無言だった人が急に後ろから大きな声を出したので、俺もイリスもちょっとビクッとなって驚いてしまった。
「イリス、あれは薬じゃないって言ったでしょ。あなたも心配しなくてもララは健康優良児だから安心して」
「お話に割り込んでしまい申し訳ありません」
「そんなに畏まらなくていいよ……」
隣国まで『オークプリンス』の悪名が知れ渡っているからね。下手に機嫌損ねないよう気を張ってるんだろうな。
介護人たちの小屋で作ろうかと思っていたが、備え付けの台所はお茶を沸かす程度のものなので手狭なのだ。なので公爵家の厨房を借りようと現在移動中だ。
* * *
厨房に到着し、調理長に許可を得て調理台に前回粉にして壺に入れておいたものを並べる。
「場所をお貸しするのは良いのですが、匂いは大丈夫でしょうか? 薬師様のお作りになる物の中には、調合時に口にしがたいほどもの凄い匂いを放つものも多いと聞いております」
密閉した壺に入っているにも拘わらず、いろんな匂いが漏れ出て漂い始めている。
そう言われれば、師匠の作る『滋養強壮剤』なんかは確かに調合時にヤバい匂いがする。薬師たちは慣れてしまっているが、調理師たちからすればたまったものではないのだろう。
「ああ、うん……ごめん。今回作るやつ、結構匂うと思う。でも、悪臭とかではなく、鼻をツンとさせるような刺激的な匂いかな」
「刺激臭ですか? 料理人にとって嗅覚も味覚同様美味しいものを作るために必要なものですので、ルーク殿下の調合中、我々は調理場から出ていても良いでしょうか? 鼻が馬鹿になってしまっては夕食に影響がでてしまいます」
刺激的な匂いであって、刺激臭ではないんだけどなぁ~。
「分かった。終えたら換気してから呼ぶので、それまで休憩していてくれ」
野菜刻むの手伝ってもらおうかと思っていたのに、鼻が馬鹿になると困ると逃げられてしまった。
『♪ その方が良いのではないですか? このレシピはもの凄くお金になるものですよ? 当然マスターならこの価値をご存じですよね?』
『価値は分かっているけど、利益が出るようにするには結構な手間と時間もかかるよね? 現状だと薬の素材だから高額過ぎて採算は取れない』
『♪ そうですね。薬師ギルドが薬の素材として扱っている程度です。商売として始めるには、冒険者ギルドに定期的にダンジョンでの採取依頼を出すか、現実的ではないですがもっと温暖な南の国で栽培してもらう必要があります』
『南国への栽培依頼は輸送コストとかも含めれば赤字確定なので、ナビーの言う通り現実的じゃないね。俺の資産運営ならコスメ商品と回復剤の販売だけでも十分利益は出るだろう。商売に精を出すより邪神討伐がまず先だよね』
『♪ 勿論そっちを優先してください。でもわざわざ調理人たちに教えてあげる必要はないと思います』
『俺としては一般にも公開して、いろんな場所で違う味を楽しみたいという考えもあるんだよね』
調理人が退出した後、介護の娘たちを呼んでもらった。やっぱ人手は欲しい。
さて、何人分作ろうかな――
『♪ まだ大きなフライパンや寸胴鍋を所持していませんので、この際公爵家の大きな鍋を借りて沢山作って【インベントリ】に保管しておくと良いのではないですか? ミスリル鋼を頂いた後ならナビーが錆びない焦げない調理道具を色々作って差し上げます』
『それは良いね。御代わりもするだろうし、今回は多めに作っておこうか』
使用人も多く、パーティーなどもよく行う公爵家の一番大きい鍋は、一度で300人分作れるサイズだそうだ。小学校の給食センターにある鍋のようにデカい。
今回は100人分ほどの寸胴鍋を借りることにした。
「じゃあ各種野菜の皮を剥いて、このくらいの大きさに切り揃えてくれるかな」
玉ねぎはみじん切りとくし形切りの2種類にしてもらう。
「「「お任せください」」」
「イリスはこっちね。基本になるのがこの6種類のスパイス」
クミン・コリアンダー・カルダモン・オールスパイス・チリペッパー・ターメリックを15:15:23:12:12:23の比率で混ぜ合わせる。
「それが秘伝の比率なのですね♪ で、これは何のお薬になるのですか?」
「だから、何度も言ってるけどこれは薬じゃないって。美味しい食べ物の調合レシピだよ。微妙な配分で全く違う味になるから、いろいろ試すのも面白いよ」
「えっ、本当にお薬じゃないのですか? でもこの材料、全てお腹に効能のあるものばかりですが――」
イリスの顔が明らかに残念そうな表情に変わった。
「基本がこの6種で、そこにジンジャー・ガーリック・シナモン・クローブ・ローレル・ブラックペッパーを隠し味程度に加える。どれも癖のある香辛料なので、配分が難しい。だから毎回計量して作り、美味しくできた時の配分は必ずメモしておくように。今回は甘口と中辛の2種類を作る」
配分どおり混ぜたものを大きなフライパンで乾煎りする。焦がさないように弱火でじっくり煎るのがコツだ。
「凄く良い匂いがします。12種類の薬草を使われるのですね。超贅沢です」
「まぁ、贅沢品ではあるね。辛さ調整はペッパー系を多めに入れると辛くなる。コクと深みを出すにはガーリックが良いけど、これも癖が強いから入れすぎると不味くなるんだよね」
薬じゃないと分かって残念そうにしていたイリスだが、良い匂いに釣られてだんだん興味が出てきたようだ。
乾煎りが終えたら火から外し、粗熱が取れたら大きな壺に入れ密閉保存する。
念のため風魔法で調理場の匂いを一度換気しておく。これなら料理長がふいに来ても嫌な顔はされないだろう。
「この壺1個分で何回も食べられる分量があるので、こうやって密閉して保存しておけば、次回からは結構簡単に調理できるようになるんだ」
「そうなんですか? 2、3回でなくなるならもの凄く大変な作業だと思っていたところです」
「具体的に言うと大さじ3杯ほどで班員1回分の夕飯ができる」
「たった3杯でですか? 水で薄めるのでしょうか?」
「まあ見てて、向こうも野菜を刻み終えたみたいなので、次の手順に進むよ」
壺を【インベントリ】に入れてナビーに指示を出す。
『ナビー、熟成室で1カ月ほど時間を進めてほしい』
『♪ 熟成室の熟練レベルが低いので、1カ月だと数日かかってしまいますが?』
『そうだった……じゃあ、俺が再度取り出すまでの時間でいいや、できるだけ時間を進めておいて』
『♪ 了解しました』
「野菜刻めたね。じゃあ、そっちの君たちはこれをすりおろしてくれるかな? イリスはこのお肉を一口大に切ってもらえる?」
2人来てもらっている介護の子たちの一人に玉ねぎをすりおろす作業をやってもらう。もう一人の娘はリンゴをすりおろしてもらう。すりおろし作業は結構重労働だよね。特に玉ねぎは目に染みる。
お肉は牛かオークかで迷ったが、今回は脂の少ない牛の赤身を使う。圧力鍋があるならすじ肉とか使っても美味しいよね。
その間に俺はご飯を5合ほど焚く準備をし、火にかける。それも見つつ、隣のコンロで大きなフライパン2つに菜種油をひいてみじん切りにした玉ねぎを飴色になるまでじっくり炒める。
「ルークさま、お肉刻めました」
「りんごと玉ねぎもすり終えました」
「ありがとう」
ちょうど玉ねぎも良い感じの飴色になったので、お肉を入れて再度炒める。
肉の表面の色が全体的に変わったら、切り刻んだにんじん、玉ねぎ、じゃがいもを加えて10分ほど中火で炒める。
量が多いので、炒めるだけでも結構大変だ。
≪ルークカレーレシピ≫(5人分目安)
牛角切り肉(ひと口大)200g
玉ねぎ(みじん切り)中1/2個(100g)分
玉ねぎ(くし型切り)中1個(200g)分
玉ねぎ(すりおろし)中1/2個(100g)分
じゃがいも(乱切り)大1個(200g)分
にんじん(乱切り)小1個(100g)分
りんご(すりおろし) 1/3個
はちみつ 中さじ1
菜種油 大さじ2と1/2
水 500ml
コンソメスープまたは鶏ガラスープ 200ml
塩 小さじ1
砂糖 大さじ1
【カレールウ】
サラダ油 大さじ1と中さじ1
バター 大さじ1
小麦粉 大さじ4
カレー粉 大さじ2
今回は100人分一気に作るので、この分量の20倍で計算すればいい。
炒めた素材にすりおろしたものと水とコンソメスープを加えて中火で煮る。
「ルークさま、コンソメスープはどうやって作ったものなのでしょう?」
「牛を煮込んでとったダシ汁なんだけど、時間がかかるからそれは今度ゆっくり教えるね」
イリスが匂いの良いコンソメスープに興味を持ったが、これは結構手間暇がかかるものなので後日と伝える。
「そうですか、ちゃんと教えてくださいね」
「じゃあ、君は灰汁が出てきたらすくって取り除いてもらえるかな」
「はい、分かりました」
その間に俺はカレールウを仕上げる。
大きなフライパンにサラダ油とバター、小麦粉(薄力粉)を入れ、焦がさないように薄いきつね色になるまで炒める。薄力粉は炒めているうちに油の温度が上がって焦げやすくなるため、後半は特に焦がさないように慎重に炒めるのがコツだ。
きつね色になったら火を止めて、フライパンを濡れぶきんの上で冷やし、カレー粉を加えてよく混ぜ合わせてカレールウを作る。温度を下げてからカレー粉を加えることで、カレー粉本来の香りを損なわずおいしく仕上がるそうだ。
「ルーク様、お野菜が軟らかく煮えました」
「じゃあ、一度火を止めておいて。ちょうどご飯も炊きあがったようだ」
野菜を煮ている煮汁をおたまで数回に分けてルウに加え、均一にのばしてから、煮込み終わって火を止めた寸胴鍋に入れる。ルウをよく溶かし混ぜてから再び火をつけ、軽く煮込んでとろみがついたら、塩、砂糖、ハチミツを入れ味を調える。
味を調えている段階だが、すでにめちゃくちゃ美味しい!
「イリス、ちょっと味見してみる?」
「味見したいです!」
小皿に少量ずつ入れて、中辛と甘口の2種類の味をみてもらう。
「美味しい。ちょっと舌がピリッとしますが、とっても美味しいです」
イリスは甘口の方が好みのようだ。
手伝ってもらった介護娘の2名と、ついて回っている侍女にも味見をしてもらう。
「「美味しいです!」」
「これは何て言う料理なのでしょう? 初めて食べる料理ですが、スパイスが効いて癖になるお味ですね」
「カレーという南国の料理を俺好みにしたものだよ」
日本のカレーと本場のカレーは実はかなり違う。俺が今回作ったのは、日本人の舌に合わせた万人受けする日本の味なのだ。
手伝ってくれた介護娘に9杯分のカレーを鍋に入れてあげ、焚き上げた米4合分とパンを3個持たせてあげる。
「小屋で留守番している娘にも持っていって食べさせてあげて。ご飯にかけて食べても美味しいし、パンも合うよ」
「「ルークさま、ありがとうございます♪」」
お手伝い賃として持たせてあげたら、介護娘たち大歓喜である。
今回作ったカレーは【インベントリ】ではなく普通の【亜空間倉庫】の方に入れ1日寝かす予定だ。その方がルウが馴染んでコクのあるカレーになるからね。
厨房を換気し、匂いを消してから料理長たちに声を掛ける。
丁度その時、ナタリーが俺を呼びにきた。
エミリアがサーシャさんの入浴前に俺と話がしたいそうだ。
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新年あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。
新年早々、カレー作製話で1話使ってしまったw
次回こそエミリア回に――
今回の調合レシピは、S&B食品さまの公式サイトに掲載されているものをまんま参考にいたしました。自社で販売しているスパイス製品で美味しいカレーが作れますよという趣旨のようです。気になった方はぜひ自分で作ってみてください。
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