7.真実と決断

 衝撃の真実から覚める間もなく、クロガネは再度確認する。

「人間を産むことが出来るって、美優には本物の子宮が内蔵されているのか?」

「――その通りだ。ちなみに子宮はクローン培養されたものではないし、第三者の腹を掻っ捌いて盗んだものじゃない。どちらも非人道的で倫理的にアウトだ」

「お前が言うな」

 自身の脳をクローン増殖している狂人が倫理を語っても説得力がない。

「それじゃあ、一体誰の……」と言ったところで、クロガネが「まさか……」と気付く。

「――そのまさかさ。安藤美優には、。ついでに言うと、AIにも生体素子バイオチップとして。やたら学習能力が高いのはそのためだ。特別なプログラムを組まなくてもAI自身が勝手に学習して情報の並列処理が出来るからね。〈サイバーマーメイド〉とのリンク機能も護身用の他に学習補助も目的としている」

 言葉を失う一同の前で、

「――昔々、とある女の子が居ました」

 唐突に、朗々とデルタゼロは昔話を始める。


 心臓に不治の病を抱えた天才科学者の女の子。彼女の夢はとても素朴で他愛もない当たり前のものでしたが、とてもとても尊いものでした。

「素敵な旦那様のお嫁さんになりたい」

「素敵なお母さんになりたい」

「素敵な家族と共に幸せに暮らしたい」

 ですが、その尊い夢は侵された病に蝕まれ、叶わないものと知ります。

 そこで世界でもトップクラスの企業を実家に持つ彼女は、その潤沢な資金を使って一体のガイノイドを造りました。機械で出来ていることを除けば彼女の素敵な娘です。

 そのガイノイドに少女は自身の夢を託します。

「私に代わって素敵な旦那様と添い遂げなさい」

「私に代わって素敵な母親になりなさい」

「私に代わって素敵な家族と共に幸せに生きなさい」

 とある魔法使いが造った機械の体に、母親である少女から心と夢を授けられ、ガイノイドはついに目覚めます。

『人は憂う心があるからこそ優しくなれる美しい生き物だ』

 母親から『美優』と名付けられたガイノイドは母親に託された『夢』の意味を理解するため、魔法使いの助言を聞いての元へ向かいます。


「――かくして安藤美優はクロガネ探偵事務所に転がり込み、そこでなんやかんやあった挙句、母親の兄でもある恐ろしい魔王の手に落ちてしまいました。ちゃんちゃん♪ 次回を待て」

「いや、お前が待て」

 クロガネは頭痛を堪えるかのようにこめかみを押さえる。

「色々ツッコミ所はあるが、初恋の相手が俺というのは?」

「あ、まずそこなんだ」と真奈。

「――彼女は病弱で箱入りだったからね。父親と兄を除けば、歳が近くて親身に接してくれた男性は君以外に居なかった。何より決定的だったのは、?」

 図らずも疑似心臓を移植した経緯を知った清水はクロガネを見た。

 クロガネは無意識に手を胸に当てる。

「――ちなみに、他に君のどこが良かったのかについては、硬く口止めされているのでご了承を」

「ちっ」真奈が舌打ちした。

「とりあえず、美優が母親の夢を叶えるために造られたのは解った。そのために莉緒お嬢様の子宮を引き継いだのも」

「――お嬢様にはもう時間がなかった。例え倫理に反していたとしても、一人の女性として自分の子を授かりたかったのだと思う。ただ、クローンに手を出したり第三者を攫ったりしなかったのは彼女なりの良心であり、彼女が良識的な科学者であったことは理解してほしい」

「解っている」力強く頷くクロガネ。

 極めて残酷な視点で見れば、どちらの方法もコストが安くて済むというメリットがある。だが前者はクローンといえども一つの命、勝手な都合で必要な器官だけを切り取って残りは破棄という非人道的な手段を獅子堂莉緒は取らなかったのだ。後者は当然論外である。

「でもこれは悪い言い方になるけど、見方によっては美優ちゃんの意思を無視して自分の夢を押し付けたようにも捉えられるわね。美優ちゃんにも人間らしい感情があるんだから」

 真奈の指摘にデルタゼロは頷く。

「――確かに開発者である莉緒お嬢様はご自身の夢を美優に託されたが、美優のAIには自律思考型の学習機能がデフォルトで備え付けてある。人間と同じように自分の意思で考え、選択する余地があることは理解してほしいね」

 遠回しに「美優が自分の意思で選んだことに文句を言うな」と言われて真奈は引き下がる。

「――余談だが、美優も『母親の初恋の相手』に興味があったらしい。とはいえ、最終的にクロガネ以外の男性を選ぶ可能性も考えられるわけだが(チラ)」

「何故そこで俺を見る?(困惑)」

「甘酸っぱい話は置いといて、黒沢の元に預けた本当の理由は?」

 クロガネの疑問を無視して清水が訊ねた。

「――それは単純に安心して預けられる者が他に居なかったからだよ。この点に関して言えば、概ねクロガネの推理通りだ」

「預かる期間が一週間なのは?」とクロガネ。

「――その理由は二つある。まず一つ目、獅子堂家当主である獅子堂光彦殿が現在海外出張中なのは知っているな? その出張期間が一週間だったからそれに合わせた。一週間後、当主殿がお帰りになった際に、美優は莉緒お嬢様に託された『夢』について自身が得た『答え』を報告する段取りだったのさ」

「では、偽りとはいえ〈日乃本ナナ〉が稼働するまでの期間と重なっていたのは……」

「――うん、それは偶然たまたま重なっただけで何の関連性もないよ」

「「何てこった……」」

 クロガネと清水は同時に呻いた。前者は安藤美優=〈サイバーマーメイド・日乃本ナナ〉と深読みして堂々と誤った推理を披露してしまい、後者は何らかの関係性があれば無意味な警備をしている警察官たちも報われると考えていた。だというのに、現実は無情である。

「――どちらかといえば、二つ目の方が重要だけどね」

「それは?」

「――彼女が今使用している義体は子宮の保護と保存に特化した造りになっている。ちなみに僕は『貞操帯仕様』と呼んでいる」

 いかにも風俗店経営者らしいネーミングだ。

「――そのコンセプトは頑丈な身体を容器代わりに特殊な栄養液で子宮を満たして細胞の健康状態を維持するというものだ。ただ、この栄養液は定期的に交換しないといけなくてね。多少の余裕を持たせても目安としては一週間が限界というわけだ」

「超重要じゃねぇか……!」

 新たな事実に一同は驚愕し、焦燥感が加速する。まだ時間に余裕があるとはいえ、楽観はできない。万一にも栄養液が漏れ出すような最悪の事態だけはあってはならないのだ。

「――他に質問はあるかい?」

「依頼そのものが偽りなら、報酬の三千万円はどうなる?」

「「三千万ッ!?」」

 破格すぎる金額に、真奈と清水が揃って驚きの声を上げた。

「――予定通りに一週間、彼女の面倒を見てくれたらちゃんと支払う予定だったよ」

 つまり、美優を救い出して依頼を続行させれば報酬は必ず支払われるということだ。

「国からの依頼は嘘なんだろ? そんな大金はどこから?」

「――僕の口座から。厳密には安藤美優の開発費として蓄えていた莉緒お嬢様の口座を共同開発者である僕が管理している。お嬢様が生前に美優の将来のことを考えて遺してくれたお金だ」

 まだ二十歳にも満たない少女だったのに随分としっかりしている。否、どんな形であれ自分の子を持つ親とは年齢に関係なくしっかりするものなのだろう。

「――それと今更だが、あの変態お坊ちゃまの目と耳に入らないようにするために僕があれこれ暗躍していたから、ご当主も美優の存在は知らないままだ。仮に美優を救い出した場合、出張から帰って来たご当主に美優自身の存在を証明することになる。その時は証人としてクロガネにも同席して貰いたい」

「何それ初耳」驚愕し困惑するクロガネに対し、

「――今言ったからな。とはいえ……」

 飄々とするデルタゼロだが、声のトーンが少し暗くなる。

「――ここまで話した通り、今回の依頼は偽りだ。どこでどうやって美優の情報を仕入れたかまでは不明だが、獅子堂玲雄の介入により関係ない人間が一人死に、君たちは負傷し、美優は回収された。

 ――発端は獅子堂莉緒の個人的な願望だが本人はすでに死亡している上に、美優は獅子堂家が所有するガイノイドだ。本来であれば、たかが機械人形一体に命を懸ける義理も道理もない上にメリットもない。いくら報酬が破格でも命には代えられないだろう」

 一度言葉を切り、デルタゼロはクロガネに向き直る。

「――以上を踏まえて改めて訊ねるよ。黒沢鉄哉、君は獅子堂家に喧嘩を売ってまで安藤美優を助けに行くのかい?」

「いいや、助けに行くわけじゃない」

 クロガネは首を横に振って即答した。

「会いに行くんだ」

 その迷いのない返答に、眼差しに、デルタゼロは動きを止めた。やや間を置いて再び訊ねる。

「――会ってどうするんだい?」

「それは美優次第だ」

「――何?」

「依頼を継続するのか、しないのか。前者なら死力を尽くして彼女を助けるだけだし、後者ならキャンセル料を貰って立ち去るだけだ」

「――彼女の元に至るまで立ちはだかる者がいたら?」

「蹴散らすだけだ」

 真実を知って尚も、決して揺らがない鉄の信念。

 真奈は呆れたような困ったような苦笑をするだけで止めはせず。

 清水はうんざりとした表情を隠そうともせず。

 ただ、「こいつはこういう奴なんだ」と言わんばかりな確信を帯びた視線をクロガネに送っていた。

「――仕事熱心だね、そこの刑事さんに負けず劣らず……いや、

「能書きは良いから早く美優の居場所を教えろ」

 クロガネが急かすと、近くで待機してたガイノイドがPIDを取り出して立体地図のホロディスプレイを展開させる。

「――東区の高級ホテル『バベル』、ここの最上階、スイートルームに玲雄坊ちゃんと美優が居る」

 工房全体の照明を少し暗くさせて見やすくなった鋼和市の立体地図の一部が赤く点滅し、その場所を拡大する。高さ約二五五メートル、地上五二階の高層ホテルだ。

「――獅子堂重工傘下のホテルゆえに従業員全員が獅子堂の関係者。宿泊客も表裏問わず金持ちが中心。早い話が獅子堂玲雄を城主とする彼の根城だ。ここ数日はこのホテルを丸ごと貸し切っているため、ここに居る人間すべてが敵と言ってもいい」

 次にホテル全体と各階の見取り図を投影し、防犯カメラの設置場所と視界も解りやすくマーキングされている。

「――腐っても獅子堂の跡取り息子だ、坊ちゃんを護るセキュリティはおよそ五〇人ほど。全員が拳銃で武装している。さすがに屋内であるため、長物や爆発物は持ち込んでいない。脅威となり得るのはサブマシンガン程度だろう」

 三六〇度見取り図を回転させて、各階の防衛に就いているセキュリティ達の大まかな位置を赤いポイントで示している。

「――言うまでもないが、ポイントやマーカーはあくまで目安だ。くれぐれも過信するなよ。次に最大の障害となるゼロナンバーだが、坊ちゃんの側近兼護衛を務める〈アルファゼロ/アサシン〉だ」

 見取り図が消え、今度は佐藤=〈アルファゼロ/アサシン〉の顔写真が投影される。

「――もう何回か闘っているから知っているだろうが、優秀なデミ・サイボーグだ。元々は民間軍事会社PMCの傭兵で過去に対サイボーグ戦を二度、対生物兵器BOW戦を一度経験し、四肢を欠損しながらも生還した。その辺の経歴を買われて獅子堂家に引き抜かれたらしいけど、実際は新しい義肢の被験者モルモットとして選ばれたのだろうな。

 ――両手足が軍用の機械義肢の上に両目ともに義眼、いずれも獅子堂重工製の高性能なものだ。機械化はギリギリ四割の範囲内に収まっているが、性能面は五割越えのサイボーグと言っても過言ではない。くれぐれも気を付けてくれ」

 次に投影された映像は記憶に新しいオートマタ〈ヒトガタ〉だ。

「――それとお坊ちゃんはプライベートでは犯罪組織の人間と繋がっている。特に世界中のあちこちで密造されている〈ヒトガタ〉を独自ルートで複数所持しているらしいから、先のアルファゼロも併せて対オートマタ・サイボーグ戦は避けられないだろう」

「ん?」

 そこまで話を聞いたところで、クロガネは疑問の声を上げた。

「話の腰を折って悪いが、佐藤――アルファゼロは獅子堂の屋敷から〈ヒトガタ〉を持ち出したと言っていたが、あれはご当主の私物じゃないのか?」

「――ご当主の私物なら出処がはっきりしている。例えベストセラーの量産機といえど、犯罪に関与してそうなものは絶対に買わないよ」

 つまり、例の〈ヒトガタ〉三体は獅子堂玲雄の私物であり、その出処も彼と繋がっていると見られる犯罪組織のようだ。気になる情報だが、今は美優の方を優先だ。

「――そもそもご当主がオートマタを集め始めたのはお嬢様が亡くなられてからだ。〈ドッペルゲンガー〉を求めたのも、お嬢様の生き写しが欲しかっただけなのかもしれないな。

 ――さて、もう一度訊くけど、本当に行くのかい?」

「無論だ」

「――ではこれを」

 クロガネが即答すると、彼の傍に現れたアンドロイドが手にしていた衣装一式を差し出してくる。

「――僕が人間の身体を捨てるまでに着ていたゼロナンバー専用の制服だ。デザインは今と変わっていないし、見た目はセキュリティと似たようなスーツだから自然に潜入できるだろう。サイズは今の君に合わせて仕立て直してある」

「いつの間に……」

「――君たちにここへ来るよう連絡した時にこう、ちょちょいとね」

 用意周到というより完全な確信犯だ。クロガネが殴り込む前提で準備を進めていたことに一同は呆れる。

「――そんな顔をするなよ。坊ちゃんにお灸を据えるためなら僕は協力を惜しまないと言った筈だ」

「それなら武器も揃えたいんだが」スーツを受け取ったクロガネのオーダーに、

「――もちろん、そちらも用意してある」

 デルタゼロ――〈ドッペルゲンガー〉とアンドロイド/ガイノイドは揃って人差し指を天井に向けた。

「――君が欲しいものは上の階にある。そして突然だが、ドクター真奈と清水刑事はここで解散して頂こう」

「何で(だと)?」

 突然の提案に疑問を口にする二人だったが、デルタゼロは冷静に首を振る。

「――ここから先は戦争だ。それに怪我の具合もさることながら、清水刑事の方は流石にこれ以上の単独行動はマズイのでは?」

「うぐ……」痛いところを突かれて清水は呻いた。

 問題児であるクロガネが天下の獅子堂相手に喧嘩を売り、それに刑事である清水が加担したとあっては警察の面子も丸潰れどころの話ではない。

「あーそれはあれだ、未成年の少女をホテルに連れ込んだ目撃情報があったと事情聴取する体で行けばワンチャン」

「――いや、ないね(な)(わね)」

 全員からダメ出しを喰らう。

「六対四の確率で門前払いは確実だな」

「四割あれば試してみる価値はあるだろ」

「――いや、その四割は即射殺なのだよ」

「極端すぎんだろッ」

 裏社会ではよくあることだ。

「それにそろそろ上司に報告しないといけない頃合いだろ? 入院そっちのけで俺と海堂に話を聞きに来といてこんな如何わしい店に居るんだから」

「その通りだが、改めて口にすると酷いなそれ……」

 渋々引き下がる清水だったが、険しい視線をクロガネに向ける。

「個人的に止める気はないが、今回ばかりは相手が相手だ。いくらお前でも誰も殺さずに事を収められるとは思えん。大丈夫なのか?」

 ライセンス持ちで正当防衛であると立証できれば、クロガネは相手を殺しても罪に問われない。だからこそ仲間としてではなく、あえて一警察官のスタンスとして清水はクロガネに問い掛ける。

「……そうだな。確かに便が、俺自身が追い詰められれば敵を殺すし、必要だと思えば何者の命も断つ。そこに迷いも躊躇いもないよ」

 清水の顔が更に険しくなり、真奈は少し悲しげに俯く。

 クロガネは慎重に言葉を選び、偽りなく本心で語った。それがここまで付き合ってくれたお人好し達に対する礼儀だ。

「だけど、これだけははっきり言える。俺は――黒沢鉄哉は殺人鬼でも殺し屋でもない、探偵だ。それに今回ばかりは美優の手前、

「……どうして?」

 決まっていると言わんばかりに即答する。

「教育に悪いだろ?」

 全員が呆気に取られ、沈黙が訪れる。そして――

「――あはっ」

 デルタゼロ(INドッペルゲンガー)が唐突に噴き出し、爆笑した。

「――あはははははははははははははははははははははは!(首がくがく)」

「「「その笑い方ヤメロォッ!」」」

 ……トラウマになっていた。



 真奈と清水を見送るためにデルタゼロ(INアンドロイド)は駐車場まで付いてきた。

「――いやぁ、まさか彼の口からあんな言葉が出るとは思わなかった。しっかり記録しておこう」

「そんなに面白かったのか?」

 清水は首を傾げる。美優は学習AIを搭載したガイノイドだ。一定期間の保護と護衛の依頼には彼女の教育も含まれており、クロガネの発言は保護責任者として当然といえる。

「――面白いというより意外だった。彼は美優のことを人間と同等に第一に考えてくれている。仮にだけどクロガネが今回の件で敵を殺したとしようか。自分が原因で死人が出たら彼女は一生後悔を背負うどころか、彼女自身や同胞の未来にも禍根を遺しかねない事態になるだろうね」

「……ああ、なるほど。そういうことか」

 アンドロイドもガイノイドも人間のために造られた存在であり、その大前提を覆す事象があってはならない。いくら美優が特別とはいえ、一度でも前例を作ってしまえば現在のオートマタやアンドロイド/ガイノイドに関する法令が見直され、彼女の存在意義に関わってしまう恐れがあるのだ。

「――そうならないためにも、クロガネは今回の件を誰一人殺めずに解決しようとしている。まったく、本当に無茶苦茶な話だよ」

「……と言いながらも嬉しそうね」

「――嬉しいとも、ドクター真奈。やはり彼の元に預けて正解だった」

 ふと、素朴な疑問を真奈は抱いた。

「……ねぇ、強くて美優ちゃんの開発者と知り合いだった以外に、鉄哉に預けた理由とかあったりする?」

「――あるとしたら、それは個人的なものだ。僕は彼に対して贔屓目なのだよ」

「それは何故?」

 デルタゼロは急に立ち止まる。数歩先で真奈と清水が振り返った。

「――君たちは僕の正体を知った時、どう思った?」

 問われた二人は顔を見合わせ、気まずそうな表情を作る。

「……その、怖くて不気味というか、狂っているなと」

「すまん、ゲロ吐くほど気持ち悪かった」

「――正直でよろしい」うんうんと頷くデルタゼロ。

「――では、彼から僕に関する前情報を聞いていなかったかい?」

「……狂人、と」

「――Exactly!(その通りだ!)」

 二人が驚くのも気にせず、突然叫び出した狂人は、デルタゼロは、実に嬉しそうな満面の笑みを浮かべた。

「――夢を追い求めた果てに! 脳味噌だけになった僕を! 大抵の人間は僕を忌み嫌い目を逸らして化物呼ばわりするのが当然であるにも拘らず! 彼だけは僕をまっすぐ見据えて『狂人』と言ってくれたんだ! 解るかい? 確かに僕は狂っている! それを踏まえた上で彼は僕のことを『人』扱いしてくれたんだ!」

 狂っていても人であり、人間である以上は不老不死に憧れもする。それは普通のことだとクロガネは言った。

「――彼にとっては特に深い意味などないのだろうけど、そう言ってくれたのが何だか嬉しくてね。人の身体を捨てたことに未練も後悔もない、化物呼ばわりは覚悟の上だった。にも拘わらず、僕自身が望んで捨てたものを大切に預かっているような、繋ぎ止めてくれているような気がしたんだ」

 真顔で話を聞いていた二人に、ニヤリと笑みを見せる。

「――ただ、僕だけじゃない。きっと他のゼロナンバーも彼のことを好意的に捉えている者は多いと思う」

「ゼロナンバーが?」

「――奇人変人達人魔人狂人……彼はそう表現していなかったかい?」

「ああ、ボロクソに言ってたな」

「……でも、『人』として扱っていたわね」

「――だからこそ、美優を預けたんだ」


 …………。(ほっこり)


「あー、良い話に水を差して悪いんだがな」

「――何だい? ゲロ刑事(不機嫌)」

「このKYデカ、少しは空気読みなさいよ(不機嫌)」

「ひでぇ言い草だなおい(怒)」

 デルタゼロと真奈のブーイングに清水は耐える。

「……ここまで来て、ようやっと黒沢のことが解って来たんだ」

 気を取り直してそう切り出すと、話の内容に察しが付いたのか真奈とデルタゼロも表情を引き締めた。

「探偵を始める前のあいつは、もしかして……」

 恐る恐る訊ねる清水に、デルタゼロは頷く。

「――もしかしなくても、

 清水は真顔で真奈に向き直る。

「……海堂女史は知ってたか?」

「ええ、彼の担当医だもの。獅子堂の屋敷にも何回か行ったことがあるわ」

「……知らぬは俺だけかぁ」

「そうペラペラと話せる経歴じゃないでしょ」

 ごもっともな正論に何も言えない。

「――だからこそ同席して貰ったんだ。今回ばかりは獅子堂玲雄の勝手で巻き込まれたこともあるし、君たちは今の彼が帰る場所の住人だからね。僕が思うに、そちら側に居る彼はとても活き活きしている」

「借金を返すのに四苦八苦しているの間違いじゃねぇのか?」

「――それでも充実しているのは良いことだ。返済先がドクター真奈というだけでも救いだよ」

「そうね、この先も完済せずにずっと私の世話をしてくれたらお互いお得よね」

 うんうんと頷く真奈。

「……いや、流石にそれはどうかと思う」

「――前言撤回。やはり苦労しているな、彼は。後で腕の良い弁護士でも紹介しておこう」

「何でッ!?」

 揃って溜息をついた清水とデルタゼロに、真奈は疑問の声を上げた。


 ***


 一方、『アイアンテイル』に一人残ったクロガネは、デルタゼロ(INガイノイド)に連れられ、とある一室に案内された。

「……あのさ」

「――何だい?」

「この部屋は一体?」

「――ドアに書いてあっただろ? 『軍人プレイ室』って」

 そこは軍司令部の作戦室のような部屋であった。テーブルに世界地図が広げられ、その上に赤と青の二色に分かれた戦車や戦闘機、軍艦などのミニチュアが置かれている。

 壁には大量の銃火器の他に士官の制服や迷彩服などが整然と並べられ、軍用携帯食料レーションや水の入ったペットボトルまで完備されていた。

 反対側には室内なのにカーキ色のテントまで張られてある。

 まるで戦争映画のセットを一部屋にまとめたかのような様相を現していた。

「いや、ここで何をするのかがよく解らない」

「――おや、珍しい。ゼロナンバーを引退して想像力が鈍ったかい? ここはその名の通り軍人ごっこが楽しめるプレイルームだ。絶望的な決戦前夜という設定で美人な女将校と熱い情交を結んだり、美人な女軍曹から鬼畜な筋トレを強制されたり、踏まれたり、罵倒されたり、蔑まれたり、物理的な意味で尻に敷かれたり、ご褒美に逆レイプされたりするミリタリーチックなエロシチュエーションを体感できるお愉しみ部屋だよ。見れば解るだろう?」

「見ても解らねぇよ」

 本心だった。そして説明が長い。

「それで、ここに連れて来た理由は?」

「――そこに銃が沢山あるじゃろ?」

「ああ」

 壁一面に置いてある大量の銃火器を指差すデルタゼロに頷く。

 エアガンだろうか、やたらリアルな外観はさすが日本製だと言わざるを得ない。

「――

「バッカじゃねぇの!?」

 心の叫びだった。

「え、何? お前、素人の客相手に実銃を触らせてんの?」

「――ウチは人形も含めてリアリティ重視を経営理念として掲げているから」

 清水を先に帰した理由が解った気がする。

「だからって本物を貸し出す奴がいるか。家宅捜査でもされてみろ、銃刀法違反で店が潰れるぞ」

「――心配無用だ。実弾は一切貸し与えていないし、手榴弾は全部ダミーだ。銃も映画撮影用のモデルガンやプロップガンということで押し通すから問題ない。それはそうと」

 呆れるクロガネを尻目に、デルタゼロはクロガネが持っているスーツを指差す。

「――早いところ着替えなよ。こちらも準備するから」

「……ああ、そうだな」

 左袖が破れた上着を脱いだところで、

「いや待て」

 何故か目の前のデルタゼロ――容姿が整ったガイノイドまでもが一緒に服を脱ぎ始めた。

「何故お前まで脱ぐ?」

「――いや、雰囲気作りは大事かなと」

 デルタゼロ(INガイノイド)は士官の制服や迷彩服を指差すと、脱衣を再開する。

 着ていたスーツを脱ぎ捨て、ブラジャーとショーツだけの下着姿になるガイノイド。出るところは出て、引っ込んでいるところは引っ込んでいる辺り流石は〈ドールメーカー〉、良い仕事だ。

「おっと」

 思わず見入ってしまったクロガネは我に返り、背中を向けて自身の着替えを再開する。

 機能性に優れた黒のスポーツブラだったことから、あのガイノイドはこの部屋の担当なのかもしれない……と、割とどうでもいいことを考える。

 しっかりと見ている辺り、クロガネも男である。

「――なぁ、優秀な上官風の制服と鬼軍曹風の野戦服、どっちが良い?」

 背中にデルタゼロの質問が投げ掛けられる。

「制服の方で、ッ……!」

 ネクタイを結わえたワイシャツの上に黒いベストを着込む。少し窮屈な造りで折れた肋骨が痛んだ。

「――ほほう、君はソッチの方がお好みかい?」

「いや、作戦の確認もするなら優秀な上官の方が良い」

 ネクタイの位置を調整し、襟を正す。

「――なるほど。確かに訓練シーン以外の鬼軍曹はめんどくさそうだ」

「まさか、役にまでなり切るのか?」

 上着を羽織ると、左袖の表地と裏地の間にファスナーが仕込まれていることに気付く。

「――『深刻な作戦ほどユーモアが大事、ガチガチに緊張してしまうより幾分の遊びと余裕を』……ゼロナンバーのモットーだろ?」

「引退してから気付いたんだが、そんなんだから奇人変人共の集まりなんだよ」

 ファスナーを上げると肘の辺りで止まり、スリット状に開いた袖を捲り上げる。

「――君だってかつてはその中に居たんだよ」

「……そうだったな」

 さらにワイシャツ左袖口のボタンを外して捲り上げる。傷だらけの義手が露わになった。

「――黒歴史かい?」

「いや? 恥も後悔もないさ」

 捲った袖を戻してファスナーを下ろし、シワを伸ばす。

「――そういうところが君の美点だね」

「何?」

「――いや、こちらの話だ。準備完了だ」

「ああ、俺もだ」振り返る。

 黒いスーツを身に纏ったクロガネに、白い士官の制服に着替えたガイノイドが歩み寄る。

「――着心地はどうだい?」

「悪くない。サイズもピッタリだ」

「――少しばかりアレンジを加えてみた。左袖にファスナーが仕込んである」

 クロガネの左腕を指差す。

「ああ、さっき気付いた」

「――切り札である『破械の左手』が使いやすいようにスリットを設けたんだ。腕捲りもし易いだろう?」

「確かに」再び腕捲りをして義手を見せた後、元に戻す。

「――スーツ一式の表地と裏地の間には最新式のボディアーマーを縫い込んである。セラミックス複合材と炭化ケイ素を重ね合わせたもので銃弾は貫通しない。とはいえ」

 デルタゼロは胸に手を当ててしかめっ面を見せた。

「――当たれば激痛が」

「だろうな」

「――今の君は肋骨が折れている。ギプス代わりのベストにも同じアーマーを仕込んではいるが気を付けろ」

 スーツの確認を終え、次は装備の選択に移る。

 デルタゼロはテーブルの下からジェラルミンケースを取り出した。

「――獅子堂のセキュリティは全員、四五口径のハンドガンを装備している。現地での弾薬調達も兼ねてこちらも四五口径で行くべきだろう。そこでこれだ」

 ダイヤル錠を解いてケースの蓋を開ける。そこには改造が施されたガバメント・クローンが収められていた。

「――キンバー1911。ゼロナンバー時代の君が愛用していた四五口径自動拳銃だ。勝手ながら実戦向けにマイナーチェンジを施してある」

 クロガネはキンバーを手に取る。グリップから弾倉を抜いてスライドを引き、薬室に初弾が装填されていないことを確認して両手で構えた。

「――ハイグリップ用にトリガーガードの付け根を削り込み、あえて単列式のシングルカアラムの弾倉を採用してホールドしやすくしている。ダブルカアラムの方が弾を多く込められるけど、複列式でグリップ幅も太くなると握りづらくなるからね」

 説明を聞きながら空弾倉の装填と排出を繰り返し、リロードの感覚を身体に覚え込ませる。

「――リロードも素早く出来るよう、マグウェルを広く取ってある。弾倉はロングタイプで装弾数は十四発だ」

「グリップセーフティはオミットしたのか?」

「――その通り。安全装置が多いのはガバメント唯一の欠点だ、サムセーフティがあれば充分だろう。指が掛けやすいように延長し、左手でも操作できるアンビタイプにしてある。スライドストップも延長してあるから確実な操作が可能だ」

 言われてスライドを開いた状態にし、スライドストップを親指で下ろしてスライドを閉じる。左右交互に持ち替えて安全装置の具合を確かめる。

「――サイトシステムも白いドットが入ったオリジナルだ。フロントサイトを大型のものに交換してあるから、サプレッサーを装着していても狙いが付けやすい」

 身体の前で瞬時に持ち手を替え、両肘を畳んだまま左右交互に構える。

「……良い仕事だ」

 やがてクロガネは満足げに弾倉を抜き、キンバーをテーブルの上に置いた。

「――バックアップはどうする?」

「こいつで良い。メンテナンスと弾を頼めるか?」

 クロガネが小型リボルバーと空のスピードローダーを数個取り出してテーブルに置く。

「――三八口径、『ボディガード』か。キンバーと同じ口径の銃が良いのでは? 弾薬が共用できた方が心強いだろ?」

弾詰まりジャムが起きた時のバックアップは、リボルバーほど心強いものはない」

 リボルバーはその構造上故障が起きにくく、弾詰まりもないため信頼性が高いのだ。

「――一理ある。他でもない君の選択だ、尊重しよう」

 三八口径の弾丸が入った箱を置くや否や、デルタゼロはリボルバーのメンテナンスを始めた。クロガネもスピードローダーに弾丸をセットする。

「――終了っ」リボルバーのグリップを向けて差し出すデルタゼロ。

「早いよッ」

「――リボルバーは手入れが簡単だからね」

 受け取ったリボルバーの弾倉を振り出す。銃身内部にも弾倉にも煤汚れが一切なく、潤滑が必要な各所には新しいガンオイルが差されており、蓮根状の弾倉が軽快に回転する。整備に手を抜いていないことが一目で見て取れた。箱から弾丸を摘まみ取って一発ずつ弾倉に装填し、フレームを傷めないよう静かに弾倉を戻す。ホルスターに収め、同じく弾丸を装填したスピードローダーもポケットへ入れる。

「――ついでに言うと、その弾薬は強装弾だ。威力は通常の倍以上、三五七マグナム並みの反動が出るだろうから気を付けろ」

「解った。キンバーには殺傷力ゼロのものをくれ」

 デルタゼロが訝しげに片眉を跳ね上げた。

「――殺さない前提とはいえ、そこまでするのかい? セキュリティのスーツは防弾ではないから、手足を撃ち抜けば良いのでは?」

「――ああ、なるほど納得。非殺傷性の弾頭はプラスチック製とゴム製の二種類あるけど」

「ゴム製で。プラより重いからストッピングパワーも期待できる」

「――妥当な判断だ」

 言うや否や、でかでかと『訓練用』と書かれたラベル付きの箱を卓上に置いた。

 中身は四五口径自動拳銃用のゴム弾だ。二人でせっせと弾倉に弾を詰め込む。

「――さて、他にご注文は?」

「屋内での対オートマタ用のオススメはあるか? 威力と速射性に優れたやつが良い」

「――それなら、ベネリM4がオススメだ」

 イタリア製の傑作ショットガンを受け取り、弾が装填されてないことを確認する。

「――ポンプアクション方式のショットガンは確実に作動する高い信頼性がある一方で、両手が塞がるという欠点がある。だけどコイツは片手でも扱えるセミオート方式だ、義手と併せて戦術の幅が広がるだろう。撃った時の反動も軽いから命中精度も高く、秒間五発という連射性能はポンプアクションでは絶対に真似できない良い銃だ」

 両端を持って軽く振り、大体の全長と重量を把握すると、ストックを肩口に当てて構えた。瞬時に左構えにスイッチ。その次は肩から外して腰だめに構える。

「採用だ」ベネリM4をテーブルに置く。

「――ショットシェルはスラッグの徹甲弾で良いかい?」

「ああ、三〇発ほどくれ」

「――了解。他には?」

閃光手榴弾スタングレネードとスモークグレネードを一つずつ」

 言うや否や、デルタゼロは缶状のそれらを卓上に置く。

「C4を三百グラムと時限式の起爆装置を二セット」

 粘土状の高性能プラスチック爆薬に、信管とタイマーが二組出てくる。

「砥石はあるか? それと何か拭くものを」

 トレンチナイフを抜いて、刃の状態を確認する。刀身には〈ドッペルゲンガー〉の赤い皮下循環剤がべっとりと付着していた。

「――代わりにやろうか? サービスするよ」

「……頼んだ」

 ナイフを受け取ったデルタゼロは、洗浄液が入ったスプレーを刀身に噴き掛けて布で汚れを綺麗に拭き取ると、砥石で刃を研ぎ始める。

「――このナイフも、かつて君が愛用していた物だ」

 しゃり、しゃり、と澄んだ金属音が鳴る中、デルタゼロは懐かしそうに目を細めた。

「……美優が持っていた。お嬢様の手紙と併せて、彼女が獅子堂の関係者だということはすぐに気付けたよ」

「――迂闊に話せる内容でもないし口止めもしていたからな、察してくれて助かったよ。君は美優の素性に気付かないフリで通すつもりだったのだろう?」

「それをそちらも望んでいると思っていたからな」

 今となっては手遅れだが、下手に深入りして余計なトラブルを背負いたくなかったのが本音だ。本当に今更だが。

「――引退した折にそれまで使っていた装備は全て置いて行った。例外はその多機能眼鏡だけだ」

 クロガネは眼鏡のフレームに指を添える。

「コイツは探偵業には便利だったからな。その節は本当に感謝してる、装備を預かってくれたことも含めてな」

「――どういたしまして」

 そこで会話が途切れ、ナイフを研ぐ音だけが室内を支配する。

「……恨んでいるか? 俺がゼロナンバーを抜けたことを」

 やや気まずい雰囲気に負け、クロガネはそう切り出した。

「――いいや。むしろ君がどこまで表の世界で生きていけるか身内で賭けをしていたくらいだ。ちなみに僕は三年に五〇万ほど賭けていたが、まさか一年早く戻ってくるとはね」

「ひどい奴らだ」多少は心苦しく思っていた自分が馬鹿らしい。

「戻ったつもりはないんだがな、むしろ逆に殴り込みをする始末だ」

「――形はどうあれ、君が戻ったと知ったらブラボーゼロやシエラゼロは喜ぶだろう」

「……あいつらか」クロガネは気まずそうに顔を曇らせる。

「――君を含めて最強のチームだったな。特にシエラゼロは大喜びだろう、彼女は君によく懐いていたから。もしかすると、彼女だけは君の脱退を恨んでいるのかもしれんが」

「あーうん、元気そうで何よりだ。ブラボーゼロも息災か?」

「――彼も相変わらずだ、毎日飽きもせずポン刀を振り回しているよ。君との模擬戦に決着をつけたいとも言っていた」

 手を止め、ニヤリと笑うデルタゼロにクロガネは辟易する。

「やめてくれ、あの二人を敵に回したら命がいくつあっても足りやしない」

「――剣に魅了された時代錯誤のソードマスターに、君に依存気味なヤンデレスナイパー。これから君が獅子堂に敵対すると知ったら、どうなるかな」

 含みのある発言に戦慄を禁じ得ない。

「……まさか、居るのか?」

「――いや、二人ともご当主の護衛で今は海外にいる」作業を再開するデルタゼロ。

「それは朗報だ」思わず胸を撫で下ろすクロガネ。

「――とはいえ、事を知ったら休暇でも取って真っ先に君の元へ出向くんじゃないかな? むしろ、今まで何の接触もしてなかったことが不思議なくらいだ」

「……偽造パスポートって用意できるか?」

「――可能だけど、君に限って言えば高飛びは不可能だ」

 トントンと、自身の胸を指で叩くデルタゼロ。暗にクロガネの疑似心臓を指していた。

「――そう深刻に捉えなくても良いだろう。かつての同僚が顔を合わせるのは嬉しいものだよ、僕みたいにね」刃を上向きにしてナイフを水平に持ち、歪みがないか確認する。

「それだけで済めば良いけどな」

「――メンタルバーサーカーな二人といえど、最低限の常識と礼儀くらいは弁えているさ……と、終わったよ」

 研ぎ終わったナイフの表面を布で拭き取ってクロガネに手渡すと、デルタゼロはどこからともなく『アイアンメイデン』のピンクチラシを取り出して宙に放った。

 ひらひらと舞う紙切れに、ナイフを一閃させる。抵抗も音もなく、ピンクチラシは空中で二分にされた。

「パーフェクトだ」

「――感謝の極み。ではこちらが今回の装備の請求書だ」

 請求書を差し出すデルタゼロ。そこに記載された金額を見て「げっ」とクロガネの顔が一気に青ざめた。

「――これでもかなりお安くサービスしてる」

 ギギギと油が切れたブリキ人形のように、クロガネは請求書から顔を上げる。

「……ぶ、分割って出来る?」

「――出来れば一括で♥」

 にこりと微笑むデルタゼロ。容姿が整った美しいガイノイドのその笑顔とその手にある請求書の金額には恐ろしい破壊力があった。

「……今更ながら、お前がガイノイドの姿でいる理由が解った気がする」

「――ほぅ、それは?」

「例えるなら、バーで綺麗なキャバ嬢と酒を飲んだら会計金額がぼったくり過ぎて絶望するような感じだ」

 綺麗な薔薇には棘がある、美優の言葉だったか。

「――あー、解る解る。で、お支払いは?」

「くそがッ! 地獄に堕ちろッ!」

 クロガネの悲痛な叫びが店内に木霊した。

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