幕間5

「クロガネさんッ!」「鉄哉ッ!」「黒沢ッ!」

 三者三様の悲鳴を上げ、その場に崩れ落ちたクロガネさんに駆け寄ろうとすると、

「動くな!」

 佐藤に銃口を向けられ、立ち止まる。ガイノイドである自分ならともかく、真奈さんと清水刑事は生身の人間だ。AIの冷静な思考が『彼らの安全を最優先』と命令し、否応なく私はそれに従ってしまう。

 嫌だ。嫌だ! 嫌だッ!

 クロガネさんが撃たれたのに、もしかしたら助かる見込みがあるかもしれないのに、どうして彼の元に行けないのだろう? 

 どうして、

「……ようやく本題だ。ガイノイドのお嬢さん、手持ちの通信端末、もしくは武器になりえる物は今すぐ全部捨てろ。さもないと……」

 そこの刑事と女を撃つ、と言わんばかりに佐藤は銃を二人に向けた。

 クロガネさんが斃れたことで二人もひどく動揺している。顔は青ざめ、涙目でクロガネさんと佐藤、そして私に視線を彷徨わせている。怒り狂ったり、泣き喚いたりこそしていないが軽いパニック状態だ。

 言われた通りに、ワンピースのポケットやポーチから護身用の催涙スプレー、特殊警棒、そしてガラケーを地面に置く。これらは全てクロガネさんが貸し与えてくれたものだ。

「……これで全部です」

「よし。そこの刑事は、その手錠を彼女に掛けろ」

 真奈さんに拳銃を向けた佐藤に、清水刑事は苦悶に満ちた表情を浮かべる。

「その前に良いですか?」

「……何だ?」

 佐藤に対して私から重要な確認がある。

「私が抵抗せず貴方に――獅子堂玲雄の元に下ったら、二人は見逃してください」

 当の二人が息を呑む。

「顔を見られた暗殺者が、目撃者を見逃すとでも?」

 そう断言すると、佐藤は「ほぅ」と多少なりの興味を抱いた。畳み掛けるなら今だ。

「貴方が獅子堂玲雄から与えられた命令は、『黒沢鉄哉の暗殺』と『安藤美優の奪還』です。その二つが達成されたのならもう充分でしょう」

 ここで言葉を切り、真奈さんと清水刑事を見る。二人とも何か言いたげな表情をしていたが、無視して佐藤に向き直る。

「この一連の騒ぎは全て私の存在が起因しています、全部私の責任です。ここで私が投降すれば丸く収まります」

 ……そうだ。全部、私が悪い。

 私と出会わなければ、関わらなければ、クロガネさんだって。

「仲間を守るための自己犠牲か。生憎だが、私にその手は通じない」

「仲間だなんて、そんな大層なものじゃありません。私はガイノイドです」

 間髪入れずに否定する。

 そうだ。私は彼らの仲間にも、友人にも、家族にも、恋人にもなれない。

 ただの機械で、道具だ。

 淡々と、出来るだけ侮蔑に聞こえるように理不尽な事実を言い放つ。

 例え生き長らえたとしても、獅子堂の力には絶対に敵わないと。

 足掻くだけ無駄であり、無意味だと。

 だから、殺す価値も必要もない。どうか、見逃して。

 だから、命を大事に。どうか、抵抗しないで。

「…………」

 ……苦痛を伴う沈黙を、今初めて知った。

 真奈さんが怒りに満ちた眼を私に向けてくる。

 清水刑事が拳を強く握りしめる。

 私が元凶であり、敵。それで良い。

「それに」

 何も言わない佐藤に、これが私からの、最後の言葉攻撃だ。

「貴方には、この場に居る全員に借りがある筈です」

「……なるほど、確かにな」

 破壊した〈ドッペルゲンガー〉を一瞥した佐藤は、清水刑事に視線を移す。

「手錠を掛けろ。そして、

 佐藤の譲歩に、真奈さんと清水刑事は瞠目する。

 戸惑い、躊躇うようなわずかな間を置いてから、清水刑事は指示に従った。自前の拳銃が弾切れでは佐藤を倒す手立てがなく、守るべき一般市民の真奈さんがいる手前、迂闊な行動は出来ない。佐藤の言いなりになる他なかった。

「すまない……」

 無念そうに清水刑事は小声で謝罪し、私の両手に対サイボーグ用のゴツイ手錠を掛けた。私は俯いて彼の顔を見ないようにしていたので、その表情に浮かぶ感情を窺い知ることはなかった。

「行くぞ」

 手錠の鍵を受け取った佐藤に促され、偽市長――〈ドッペルゲンガー〉が乗っていた車に乗り込む。せめて二人に「お世話になりました」とか「ごめんなさい」とか「さようなら」とか、何か一言挨拶をするべきだったろうか? クロガネさんにも……

「……クロガネさん」

 後部座席の窓に張り付く。倒れたまま動かない彼の元に、真奈さんと清水刑事が跪くのが見えた。肩を叩き、ゆすり、声を掛けている様子が見て取れる。

「あ……、ああ……」

 車が走り出す。徐々に三人の姿が遠ざかっていく。

「ごめ、んなさい……」

 ……どうして、こんなことになってしまったのだろう?

 私が全部悪いと判断したのに、どうしてそんな疑問を抱くのか答えが出ない。

 どうして、悲しく、苦しく、寂しく感じてしまうのか理解できない。

「わた、しは……」

 発音が急に上手く出来なくなったのは何故だろう?

 発声機能に何らかの障害が発生したのだろうか?

 座席に座り直して俯き、マニュアルに従って自己診断モードに移行しようとした時、

「……泣いているのか?」

 ルームミラー越しに運転席の佐藤がそう訊ねてきたため、思わず手錠で繋がれた両手を目元にやる。

 指先に無色透明の液体が付着していた。

「……義眼に付着した汚れを落とすための洗浄液です。しばらくすれば、止まります」

「……そうか」

 何となしにそう言うと、佐藤は頷いた。

 それから数分経過しても、目から洗浄液がとめどなく零れ落ちていた。止まる気配がないため、少し混乱する。

「……どうして、止まらないの?」

 必死に手で拭いながら疑問を漏らすと、

「まだ義眼が汚れているのだろう」

 佐藤が相槌を打ってくれる。時折こちらの様子を見ていたらしい。

「気にするな。そのまま放っておけば、勝手に止まる筈だ」

「…………」

 言われた通り、そのまま放置しておく。

 義眼から洗浄液が零れ落ちる。

 目尻を伝い、

 頬を伝い、

 顎を伝い、

 雫が零れ落ち、服を濡らした。

 ポタポタと、少し鬱陶しく感じるくらいに。


 ――私は、泣いた。



 ……結局、が止まるまで、しばらくの時間を要した。

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