第20話:心霊ブームの陰で

 慌ただしかった年末が過ぎ、年が明けて二月になっても二郎の忙しさは続いていた。いや、明らかに忙しさを増していた。スケジュールは分単位で組まれ、由沙の予定表に空きがまったくないのを見た彼が卒倒しかけたほどだ。


 二郎は今、由沙が運転する黒塗りの社用車で事務所へと帰る途中だ。


「二郎さん、お疲れさまでした。今日も良かったですよ。わたしも泣いちゃいましたもん」


 二郎の活躍もあって、ここ最近は心霊番組がブームになっている。そのなかで最も人気があるのが、芸能人の守護霊を降ろして彼に憑依させるというコーナーだった。あの新井プロデューサー一押しの企画である。


 当初はお札を使って直接対面させていたが、霊を映像に収められないという問題があって今の形におちついた。


「疲れちゃいないが疲れたよ」


 訳が分からないことを言っている二郎だが、それでも由沙には伝わっていた。体力的には大丈夫だが、精神的に疲れているということだ。悪意を持った精神攻撃なら彼には効かない。けれども、慣れない演技を続けることが彼の精神を疲弊させるのだ。


 本番中は地でいけるから楽だが、その前後、芸能界のしきたりに従うことが苦痛だった。撮影前の挨拶回りとか無くなればいいと本気で思っている。一生懸命な由沙のためにもしきたりを守って頑張っているが、できることなら芸能界以外で生活の糧を得たいと二郎は考えている。


「それはいけません。早めに帰ってゆっくりしてくださいね」

「そうするつもりだが、もう少しなんとかならなんのか?」


 それは二郎の本心だった。しかし、由沙が折れることはなかった。


「もう少しの辛抱です、二郎さん。半年もすればブームも去りますから。今は頑張ってコネを作りまくりましょう。本当の勝負はブームが去ったあとですからね、今は頑張りどきです」


 彼女が言っている意味はよく分かる。けれども二郎は、芸能活動に本腰を入れる気はさらさらなかった。彼女の頑張りもあるから完全に引退する気はない。


 ただし、ただひな壇の一員となるような仕事はもううんざりだ。


「由沙、話がある」


 しばし考えこんだあと、二郎は重い口調で切りだした。これから言おうとしていることは、年が明けたころから考えていたことだ。


「事務所も軌道に乗った。水瀬の仕事も順調に入っている。だからそろそろ仕事を選ぶつもりだ。霊視とか降霊の仕事は受けてもいいが、ガヤ要員での出演は全部断ってくれ」

「なっ、なんでそうなるんですか! さっきも言ったけど、今が一番大事なときなんだよ……」


 前方から目を逸らすことはなかったが、由沙の顔は驚きと悔しさに満ちていた。ショックが大きかったのか彼女は黙りこみ、しばらくの時間、車内には走行音だけが響いていた。


 なにを思ったのか由沙は路肩に車を寄せ、そして停車させた。二郎は彼女が話しだすのを待った。けれども、一向にその気配を見せない。ときおり横を通過するヘッドライトの明かりが車内を照らし、彼女のシルエットを浮かび上がらせる。そんなことが数度続いた。


「いいか由沙、俺はお前の望みはできるだけ叶えたい。だが限度ってもんがある。それによく考えてみろ。露出を増やし過ぎると飽きられるのが早まると思わんか。テレビ出演の仕事は今の半分以下でいい。それよりも社会的地位がある奴との繋がりを考えろ。そのほうが後々有利になる」


 由沙は黙って二郎の話に聞き入っていた。彼には分かる。この横顔は物事を真剣に検討しているときの顔だ。だから彼は待った。彼女が結論を導きだすまで。


「二郎さん」


 底冷えがするほど低い声でそう言った由沙は、助手席に上体を乗りだし、二郎にヌッと顔を寄せた。ものすごい形相だ。暗くてはっきりとは確認できないが、明らかに怒っている。


 しかし二郎は思った。怒ってはいるが、屈辱に震えているわけでも、裏切られたと思っているわけでもなさそうだ。もしかして彼女自身に対して怒っているのか? そんなことが彼の脳裏によぎった。


「本気で言ってるんですよね。ちゃんと将来のことを考えて言ってるんですよね」


 あれだけ頑張って駆けずり回り、仕事を取ってきた由沙のことだ。裏切られた思いに駆られ、ヒステリックに喚き散らす姿を二郎は幻視していた。それが彼の女性に対する認識だった。ところがどうだ。迫力ある形相で迫られたが、ヒステリーを起こしているわけでもなく、喚き散らしもしなかった。


「おう」

「話し合いましょう。事務所でとことん話し合いましょう。二郎さん、聞いてますか」


 由沙は肯定するわけでも否定するわけでもなかった。当たって砕けろの精神で感情のままに突き進む。それが彼女の性格だと思っていたが、どうやら見誤っていたようだ。彼女なりの考えがあるのだろう。納得するまであきらめない性格からすると、事務所に帰った後のことを考えて二郎は気が重くなった。

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