第8話:新事務所立ち上げ?
警察署での話が物別れに終わった翌日、二郎が事務所の由沙のデスクスペースに顔をだしてみると、パーティションの向こうから怒鳴り声が響き渡った。
「おい、和泉! 社長が呼んでるぞ。チンタラ物書きしてないで、さっさと顔だしてこい!!」
愛用の白いノートパソコンに顔を近づけていた由沙は即座に立ち上がり、駆けるようにしてスペースをでていった。
「怖い怖い。怒れる神に祟りなし」
由沙とすれ違うに入ってきた水瀬は、今日も今日とて安定の、感情が全く入っていない棒読みでいつもどおりのボケをかまし、二郎の顔を見るなり彼に近づいてくる。
「そこは触らぬ神にだ」
「クッ、二郎にバカにされた……コロセ」
水瀬はわざとらしくヨロヨロと倒れこみ、そのついでに肩をすこしだけはだけさせてアピールしてきた。
お、今日はいつもと違うパターンだとついつい感心し、二郎はツッコんでしまった。一度ツッコんだからにはもう少し相手してやるかと、彼女の演技に免じて再度ツッコむ。
「なんでもエロに結びつけるな。男がみんなエロに弱いと思ったら大間違いだぞ」
「うぅ、手ごわい――」
二人がそんなじゃれあいを続けているうちに、いつのまにか、音もなく由沙が戻っていた。スペースの入り口で、この世の終わりのような情けない顔をしてうつむいている。
「どうした?」
「クビになりました。解雇予告です」
思わず二郎はカッとなった。こんな彼女の顔を見てしまったからだ。彼はガタンと音を立てて椅子から立ち上がり、スペースをでていこうとする。もちろん怒鳴りこむつもりだ。
由沙とすれ違うようにスペースをでた二郎に、慌てた様子で彼女が駆け寄り、彼の手を掴む。
「まって!」
強い力ではなかった。いや、弱々しい力だった。しかし彼女の言葉が彼の足を止めた。その一言で冷静になれた。
「そうだな。脅したところでどうこうなる問題じゃねぇか」
幽世から帰還したばかりの二郎だったら、これだけ簡単に熱くなった頭を切り替えることはできなかっただろう。しかし今は違う。気心の知れた仲間がいるのだ。
由沙とともに彼女のスペースに戻った二郎は、パイプ椅子をまたぐように腰を下ろし、背もたれを抱き込むようにして問いかける。
「それで由沙。どうする?」
「…………」
彼女はこういうときの判断が早い。というか思い切りがいい。
「見返してやります。責任も取らないでこんな簡単に二郎さんを切るなんて、あったまきました。後悔させてやるんだから。だから二郎さん、わたしといっしょに――」
違和感。
彼女の言葉。彼女の性格。今の状況。すべてを鑑み、彼は一つの結論に至る。
「ちょーっと待て由沙。なんでそれだけのことでお前がクビになる? 俺が切られるのはある意味当然だ。だがお前、まさかそのことで必要以上に社長とやりあったんじゃねぇよな?」
「てへっ」
「てへっじゃねーよ、てへっじゃ」
図星だった。しかしあの落ち込んだ顔はなんだったのだろう? あれは芝居なんかじゃない。というか由沙にあんな迫真の演技なんかできるわけないのだ。だとしたら一瞬で切り替えたか、今のおどけた顔が演技だ。というか、今にも泣きだしそうではないか。笑い顔を作ってはいるが、二郎には彼女が無理をしていることがありありと伺えたのだった。
「由沙、来いっ! 謝りに行くぞ」
「ダメです! わたし気がつきました。いいですか二郎さん、これはチャンスなんです。ふたりで事務所を開きましょう。芸能探偵事務所です」
二郎は由沙の手を取り歩きだそうとしたが、彼女は後ずさるようにその手を引っ込めた。作り笑顔は一瞬で崩れ、目尻に涙をためながらも彼女は持論を展開してみせる。
この急展開のなか、思いつきだけでこれほど重大な決断に至ったとは考えにくい。きっと由沙は前々から独立することを考えていたのではないか? 事務所社長との口論は単なる切っ掛けだったのではないか? 二郎にはそう思えてならなかった。
「探偵事務所?」
「そうです。探偵事務所です」
由沙が言いたいことがなんとなく分かった。二郎の霊能力があれば、任意同行を要請されるきっかけになったような事件の、行方不明者を探しあてられるからだ。だから探偵事務所なのだろう。
けれども、二郎の能力が原因で今の状況にあることも確かだ。安易に由沙の思惑に乗ってよいものか、もう少し冷静に考えたほうがよくはないのか? 彼は彼なりのやり方で、彼女の考えを確かめてみようと思った。
「浮気調査でもやるのか?」
「違います」
「素行調査か?」
「違います!」
探偵の仕事といえばこの二つだろう。由沙の思惑をあえて外し、一般的な常識を二郎はぶつけてみた。そうしてみることで、彼女に考えさせ、冷静さを確認したかったのだ。
「だが探偵といえばこの二つだろう?」
「そんなこと分かってます……もう、分かってるくせにはぐらかさないでください」
由沙はすこしだけ考えるそぶりを見せた。しかし決意は変わらなかったようだ。ならば応えるべきだろう。
「分かった分かった。霊視で人探しすればいいんだな?」
「そうです」
由沙の思惑に乗ると決めた二郎だったが、なんにでも手をだす気はさらさらなかった。だから釘をさしておくことも忘れない。
由沙の性格がだいぶ分かってきている二郎だが、まだ読めないところも多い。それに、彼女に感情のまま猪突されると、振り回される未来しか視えないのだ。
「ひとつ言っておくぞ、家出人探しとかはやらんからな」
生きた人間を探すことも今の二郎には難しくなかった。しかし生きた人間は、とくに家出した人間は、探しだしてもロクなことがないだろう。それまでの人間関係が嫌になって家出に及んだことが、容易に予測できるからだ。逆恨みされて面倒なことになりかねない。
そんなことに関わるくらいなら、自力で女優殺しの犯人を捜しだし、警察に通報したほうがマシだと二郎は考えている。それをしないのは、犯人にしらを切りとおされて余計な嫌疑をかけられたり、また取り調べをうけたりして煩わしいことになるのが嫌だからに他ならない。
犯人を捕まえるのは警察の仕事だ。探偵がやるべきことではない。それが二郎の考えだった。
「二郎さんにそんなことは求めてません。いいですか、二郎さんは一部の人に殺人犯として疑われています。だから、事件性がありそうな案件を選ぶんです。たとえば二十以上年前に行方不明になった子供とか」
「なんでそんな古い事件を?」
「逆に聞きます。たとえば、二郎さんが赤ちゃんのときとか生まれる前にですね、行方不明になった人を探し当てたら?」
「そうか! 俺の霊能力が実証されるってことか」
なぜそんな簡単なことに気づかなかったのだろう? 女優の遺骨を探しあててから急展開すぎたからだろうか? いずれにせよ由沙が冷静なのは分かった。それで十分だった。
「そうです。さすがに赤ちゃんのときとか生まれる前に人は殺せません」
「お前、ちゃんと考えてんだな」
「ちゃんと考えてるってなんですか、ちゃんと考えてるって。もう、わたしだって……」
由沙の目尻から涙がこぼれた。しかしその涙は、クビになったショックからのものだけではないような感じを二郎は受けた。
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