第37話希望

 数秒の静寂の後、視界一杯を埋め尽くす大量の打ち上げ花火のカーテンで、今年の祭りは幕を閉じた。

 身体の芯を揺らす残響が収まると、どこからか拍手が聞こえて来た。拍手は徐々に大きくなり、皆一様にしばらく手を叩き続けた。


 そうして、まばらに人が撤収を始める。


 祭り終わりの余韻を感じさせるが、僕は大好きだ。誰一人として馬鹿騒ぎする人はいない。皆、小さな声で花火の感想を言っていたり、帰ってどうこうだみたいな他愛もない静かな会話が重なり、結果として賑やかになっているのだ。

 

 公園を埋め尽くしていた人の群はいつしか数を減らし、ついには僕と希だけになった。

 潮風に乗って流れてくる火薬の香りと波の音に身体中を包まれているような気分だ。


 もう花火は終わったのに、僕は夜空から目が離せなかった。

 

 ふいに彼女がむくりと身体を起こした。寝そべる僕に優しい笑みを浮かべて「帰ろっか」と静かに言った。

 

 帰り道は人気の少ない通りを選んだ。彼女との一分一秒を大切にしたかった。

 カラン、カランと二人の下駄の音が道にこだまする。


「帰ったら、早くお風呂に入っちゃって、あったかい布団で一緒に寝ようね」


「……希。あのね、僕明日消えるって言ったけ――」

「大丈夫だよ。分かってる。最初から……」


「…………そっか」


 幽霊はやり残したことを済ませたならば、成仏しなければならない。この時代の僕は、冷たい土の下に埋まっているのだ。

 帰るべき場所に帰るという表現が正しいだろうか。


 不思議と受け入れている自分がいる。でも――


 希を離したくない。

 もっと、一緒に色んなところに行って遊んだり、何かを食べたりしたい。

 同じ都会の大学に入って、キャンパスデートなんかもしてみたい。

 会社は別々になるんだろうけど、二人で同棲を始めて、僕が残業で遅くに帰ると、彼女がエプロンをつけておかえりって言って欲しい。

 彼女の帰りが遅い時は、僕が彼女におかえりって言ってあげたい。

 彼女のことだから、子供は二人欲しいって言いそうだ。

 子供達が巣立ってくのを見届けたら、地元に戻って来て老後を過ごす。

 そして、先に僕が死ぬ。

 彼女の変わらない笑顔に見送られながら、愛してくれてありがとうって最期に言いたい。


 家に着くと、祭りが本当に終わったんだと漸く実感した。

 本当にあっという間だった。


 彼女が先に風呂に入り、僕もそのあとに入った。本当は入らなくていいのだけれど、今日はそうしたい気分だった。

 

 風呂から上がると、彼女はいつぞやみたいに濡れた髪を放っておいて、僕を待っていた。

 彼女の髪を乾かし終わると、今度は彼女が僕の髪を乾かしてくれた。


 そして、二人で一緒に布団に入って、抱きしめ合った。

 彼女の温もりが、僕はまだ消えていないと感じさせてくれた。


「二人だとちょっと狭いね」


「狭い方がいいよ。広くても、こうやって抱き合ってたらどうせ余っちゃうよ」


「今日はちゃんと眠れそう?」


「うん……。たぶん眠れる」


 彼女が僕をじっと見つめるから、僕も見つめ返す。


「幽霊くんの名前はね、吉澤みらい。望月の望に来客の来で望来って書くんだって」


「吉澤望来……。これが、僕の名前なんだ……。彼羽がヨッくんって言ってたけど、まさか苗字の方だったのは意外だ……」


「なんで、名前を知ってるのか聞かないんだね」

  

 彼女の手が頬を撫でる。


「まぁ、もう何となく分かったよ」


「そっか……。一度、焦って名前呼んじゃったことあるんだけど、覚えてる? 望来くんが須藤に捕まった時」


「あー、残念。あの時は流石に僕も焦ってたから聞き逃してたかも」


「本当は最後まで私の口からは教えるつもりはなかったんだけどね。好きになっちゃったんだから、しょうがない」


 切ない笑みを浮かべる彼女。


「それよりね、希って字と望来くんの望って字を合わせると、希望って字になるんだよ。私、これ閃いた時、すごく運命を感じちゃった。望来くんはね、昔も今もこの先も、ずっと私の希望なんだよ」


「希望……」


「そうだよ。私の希望」


 彼女を力一杯抱きしめた。言葉にできない想いが脳内を駆け巡る。


「ありがとう、私の希望」


 その声は、少し涙ぐんでいた。


「好きだ! 大好きだ希! 好きだ! 好きだ! 好きだ――!」


 何度も言い続けた。後悔がないよう、伝えきれない想いがないように。

 どれくらい好きだと叫んでいただろうか。僕の言葉が途切れる。


「私も好きだよ。愛してる望来くん」


 それからしばらくして、彼女は小さく寝息を立てた。

 不意に溢れた涙を拭き取ってあげると、彼女は僕の胸に顔を埋めた。

 

 僕も、そろそろだろうか。

 急激にまぶたが重たくなる。


 不思議と怖くはなかった。

 

 まどろむ意識の中で、希との一ヶ月がフラッシュバックする。

 眠りに落ちる直前、僕は心から最高の笑顔を浮かべた。


 ――一日。


 脳裏に最後の数字が浮かび上がった。


 


 

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