夏色リバイブ

微炭酸

第1話10年後

 僕はあと一ヶ月で死ぬ。


 もう、ろくに身体も動かない。

 静まり返った病室で、息苦しいマスクをつけて、ひたすらに横たわる。腕には何本もの針が埋め込まれ、やせ細った身体は見るに耐えないだろう。


 享年十八歳。心臓の病気だそうだ。一年前に急に発病し、すぐさま余命宣告。

 本当に笑えない。


 目を閉じると、学校で教師の退屈な授業を怠惰な体たらくで受けていた日々が、今でも鮮明に蘇る。それくらい、急すぎる出来事であった。

 

 病気が判明してからは、ずっと同じ病室で寝たきりの生活を過ごしていた。正直、一年前に僕は既に死んでいると言っても過言ではない。

 代わる代わる訪れていた見舞いの友人や知人も、いつからかめっきり来なくなった。病室を訪れるのは、医者と看護師、それと二日に一度の母親だけであった。


 ベッドの横に飾られた花瓶に咲く花が、ボトッと落下した。

 不吉すぎる。でも、少なくとも僕はこの花よりかは長生きできた。これでまた一つ、生きた証を自分の胸に刻むことができたのだ。


 いつからか、世界から僕は隔離された。この病室は既に天国……いや、地獄である。身体だけが生きている。心は既に、死んでいる。


 あぁ、早く死なないかな……。


 手が動くのであれば、今すぐにでも、この身体にまとわりつく邪魔なゴミを取り除いて、ありのままの姿で死んでやるのに。


 僕の人生はあっけない。

 発病する前は、真っ直ぐすぎるほどの正義感の持ち主で、やたらとお節介だった。困っている人を見かけたら、すぐに助けてしまう。そんな少年。

 

 それが今ではすっかりネガティブ思考になってしまった。この状況でポジティブになれというのは、どんなに元がポジティブな人でも不可能だろう。


 ――寒いなぁ。


 身体が、心が、凍えるように冷え切っている。このままでは、心臓が止まる前に凍え死んでしまうかもしれない。

 僕は想い出の中にある、温もりを求めて目をつぶった。




 ふわっと身体が軽くなったような気がする。目を閉じた暗闇の中で、色々なものが取り払われた感覚を覚える。

 僕はとっさに、死に際かな? と思った。

 口を覆うマスクも、腕に差し込まれたいくつもの針も、何も感じなくなっていた。


 不意に鼓膜を揺らす残響が聞こえていることに気が付いた。

 

 ミーン、ミーン、ミンミン。蝉の鳴き声だ。

 

 おかしいな、今は冬のはずだけど……。まぁ、死のはざまに四季の概念などないのかもしれない。ただ、それでも蝉の声だけは、はっきりと、鮮明に耳を轟かしている。


 暗闇をうっすらと光が突き抜けてくる。まるで、閉じた瞳の外側から日光でも浴びているような……。


 顔が火照るのを感じ、うっすらと目を開ける。そして、差し込む強烈な日差しにすぐさま、再度目を閉じる。先ほどまでの暗闇に、チカチカと光の球体が浮かび上がる。


 不思議だ。身体の自由が効く。指一本としてうごかせなかった身体が、まるで健康体そのものといった様子で、自在に動かせる。


 そして、僕は確信した。――死んだな、と。


「よっこいせ、っと……」


 身を起こし、目を開けて周囲を見渡す。

 コンクリートの地面、吹き抜ける生ぬるい風、雲ひとつない群青の空。そして、僕を見下ろす一人の少女がいた。


「ここは……」


 少女のことなど、気にもせずに口を開いていた。どうやら、どこかの建物の屋上のようだが、見覚えがあるような、ないような。


「学校……!」


 眼前の少女が一歩、歩み寄ってくる。

 僕は彼女をぼーっと見つめた。白いワイシャツにベージュチェックのスカート、それと黒いローファー。ぱっと見で中学生ではないことは明白であったので、おそらく女子高生。たぶん、同年齢か、少し下、というくらいであろう。透き通るような黒髪ロングで、若干幼さを残しつつも整った顔立ちをしている。身長は目算ではあるが、おそらく百五十ちょいだろう。どこにでもいるような、普通の女子高生だ。


「東第二高校の屋上……!」


 彼女は再び、付け加えるように言った。


「東第二高校……」


 復唱するように呟く。間違いない。僕が一年前まで通っていた高校だ。


 いきなり、病気じゃないみたいに身体が軽くなり、夏を表すような炎天下の元に晒されて、挙句そこが母校の屋上であると……。

 思わず苦笑してしまった。


 意味がわからなすぎる。


「やっぱり、死んだのかなぁ……」


 視界の端で少女が首を傾げる。


「何を言ってるの? 君……。生きてるじゃん」

「僕、生きてるの?」

「生きてるよ」

「ふーん……」

「ふーんって……。変な人」


 彼女は笑みをこぼした。


「私、水上希みずかみのぞみ。ここの三年」


 そう言って、彼女は僕に手を差し伸べた。僕は握らない。


「のぞみ……。聞いたことない名前だな。僕も、一応まだ? ここの三年なんだけど」


「本当に? 私も君を見たことはないよ。名前は?」


「僕……? 僕は……あれ? 名前、思いだせないや」


 希は手を引っ込め、腕を組んで唸った。


「君、私をからかってるの? でも、同学年って百人ちょいしかいないから、流石にお互いに知らないって、なんだかおかしいね」


「……まぁ、今さら学校なんてどうでもいいや」


「……? 夏休みだから?」


「今って、夏休みなの? 何月何日?」


「七月三一日だけど……。君、記憶でも飛ばしてるの……?」


 おかしい。確か今は2020年、十一月の半ばのはずだ。病室にはカレンダーなどないので、正確な日付はわからないが、確かに外は雪が降っていたのは覚えているし、昨日病室を訪れた母親は厚手のコートに身を包んでいた。

 しかし、彼女は確かに七月の三十一日だといった。気でも失って、半年以上寝込んでいたとでも言うのだろうか。だとしても、屋上にほっぽり出されているこの状況は全く理解できない。

 よく見ると、服装はなぜか、彼女と同じ種類であろうワイシャツに黒の学生ズボンの姿であった。


「なるほど……夢、だな」


 死んでいるか、それとも夢か。もはや、その二択しか考えられないのだが、夢であるならば日差しや、コンクリートの感触がリアルすぎる。


 少し気になって、希に質問を投げかけた。


「ちなみに、今って西暦何年?」


「本当に変な人だね。今は2030年だよ」


「……は?」


「ん?」


 開いた口が塞がらなかった。記憶と十年以上のタイムラグが存在している。となると、もし、万が一にこれが死後の世界でも、夢の世界でもないのであれば、僕は十年後の未来の世界に来ていることになる。

 いやぁ、理解できない。


 希が訝しげに見つめてくる。夏の暑い風に長い黒髪がなびく。不覚にも、少しだけ見とれてしまった。


「……綺麗だな」

 

 思えば、目をさましてから初めて浮かんだ感情かもしれない。

 正直な話、未来に行こうが、ここが夢の世界であろうが、どうでもいいのだ。どうせ、一ヶ月後に僕は死ぬのだから。


「何? 口説いてるの?」


「……まさか」


 希はクスッと小さく吹き出した。


「君、やっぱり面白いよ」


 再び、目の前に手が差し伸べられる。


 躊躇した。この手に触れた瞬間、もしかしたら夢から覚めてしまうかもしれない。思えば、人とこんなに話したのはいつぶりだろうか。そもそも、声が出ると言う現状に驚きを隠せないのは事実だ。


「ほら、立たないの……?」


 希は手をクイクイっと上下に軽く揺さぶる。


 数拍置いて、僕は彼女の手を取った。


 温もりが、そこにはあった。

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