第35話 忘れえぬもの・二
――――――――なのに。
「おい、俺らの暇潰しに付き合えよ」
「そうそう、暇なんだろ?」
不良が私の行く手を遮ると、もう一人、遊び人さんが私に手を伸ばしてきた。私は身をよじったけど無駄だった。肩に、知らない人の手が触れる。
――――――――――――っ。
「っ触んないで!」
気持ち悪いって言葉が頭の中で弾けるより早く、私は肩に触れた手を払い飛ばした。目を瞬かせる男の人を、目を逸らしたい気持ちを抑えつけて睨みつける。
「駄目だろ
そう、眼鏡の人は遊び人に言う。でもくすくす笑ってて、ちっともたしなめるふうじゃない。不良もにやにやしてるだけだ。
やばい。その言葉と共に、全身の血の気が引いた。心臓がものすごい速さで打ちだして、それにかき消さられないようにと、逃げろって頭の中で誰かが大声でわめきだす。
でもそんな自分の声よりも、私は身体を這う感触に心を奪われてた。
だって肩どころか、他の部分まで触られたような感触がする。マフラーをつけてるのに、首に何かついてるみたい。冷たくて硬いものを押し当てられてるような感じが、する。
そんなわけがないのに、後ろから抱きしめられてたような。ささやかれたような――――――――
「……どいて」
震える身体を抑えつけ、私は三人に睨みつける。けど、そんなので彼らが言うことを聞いてくれるはずもない。嫌な笑みがますます深くなる。
皆、早く来てよ……!
私がそう、強く強く願ったときだった。
「
……………………え? 嘘。
倉本君の声で振り返った私は、彼の隣にいる人と三人のそばまで駆け寄ってきた人を見て、自分の目を疑った。
だって、
「……お前ら、そいつに何の用だ」
三人のそばに駆け寄ってきた人――桃矢は、ぎろりと三人を睨んだ。元々無駄に顔がいいから、そうやって威嚇すると、そこの不良に負けず劣らずの凶悪な面構えになる。いつもはゴールデンレトリバーだっていうのに、まるでドーベルマンかプルドックだ。
さらに。
「うわ、ナンパ? こんなとこでとか、もっといい場所選べよ」
「
「えー、だってそうじゃん。そもそも三人で女の子一人をナンパとか、明らかにヤバい目的としか思えねえし」
「ともかく、彼女の手放せよ。嫌がってるだろ」
駆けつけてくるや気が抜けそうな会話をする童顔系男子二人をほっといて、くたびれたスーツを着れば間違いなくしがない中間管理職に変装できる老け顔の三人目が、びしりと不良を非難する。
品のいい王子様な倉本君だけならまだしも、体格のいい桃矢や東君たちまで揃ってるのに、ひょろっとした遊び人と眼鏡の人が怯まずにいられるわけがない。二人は目に見えて狼狽えた。
でも、不良は違う。それどころか目をきらりと輝かせた。桃矢たちに向き直り、一歩前へ出る。
臨戦態勢の不良の肩に、眼鏡の人が手を置いた。
「よせ。ここで喧嘩になったらさすがに面倒だ」
「ああ? 止めんなよ、こいつらが挑発してきたんだ」
「っ……それでも、防犯カメラが見てるんだ。警備員とかが来たらまずいだろ」
不良の睨みに一瞬怯えた目をして、それでも眼鏡の人は声を震わせることなく制止を繰り返す。遊び人はすっかり怯えて青い顔だというのに、眼鏡の人のほうは意外と根性があるらしい。
「……ちっ」
数拍の睨みあいのあと、根負けしたのは不良のほうだった。くるりと踵を返すと、両手をズボンのポケットにつっこんで去っていく。その背中を遊び人と眼鏡の人が追う。
それを見届けもせず、桃矢は私のほうを向いた。
「
「う、うん……」
状況に流されるまま、とりあえず私は頷く。桃矢の顔は心配そのもので、さっきのは何だったのってくらいだ。
倉本君が駆け寄ってきた。
「水野さん、怪我は?」
「うん、まあ。絡まれたけど、それ以外は何も」
「その顔で説得力ねえよ。そこに座って休んどけよ」
倉本君に続き、桃矢も私の顔を見て真面目な表情で勧めてくる。東君たちも頷いてるのが、視界の端に見えた。どうやら私の顔は、かなりひどいことになってるらしい。当然と言えば当然だけど。
勧められるまま私がベンチに腰を下ろすと、倉本君が紙コップを差し出してくれた。私が頼んでた、あったかいココアだ。手に持つと熱が手のひらに伝わってきて、それだけでほっとする。一口飲むと、もっと熱が私の身体全体に沁みわたっていく。
ああ、生き返る……。
思わず長い息が口から洩れる。その拍子に、私を見る桃矢と駆けつけてきた真彩が視界に映った。
心配だけじゃないような変な顔と、安心しきった顔。
ずき、と胸が痛んで、私はそれを隠すためココアに口をつけた。私が顔をゆがめたのをどう思ったのか、安心顔だった真彩が心配そうにする。
「美伽ちゃん、大丈夫?」
「うん。……二人はデート?」
「うん。せっかくのクリスマスだし、ここに来たかったの」
私が聞き返すと、そばに寄ってきた真彩はにっこりと笑う。よくぞ聞いてくれました、って言うみたいに、嬉しそうに、幸せそうに。
そして…………桃矢の腕に抱きついた。真彩の身体が、ぴたりと桃矢の腕にひっつく。
っ…………!
強い電流が頭のてっぺんから足の爪先まで貫いたみたいな、それか体の奥で大きな火が燃え上がったみたいな、ともかく強い衝撃が私の身体に走った。身体が痺れてるのか、焼かれてるのかわかんない。
喉の奥に詰まった、やめてって私の心の声が頭の中で反響する。『やめて』『離れて』――――『触らないで』。
…………――――――――!
自分の心の中で響く声の醜さに、私は心底ぞっとした。何も考えず、ココアを一気に飲み干す。
どうしてよ。どうして今更胸が痛むの。二人が一緒にいるのは学校で何度も見たし、噂も聞いたし、コンクールでも二人の前で思いきり歌ったじゃない。それですっきりした気持ちになったでしょ? 忘れたの? もう一ヶ月以上見てるのだから、いい加減、このくらい当たり前にしなよ。
そう自分に言い聞かせるのに、ぐちゃぐちゃになりながら気持ちが沈んでいくのは止められない。こんな汚いもの、吐き出さなきゃやってられない。でも駄目だ、と理性は喉から先へと言葉が飛び出すのを抑えつける。
「……おい石田、この自慢野郎をウォータースライダーに放り込みたくないか?」
「ああ東、放り込みたいな」
「リア充爆発しろ……」
私が必死で心の声を表に出さないようにしてる一方、夢見るオケ部三人組は少々物騒な呟きを交わしていた。ついでに言えば、雰囲気も表情もよろしくない。目が半分くらいは本気だ。
「うーん、でも三人共」
と倉本君は小首を傾けて、海辺へ続く道を指差した。
「ウォータースライダーよりあっちのほうが、
「おい、煽るな倉本」
「水も滴るいい男って言うじゃないか、斎内。きっと寒中水泳も楽しいよ?」
「どこらへんが楽しいんだよ」
文化祭のときみたいに間髪入れない即答だ。うん、私も楽しくないと思うよ桃矢。
けど、倉本君は爽やかというか楽しそう。東君たちも、何もしてないのにとってもいい顔だ。なんだろう、悪役とその手下っぽいこの構図。
でも……私も倉本君たちに混ざりたい。ただし、水の中に放り込みたいのは桃矢だけじゃない。私自身だ。今すぐこの場から逃げだして、さっきよりはましだけど消えてくれない、胸の中にある熱くてドロドロしたものを拭い落としてしまいたい。
ところで美伽ちゃん、と真彩は眉をひそめた。
「美伽ちゃんたちは、美伽ちゃんの優勝のお祝いなんだよね? でも、他の人たちは?」
「俺たち以外の人は、トイレに行ったよ。行列ができててまだかかりそうだから、先に来たんだ」
「倉本にいい思いさせたくなかったしな!」
東君が真彩に説明すると、輝かんばかりの笑顔で星野君は続ける。いやあの、いい思いって……倉本君はむしろ三人の味方なんだけど…………。
私の心の中でのツッコミを応援するみたいに、これのどこがいい思いだよ、と倉本君は顔をしかめて腕を組んだ。
「買い出しに行く前は水野さんと普通に話をしていただけなんだから、いい思いも何もないよ。しかも僕は見てるだけで、実際に追い払ったのは斎内や君たちだし。僕はむしろ、情けないところを見せてしまったと思うんだけどね」
「でも、倉本君一人じゃ返り討ちに遭って大怪我してたかもしれないよ? 防犯カメラがあると言っても、あの怖い人は気にしてないみたいにだったし……美伽ちゃんも、すぐあったかいココアを飲めてよかったんじゃない?」
「うん。ありがとう倉本君」
それは本当だ。ただでさえ寒いし、不良たちに絡まれたせいで体温が下がってたもの。それに……見たくないものから目を逸らすのに、ココアを飲むのはちょうどいいし。
少し申し訳なさそうな顔で倉本君は私に礼を言うと、それはともかく、と話を次へと持っていった。桃矢と真彩を交互に見る。
「そろそろ行きなよ、二人とも。後ろの三人組が、本気で斎内をウォータースライダーか海へ落としかねないし。女の子たちが来ると、引き止められるよきっと」
「うん、そうしなよ桃矢、真彩。私はもう大丈夫だから」
「ほら、水野さんもこう言ってることだし。彼女が無茶をしないよう、僕が見張っておくから。あとは二人で仲良く、クリスマスを楽しんできなよ」
そうだよ、早く行ってよ。付き合ってるんだから、早く二人きりになっていちゃいちゃしたいでしょ? だったらもう、私の目の届かないところへ行ってよ。
お願いだから、私にみじめな思いをさせないで。
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