第23話 痛みと約束と・一
ケーブルテレビでお母さんが見てたドラマの、ハンムラビ法チックな決め科白を最近言いたくてしょうがない。や、ホントに。心の中では毎回言ってるけどね。
そんな馬鹿なことを考えでもしないと、私は今の状況から意識を逸らせそうになかった。
私に悪意を向ける誰かさんの嫌がらせは、相変わらず続いていた。とはいえ頻度は減ったし、中傷の紙を下駄箱や机の中につっこむようなのはこのところない。代わりに増えたのは、下駄箱の取手や私の靴にカッターの刃を仕込んだり、廊下で人ごみに紛れて突き飛ばそうとしてきたり、足を引っかけてきたりといった、直接私に攻撃してくる類だ。紙やネットに悪口を書くのが面倒になったのか知らないけど、だったらこのくだらない嫌がらせごと面倒だって考えろとしか思えない。
数日前、
さすがにここまで露骨になってくると、
――――――――のだけど。
「まさか、こんなことまでするとはな……」
「私は桃矢にそう言いたいよ……!」
「仕方ねえだろ、そんなとこ押さえたままじゃ歩けねえんだから」
「友里に助けてもらったらなんとか歩けたよ! 肩を貸してくれるだけでよかったんだけど! なんでこうなるのよ……!」
桃矢のせいで、皆にじろじろ見られるはめになったじゃないの! 次に嫌がらせされたら、桃矢のせいだからね!
私がそう心の中で叫んだのは、絶対に私の八つ当たりじゃない。うん、そうに決まってる。
だって、こんなのあんまりだ。
そりゃ私も、ありえそうだなあって考えなかったわけじゃないよ? 嫌がらせの犯人は、古典的な嫌がらせもしてくるんだから。だから休憩中、外階段近くを歩いてるところを後ろから思いきり突き飛ばされちゃっても、驚きはしなかったんだよ。犯人に改めて腹が立ったというか呆れたというか……。
でも……だからってなんで、通りがかった桃矢にお姫様抱っこされなきゃなんないのよ……!
考えられる限り、最低最悪の事態としか言いようがない。こんなの、文化祭で手を繋いだのどころじゃない。もし
穴があったら入りたい。誰かあの教会の片隅に穴を掘ってください。というか友里、一緒にいたのになんでついてきてくれなかったのよ…………薄情者…………。
誰にもこの耳まで真っ赤な顔を見られたくなくて手で隠してるうちに、桃矢は保健室に着いた。がらりと荒っぽく扉を開け、舌打ちする。
「? どうしたの?」
「校医がいねえんだよ」
………………。
ちょっとちょっと、昼休憩が終わる直前の保健室って普通、誰かいるものじゃないの? 先生じゃなくても、さぼリ中もしくは体調不良の生徒とかさ。これ、ホントに誰もいないじゃん。皆真面目すぎない?
「ったく、校医がさぼるなよ……」
言いながら桃矢は私を黒い合成皮革の長椅子に下ろすと、道具を探しに棚へ向かう。いや桃矢、さぼってるわけじゃないと思うけど……まあ、不用心なのは確かだよね。薬品棚はさすがに鍵をかけてあるだろうけどさ。
私は長椅子に投げだした足の怪我をハンカチで抑えながら、桃矢の腕の中から解放された安堵で長い息をついた。
突き飛ばされて手すりにぶつけたせいでか、頭がまだがんがんする。何より、脛が一番痛い。割れたまま放置されてたコンクリートの壁のせいで開いた傷口は熱を帯びて、そこ自身が心臓みたいにじくじくと負傷を私自身に訴える。傷口を覆うハンカチは、手を外せばきっと真っ赤に染まってるに違いない。
これだけ痛いのだから、走るのは到底無理だし、普通に歩くのも長くはもたないっぽい。お風呂は……想像したくない。シャワーだけにしないといけないかな……。
何より、練習。全国大会まで一ヶ月くらいしかない。そりゃ別に、ものすごく優勝したいってわけじゃないけど……怪我したから仕方ないねって言い訳して諦める程度のやる気しかないわけでもないし、ミスもしたくない。自分が満足できる出来で、いい成績を残したい。
だからもっと練習したいし、しなきゃならないっていうのにこの痛みじゃ……ああもう、ホントに腹が立つ。
水道水で濡らした綿とかを桃矢が持ってきてくれて、寄せてきた椅子に座ったちょうどそのとき、チャイムが鳴った。やっぱり間に合わなかった。遅刻だ。
怪我を見て視線をさまよわせてから、桃矢は私のほうを見た。
「自分でやれるか?」
「するよ。桃矢は教室に戻っていいよ。今から走れば、まだぎりぎり授業に間に合うかも」
というか、さっさと行ってよ。そんな意味を言外にこめて私は言った。桃矢に見られながら手当とか、何それやめて。
だっていうのに、桃矢は椅子から立ち上がろうとしなかった。
「……いや、心配だからついてる」
「は? 別に死にそうなわけじゃないし、私一人で平気だよ」
「お前がそんな怪我してるのに放って、授業に戻れるかよ。つか一人でいたら、また襲われるかもしれねえだろ」
………………。
なんの恥ずかしげもなく、まるで当たり前のことを言い返すみたいに自然で、そして真剣な顔だった。本気でそう思ってるんだと、一瞬でわかる。
……あんたはもう……………。
「……好きにすれば」
どうにかそれだけ言って、私は渡された綿で手当を始めるふりをして俯いた。だって今、顔がこんなにも熱いもの。赤くなってるなんて、絶対にばれたくない……!
髪が長くてよかった。今日ほどそう思ったことはきっとない。
…………………………うん、ホントに。ホントに髪長くてよかった。
スカートの裾を強く握り、水を含んだ綿で傷口を綺麗にしながら、私は心底思った。ハンカチで傷口を軽く拭いたどころじゃない、肌の表面どころかその下まで水が沁みていくような痛みが絶えないんだもの。
だから嫌だったんだよこれっ……! 桃矢に横からじっと見られてるし。もうやだ、なんで私がこんな目に遭わなきゃいけないのよ。
犯人を見つけたら、思いっきりひっぱいてやる。私がそう決意を固めてたときだった。
………………え?
えと…………?
眦に何か擦れたような…………というか、桃矢が指を伸ばしてきて………………。
「……お前が半泣きになるの、久しぶりに見たな」
「っう、うるさい桃矢。傷口に水垂らしたら、誰だって涙出るよ」
からかいよりも優しさが混じる声で桃矢は言う。私はそれに、噛みつくようにしか返せなかった。
どれだけ水を含んだ綿を傷口に当てたと思ってるのよ。そこは黙っとくのが優しさでしょ。わざと茶化したんだってわかってるけどさ。
でも、だからって涙を拭うことはないでしょ……! なんでそんなことするかなもう!
恥ずかしくて、涙なんて引っ込んじゃう。こんなの、顔を上げられないじゃない。桃矢の馬鹿。
肩を揺らしてひとしきり笑った桃矢は、不意に表情を真面目なものに変えた。
「……それで
「ううん。後ろからだったから、わかんない。茶色系のそこそこ長い髪の女子だって言ってる人はいたけど……」
茶髪の長髪女子なんて、犯人の手がかりにならない。友里も私と話してたから、何も見てないと思う。つまり、犯人の断定は無理なままだ。
「……キレてやらかしやがったか」
「……? 桃矢、どういうこと?」
何その推理物の探偵っぽい科白。私は思わず、綿を持つ手を止めた。
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