第三章 変わり始める日々
第41話 虹色の放物線
いつだって時が過ぎるのは早いものだ。
気がつけばいつの間にか大事だと思っていた時間は過ぎ去っていってたりする。
たとえばこうやって、何かに時間を全て費やす、なんてことがあれば尚更、時間は無常にも過ぎていく。
...ま、その場合は、やるべきことがちゃんと終わってるならいいんだけどね。
そんな訳で、各々に振られた作業を終わらせているうちに、日付は当日となった。
今日は土曜日であるが、ちはやちゃんの権限の元に、旧部室棟を開けてもらっている。会場はここから歩いて五分ほどの場所にある公園。そんなに近いのなら、ここで打ち合わせしていくのでいいのではないかという陽太の提案だ。
そんな訳で午前九時。なじんだいつもの部屋には、俺、陽太、古市、秋乃、戸坂、美春といった6人の人間が集まっていた。因みに生徒会は別行動らしい。どうやら司会運営の仕事が回っているようだ。
「それじゃあまあ、当日になったんで改めて状況確認しようか。...といっても、俺みたいな一部人間はもう仕事終えてたりすると思うけど」
珍しく陽太が自分から全体の場へと話を切り出す。まあ、この部屋の室長は陽太だし、グループの統率とかももっと取ってもらいたいんだけど。
「私のほうに頼まれてたデザイン、ああ、ポスター用の絵とか、ロケットのデザインは滞りなく終わってるよ。...というか、終わってなかったらまずいと思うんだけど」
「だよな。んで、ロケット製作半のほうはもう結構前から終わってる感じだ。今、生徒会の連中に運んでって貰っているんだよな?」
「そうですね。予備とかあったりしますか? 一応、これと手渡されたあのロケットしか渡してないんですけど」
「予備はない。...私、失敗しないので」
陽太はそういって渾身のドヤ顔を披露する。...こうやって調子に乗られていると止めたくなるのが人間の性分。
「そもそも特監生になったということがもう失敗だぞ」
「おう悠、お前もな」
「ぐぇ」
...返り討ちにあってしまった。
「...それで、他に話すことは?」
脱線しかけていた話を古市が戻す。そういわれて勝手に二人で盛り上がっていた俺と陽太は本題に戻る。
「悪い悪い。...んで、当日、今日の流れか。そこのところは悠、お前の管轄だろ?」
「ああ。...えっと、これからあの公園まで歩いていって、10:30にオープニングセレモニー...まあ、本郷先輩が話すくらいだからこっちには何も関係なし。ただロケット自体は運んで貰っているだけだから、セッティングはこちらの領分。一応手伝うが...ここは製作陣メインで動いて欲しい。陽太、戸坂、頼める?」
急に部外者が触って壊してしまうのも怖いし...。特に某Aさんあたりは。
「...ま、そうなるわな」
「問題ないですよ。...といっても僕はただ見てるだけでしたが」
陽太と戸坂に了承を受け、そのまま次の話しに行こうとしたがそこで美春から声がかかる。
「ゆーくんゆーくん、その間、私たちは何をすればいいの?」
「ん? まあ、手伝いほどほどにやって後は...、そうだ。本題のメッセージのほうだ」
今回、ただロケットを飛ばすだけではなく、亡き者の霊が帰ってくるといわれる山に、メッセージを書いて飛ばすといった主題があるのを忘れてはいけなかった。
「メッセージ?」
この主題に一番無関係そうな陽太が案の定首を傾げる。...あれ?でも俺確かにちゃんと説明したはずなんだけど?
「あれ、言ってなかったっけ? 陽太」
「いや、詳しく聞いてなかっただけ」
陽太は、ははっと笑って手を頭の後ろに回した。...これってギルティ。
「はっは、そうかそうか、お前後でしばくからな」
「んなことより詳細よろしく」
「ったく、ちゃんと聞けよ...。...えっと、今回ロケットを飛ばすという話だけど、飛ばす方向は飯田山。知ってる人知らない人いると思うが、あそこには亡き人の霊が帰ってくるという言い伝えがある。...ま、それに思いいれがある人ない人関わらず、そこにメッセージを書いてまとめて飯田山に飛ばすって話だ。当然、スタッフもやらないとお手本にならない。そういうことだ。という訳で、ここにいる皆にも当然書いて貰うことになる」
最も、一番何を書こうか悩んでいたのは自分だろうけど。
...いや、今も実際、悩んでるか。
「なるほど。それは向こうについてでいいんだよな?」
「もちろん」
「了解。...話しておくことはこれくらいか?」
陽太が改めて場にいる全員の反応をうかがう。それに乗じて俺も顔を伺うが、どうやら質問のある人はいなさそうだ。
「...よし、無いようならさっさと上がって向こうに行こう。別にまとまっていかなくても良いよな?」
「まあ、な。...んじゃ、10時に向こう集合で良いな?」
一同から了解を得て、俺は腰をあげてドアの向こうへ行こうとする。しかし、何か伝え忘れた感じがして、少し重たくなった足を止めた。
「...どうした?」
「...いや。何か言いたかったんだけど...。何だっけ」
「知りませんよ」
場にいる全員が俺のほうを向く。それでなぜか、今回のリーダーが一応俺であることを再確認できた。
...そうか。言いたかったことは多分これだな。
別にリーダーシップを取りたいわけじゃないが、言っておかなければいけないであろう言葉が浮かび上がる。
俺は冷水を頭から浴びたように目を覚まし、しっかりと意思の篭った声で言い放った。
「それじゃみんな、今日は楽しもう!」
「「「「「おー!」」」」」
---
それから時間がたち、本番を迎えた。
向こう側でオープニングセレモニーが行われているのを尻目に、俺と古市はメッセージの書かれた紙の回収を行っていた。
というのも、製作陣3人はメインでセッティング、秋乃は生徒会とのパイプライン役で走り回っているので、この役に当てはまるのが俺と古市しかいなかったわけだ。
立てた白テントの下の長机で来た人にメッセージを書いて貰い、折りたたんで提出して貰う。
人数のほうは...初めての試みとしては意外と来ていると言えるぐらいだ。
特に子供が多いのには少し驚いた。...やっぱり、いつになっても子供の好奇心というのは削がれないものなんだと一人感心して深く頷いた。
きっと、自分にもこんな時期があったのだろう。
その好奇心の行方はいつの間にか分からなくなってしまったが。
「にしても、オープニングセレモニー真っ最中と言った割には、結構人が来てるみたいだな」
ぱたりと人の足が止まったのを境に、俺はぶっきらぼうに古市に話しかけてみる。
「...そうね。正直、全然こないものかと心配してた」
「うん、だよな。...まぁ、まだ全然終わってないけど、これなら成功っていえるんじゃないか?」
「そうだと思う」
古市の表情は変わらない。それどころか、今日は感情の色も見えない。
...まあ、あまり面白くもない話を振った俺が悪い。ここは気にしないで置こう。
そう思って俺が目をそらしてセレモニーが行われているほうを向いた瞬間、俺の肩をトントンと優しく古市が叩いた。
「どうした?」
「...ね、須波君はなんて書くの?」
「...メッセージ?」
「メッセージ」
それしかないはずなのに、俺は改めて聞きなおすしかなかった。
俺の肩を叩いた時のその仕草、その表情がどこかかわいいと思ってしまったからだろうか。
純真な眼をやや上目遣いで俺のほうに向ける。そんな仕草だけで、なぜか俺の心はテンパっていた。
いずれにせよ、こんな少しどころじゃなく顔が赤くなってる状態で真正面から古市を凝視できるはずもなく、俺はあさっての方向に視線を飛ばす。
「そ、そうだな...。そうだな...。俺の書きたいこと、か」
この前美春の前で感じたことはちゃんと覚えている。あの気持ちは嘘ではないだろう。
もうすれ違わないようにしたい。あんなに辛い思いは、もうしたくない。
...でも、俺が言葉にしたい想いってのは、果たしてそれだけなんだろうか。
特監生になって、2ヶ月。
何も無いようにだらだら過ごしていた気がする。...けど、変わった事だってある。
俺と同じようにどこか問題を持っている生徒が集まって、変な出会いが起きて、謎ばかりの体験をこの2ヶ月で経験して、変わってないなんて言えるはずもない。
そんな毎日で、俺は何を思ってるんだろうか。
陽太と久しぶりに密接な関係になって、変わらないことに喜びを覚えて。
秋乃という後輩と近づいて、せめてこいつの前ではかっこいいままでありたいと思って。
戸坂という問題児といざこざを起こして、こうすることしか自分には出来ないのかと嘆いて。
美春ともう一度向き合って、もうすれ違わないようにしたいと願って。
...でも、一番は、古市冬華という女性に出会い、だんだんと変わっていく有様を目の前で見て、羨ましいと思ったことだろう。
結局、書きたいことなんてこんな紙切れで埋まるわけがないんだ。だから。
「...俺は、前に進みたい。ただ、それだけだよ」
少しばかり無理に作った笑顔で古市に答える。
古市は何も言わずに無言で頷く。何か思うところがあるんだろうか。
なんて人の心を詮索するような人間にはなりたくないので、そんな変な感情はすぐに消し去った。
ただ、俺にだって権利はあるはずだから。
「ならさ、古市はなんて書くんだ?」
古市は少しだけ固まって、少し照れた様子を見せる。
「えっと...私、は...。あっ」
そう声をあげたかと思うと、古市は長机の元に戻り、前を向きなおした。
「須波君、セレモニーが終わったみたい。どんどん来るよ」
「あ、ああ。了解」
そうして流れてくる人の波によって、古市の言葉はかき消された。
結局何を書こうとしてるのか聞けない、何で照れたのか分からないまま。
神様というのは無常なもので、そこから一切の時間を与えてくれないまま、いよいよ打ち上げの時間となってしまった。
集まった多くの人が、空を見上げる。
綺麗にセッティングされ、沢山の人が書いて寄せたメッセージを入れた袋がついたロケットは、その頭を飯田山へと向けられている。
その袋の中にも、当然、プロジェクトに携わった俺たちのメッセージも入っている。
各々が何を書いたのかなんて知らない。各々が何を思ってるかなんて知らない。
だから俺が出来ることといえば、ただ祈るくらいだろう。
仕事を終えた俺と古市と美春は一列に並んでロケットの発射を見守っていた。
右隣にいる古市も、左隣にいる美春も、ただ息を飲んでじっとロケットを見守っている。もちろん、俺もそうだ。
「...ねえ、成功するかな?」
左にいる美春が、どこか心配そうに俺の顔を覗いてきた。
「知らねえよ。ただ、信じるか信じないかは別だろ」
「そうね」
少なくとも、俺は仲間として、...親友として、陽太を信じている。
それ以上の感情なんて、きっと今はいらない。
『それではみなさん! カウントダウンをお願いします!!』
元気のいい秋乃のアナウンスの後で、その場で見守る多くの人が10からカウントを始める。
ひとつずつ数字が減っていく。気づけば、俺も、古市も、美春も声をあげて一緒に数えていた。
そのカウントがゼロになった瞬間、ロケットのほうから出たすさまじい音が、俺の耳を刺激する。
その刺激に耐えることができず、俺は一瞬、強く目をつぶった。
そして、恐る恐る目を開ける。
目の前の、沢山の人の願いが詰まったロケットは、高く高く、綺麗な弧を描いて空を駆けていった。
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