第20話 始まりのページ


週明けの月曜日。

まあ、いつも通り退屈なのには変わりない。今日も頬杖をついてぼんやりと黒板を眺めて、授業の内容をそこはかとなく頭に入れる、いつもどおりの一日だ。

いつもどおり、というのもあって、古市のこれからについて考えるのはやめておいた。もとより俺が考えても何の意味もないのだ。


もう、例の件は終わってしまっているはずだから。

では、いつか昼飯時に話したことは?となっても、そちらのほうも次第によい方向へと向かってきている。あの日ちはやちゃんにいたことは嘘ではないのだ。

古市は俺とは違う。決して問題児なんかじゃなかった。


初めて話を聞いたときは分かっていたことをいつの間にか忘れており、そしてまた、思い出した。

そう優秀であるからこそ、俺よりも早く自分の悪いと思われているところを改善できているのかもしれない。

少しうらやましく思うが、それだけだ。


俺は俺だ。いくらうらやましがっても仕方はないものは仕方がない。

それに、あそこで過ごす日々のことを考えるといっそ問題児のままでいいんじゃないかと思ってしまう始末だ。

しかし、それはそれで許されないのだから、また今日も俺はもがくだろう。


少しはその憂鬱さ、痛みにも慣れてきているはずだ。



そうして俺はぼんやりしていた自分の世界からさめ、また黒板へと目を向けた。




---




たまには自分を変えてみるのもいいだろう、そう思って俺は昼になると旧部室棟へ真っ先に向かった。

特に理由はない。まあ、昼飯をここで食べるつもりといえばそれまでの話。

いつか陽太が昼にもここは開いてるなんていってたから、きっと開いていると思うが...。



結果から言うと、普通に開いていた。

しかし人の気配がしない。陽太の一人や二人いるんじゃないかと思っていたがさきほどなにやら放送で怒声で呼ばれていたことを思い出した。きっと授業中に化学実験でもやったんではないだろうか?


しかし、俺は別にこの空間に誰かを欲しているわけではなかったので、いつもどおり部屋を目指した。

そうして玄関のドアをくぐり、廊下にたどり着く。

がらんとした殺風景な廊下。春も終わりかけ。中途半端なフローリングの木の匂いが鼻腔をつく。

そうして立ち止まって思い返してみるのだが、俺はここに一人で来たことはないらしい。だから今こうして自発的に動いていることを考えると少し不思議に思ってしまう。


まあ、簡単な話だ。

きっと俺も少しは成長したのではないかということ。


「なーんて。」

一人虚空につぶやく。もちろん返事は返ってこない。俺はこの空間に納得し。一度うんと頷くといつもの部屋に入っていった。



ドアノブを回し、ドアの向こうにはいつもの風景。

けれど誰もいない分、少し大きく、少し寂しく感じる。

そうして俺は誰もいない正方形のコタツ机に弁当を広げる。


しかし、その蓋を取る前に、俺は渇いたのどを潤そうと席を立った。

幸い、この場所から自販機は近い。

結構広い皐月ヶ丘高校、であれば各所に自販機が置いてあるのも不思議ではないだろう。

今俺がいる旧部室棟周りには二つほど自販機が設置してある。まあ、一つはカップ麺のだけど。


さて、何を飲もうかと財布を持ってドアノブを回すと、そこには一人の人影があった。

それは綺麗な顔立ちをしているのに、感情が表面に出ない...いや、出なかった人だ。

しかし、なぜ彼女がここにいるのかが俺にはいまいち理解できなかった。

それでも状況はだんまりを許さない。俺は何か話さねばと古市に声をかけた。


「よう、その...どうしたんだ?こんなところに?」

「ううん、特に意味はない。ただ...これ。」

古市はいつも通りの様子で答える。本当に、いつものように。

そうして手元にあるコンビニ弁当の袋をがさっと鳴らして俺の目の前に持ち上げた。

「なるほど、お前もここに飯を食いに来たってわけだな。」

「うん。...ということは、須波君も?」

「まあな。」


どこかここに呼ばれた気がしたからここで昼食をとることにした。

なんて言葉は口から出ないが、俺は苦笑を浮かべた。


「まあ...なんだ、こんなところで立ち話もなんだし、先入ってろよ。...そだ、今から飲み物なんか買うつもりだけど、何かいるか?」

「...おしるこ。」

「りょーかい。...待て、あったかいものってこの時期あるのか?」

「そこのは、ある。」

「まじか...。まあ、分かったわ。」


確認しよう。

今は四月の終わり。気温は高ければ30度を超える日もある。

そんななかでなぜ暖かいものが売ってあるのか。

流石に俺には理解が出来なかった。


まあ、そんなことはどうでもよく、少しばかり気まずい現状をどうにかすべく、俺は自販機へと逃げるように向かうのだった。



---




部屋に戻ると、俺の反対側、いつものポジションに古市がちょこんと座っていた。

俺はさっきの席へ戻ると、少しあったまった左手を古市のほうに差し出し、例の品、おしるこを手渡した。


というか、本当にあったの驚きなんだけど...。なんで知ってるの?



「ありがとう。」

「なーに。」

礼に及ぶことではない。それ以降はこの話を切り上げ、互いに弁当を開いた。



それから食べること数分。

時々手を止めて古市のほうを見るのだが、やはり食べっぷりがすごい。前にあそこの定食屋、確か野菊だったか...?で見たときもそうだったけど、本当においしそうに食べている。


まあ確かに?料理をおいしく食べてくれる人のほうが好感は高いよな。

そんな中で一つ質問が浮かんだ。


「そういえば古市はさ、料理とかできるのか?」

その瞬間、古市の箸を持つ手がピクリと止まり、油の回っていないロボットのようにギギギッ...と音を立たせるように俺のほうを向く。


あ、やべ、地雷踏んだわ。


「...知りたい?」

「いや、別に大丈夫だけど。」

「ねぇ、知りたい?」


うわー...聞いちゃいねぇ...。

これイエスと答えるまで抜けれないやつだ。やってしまった。


「...知りたい、です。」

「よろしい。」

そうして古市は不気味な笑みを浮かべた。なんだろう...悪魔のような笑い声が聞こえてくる。


「...じゃあ、今度何か作って持ってくる、自信あるから、覚悟して待ってて。」

「リョウカイデス。」

「ふふっ。」

そうして今度は毒の抜けた笑みを浮かべ、微笑んだ。


しかし、その微笑を見てしまうとどうしても俺の心は晴れないままでいた。

この時間もきっといつか終わってしまう、そう考えるとやはり寂しい。

おそらく、恋なんてものとはまた違うのだろうが。




それから先、互いに言葉は無く、ただ箸の音が時々チャカチャカ聞こえるだけだ。

いつの間にか古市は先に食べ終わっており、「じゃあ私、用事があるから。」とだけ言って先に出て行ってしまった。


結局のところ、俺は古市にこれからどうしたいかを聞き出せないでいた。

けれど分かっている。追いかけて問い詰めるだけそれは野暮な行為だと。

そこまで分かっているからこそ俺は、やはり深いため息をついた。





---




何も考えなければ時間が立つのも早いわけで、気づけばもう放課後になっていた。

そして...この有様だ。放課後になることが今日ばかりは少し憂鬱になっていた俺はいたたまれなく、どうにか心でくすぶっているもやもやを払えないかとあちこち回って部屋に向かうことにした。


しかし、どこに行っても答えはない。

屋上も、購買部も、グラウンドも。

どこに行っても気が晴れることは無く、そこで俺はやはり向き合うほか選択肢がないというのをやっと理解した。

一度大きく息を吸う。別に何の色もついていないただの空気を体の中に入れ、自分の心が澄むようにと入れ替えるようにと息を吐く。


「...よし。」

覚悟は出来た。

古市がどうするかなんてのは俺が口出しできることではない。けれどどの結果になろうと俺はただそれを見届けるだけだ。



本日二度目の部屋にはもう古市も陽太もいた。

どうやら自分がビリ欠らしい。俺は「悪い」と言って苦笑した。

二人は珍しく何かを話していたのか、俺が入った瞬間におたがいピクリとも動かなかった。

数秒たってこちらが声を出したので、それに反応するという形でその硬直は終わったが。


「おう、少し遅かったな。どこ行ってたんだ?別にいいけどあまり遅いとちはやちゃん来るからな、最低それまでには来ておいた方がいいぞ。」

陽太は通常と変わらない調子で俺に助言をする。ここの管理者の言うことだ。素直に聞くに値する話だろう。


そして、古市は。

「おかえり。」

と一言だけ言った。


それは、何に対してのおかえりだったのだろうか。

今日の昼、二人でここにいたことかもしれない。あるいは...俺の居場所がここになっていることへのおかえりか。

そんな益体も無いことを考えているため、俺の身体は完全停止していた。


やがてはっと意識を取り戻し、少しキョドりながら答えた。

「ただ...いま?」

「うん、おかえり。」

そうして古市は微笑を浮かべる。それはまるで花が綻ぶかのように、雲から太陽が覗くかのように。


そんなやりとりがおかしくて俺は、やはり少し息を漏らして笑ってしまった。

全く、恋人でもなんでもないってのに俺はなんて顔しているんだろうな。



しかし、そんな暖かい陽だまりのような時間は開いたドアの音で一瞬で切り裂かれる。開けられたドアの向こうから、あるはずのない冷気が流れ込んだ。


そしてそこにはちはやちゃんが立っている。ということは、時間が来たのだろう。


「...時間ですか?」

俺はちはやちゃんが口を開く前に先に声をあげた。ちはやちゃんはただ何の感情も浮かべることなくぶっきらぼうに「ああ」と答える。

古市自身は何も知らないのかはてと首をかしげ、おそらく俺より先に話を聞いていたであろう陽太は相変わらず口を挟む様子が無かった。


はっきり言ってとても気まずい。逃げれるのなら逃げ出したくなるくらいに。

各々何かを思っているのだろう。

少なくとも俺は、古市の答えを聞きたいという一心にのみ支配されていた。


ただ人知れず時間は流れる。ドアが開いて30秒後ほど。ようやくちはやちゃんの口が開いた。

「古市。この場でいいから確認する。...お前は今もう特監生をやめれる状態にあるんだ。そこで、君の気持ちについて知りたいんだ。これからどうしたいか。」

それから先の詳しい話はちはやちゃんはしなかった。本人の気遣いだろう。


さて、古市は唐突に事実を告げられたわけだが、その表情は全く変わらなかった。

けれど、それは表すことが出来ないわけではなく、今は表す必要が無いのだろうと俺は知っていた。

そしてそれは、答えがとっくに決まっていることの現われだということも、俺は知っていた。


古市はそのままつまることなく言葉を紡ぐ。

「...まず、学校側の意見を、聞かせてください。」

「学校側は改善が見られているとして君の特監生状態を解除したいと思っている。...が、私としては学校の意思は関係ないと思っている。あくまで私が尊重するのは、君の意思だけだよ。」

「そうですか。」

優しく諭すちはやちゃんの声によって、一瞬だけ表情を緩ませ、古市は下を向いた。


それが何を意味していたのかは俺は知らない。だが、同時に、今俺に出来ることは何もないということを知っていたため、黙って息を呑み、ただ古市の顔が上がるのを待った。


そして数秒後。ゆっくりと古市の顔が上がった。そのままはきはきとした調子で古市は答えを返した。

「私は...ここにいます。私は特監生です。たとえ問題があってもなくても、私の居場所はきっとここなんです。だから...これからもお願いします。」


そうして古市は初めてここに来た時のように深くお辞儀をした。

その表情には確かに笑顔がある。その笑顔はこれまで見た表情の中で一番綺麗といってもいいほど美しかった。


そうしてただ聞いているだけの俺はとりあえずほっとした。

それは少し前の俺ならば理解できない感情だったかもしれない。けれど今ならどこか理解できる。


ちはやちゃんはふっと一度息をついたかと思うと、全てを包み込むような笑みを浮かべた。

「そうか。それが君の答えか。...なら、私が言うことはこれ以上は無い。これからも励むように。」

「はい、ありがとうございます。」

太陽を邪魔するように固まっていた何かが、粉となって風に吹き飛ばされるように、部屋の中にふたたび陽だまりが戻ったような気がした。


俺も、陽太も、古市も、ちはやちゃんにも、その表情の中に曇りは無かった。


「あっ、それとそうだ。」

ちはやちゃんは本校舎に帰る前に一度部屋を出て、先生用の部屋に向かった。

そうして帰ってきたかと思うと、そこに一人の男子をつれていた。


そいつは俺だけが知っている。

ストーカー事件の犯人で、実は問題児で、でも決して悪い奴ではない。

だから古市と同じ場所にいることになってもきっと大丈夫だろう。


初めて出会ったときより前髪をきり、目元をはっきりさせたその男子は、弱弱しく、でも芯の通った声で自分の名を語った。


「戸坂、璃玖です。...よろしく、おねがいします。」

戸坂がぺこりと頭を下げると、陽太、古市の順番によろしくという声が部屋の中で響いた。

そうして俺の番。


これから先、きっとにぎやかになるだろう。

それが青春と呼べるものかは俺は知らない。けれど、今はこれからさきここでの日々が楽しいと思えるものであることを願って。









「ああ、よろしくな。戸坂。」

これが、メモの最初の一ページだ。








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