第5話 優等生の欠陥
古市冬華。彼女は一言で言えば優等生だ。
俺たちと同じ高校二年生。ついでに言うと同じ普通科のクラスメイト。だからこそその頭の良さはテストだの授業態度などからはっきりと伝わってくる。言い忘れていたが俺のいるクラスは2-Bだが今はそんなことはどうでもよい。
また容姿のほうも美しいといって問題ないほどだ。黒い髪を肩まで伸ばし、キリッとした目を常にまっすぐ向けている。そんな感じだから、学年で彼女のことを狙っている男は少なくないのではないかと思われる。もちろん、ことごとく無視されてるけど。
しかし、今気にすべきところはそういうところではない。
なぜ彼女が、この部屋に来ることになったのか、ということだ。
「ちょっと!?なんで彼女がここに来る必要があるんですか!?」
思わず声をあげる。それが失礼な行為だとかは全く気にせず。
ちはやちゃんは右手を頭の後ろに回してどうしたものかなといた雰囲気を出しながら答えた。
「最初に君に言ったろ。特別監視生徒というのは問題児を監視する場所だと。それは誰もが君のような暴力的な問題児だとか、向洋のような極度の馬鹿のような問題児なわけじゃない。それに、担当こそ私だが、誰が特監生に指名されるかは私が決めているわけじゃない。だからまぁ、そう言われても返答しかねる。あと人前でちはやちゃん呼びはやめてくれ。」
それって、少し理不尽では...。
そう言おうとしたが、先ほどの非礼を思い出し、俺は口を紡ぐ。
行き場のない感情に困って陽太のほうを向く。向いた先の陽太の表情は別にかまいませんよと言ったような表情だった。
それに、俺も別に彼女のことが気に入らないわけでも、彼女にここに入ってほしくないわけでもない。
単純に、納得がいかないのだ。彼女ほどの優等生が、なぜ特監生なのか、ということが。
「というわけだ。これ以上は先ほども言ったがここでは返答しかねる。拒否権もないわけだし、特に支障が出るわけでもないだろう。という訳で古市、挨拶しとけ。」
「今日からよろしくお願いします。」
その綺麗な髪を垂らしながら深くお辞儀をする。
頭を下げ始め、上げ終わるまでのその一連の動作があまりにも綺麗で、俺は何も言うことができず見入ってしまう。
しかし、見入ってたからこそ分かることもあった。
表情が、さっき教室で見たときと全く一緒なのだ。
そのことにほんの少しだけ違和感を得たところで正気を取り戻す。
「こちらこそ、お願いします。」
「ま、自由に使っちゃっていいよ、ここ。不便なこととかあったらなんでも言って。極力叶えるから。」
「ありがとう。」
そう言った彼女の顔には笑顔も何もない。さっきと全く変わらないのだ。
「叶えるってお前な...。変に改造したら上からなんて言われるか分からないんだぞ?」
ちはやちゃんが陽太の好き勝手を止めるべく会話に割って入る。
「えー、でも、ここの管理俺に一任したのちはやちゃんだし、実際問題ないですよね?」
「うぐっ...。それを言われたら何も言えない...。」
ちはやちゃんは弱点を突かれたかのように硬直する。ははん、さてはこの人、家事ポンコツなのか?独身ってのもあるし...。
そんな様子に俺は少しふっと笑ってしまったが、彼女はやはり笑わない。ますます違和感を覚える。全くといっていいほどキリがない。
「...んんっ、そういうわけだ。後は任せるぞ。」
ちはやちゃんはこれ以上ボロを出すまいと話を咳払いで切り上げ、部屋から出て行く。
...あれ?俺本題何も聞けてないじゃん。
「ちょっと待ったち...先生!...行ったか。」
俺の言葉の途中でドアが閉められる。そうして部屋には俺たち三人と静寂だけが残った。
しかし、そんなに固まっていられる訳でもなく、後を追うように俺はドアを開けた。
すると、先日ちはやちゃんに詳しい説明を聞かされた部屋から手招きが見えた。
おそらくあの人は公の場で実態を話すつもりこそなかったものの、ちゃんと俺が疑問を抱いていたことを感じていたのだろう。
俺はその善意に甘え、ちはやちゃんのいる部屋へと向かった。
---
「さて、ちょっと色々聞きたいことがあるんですけどいいですか?」
ちはやちゃんのいる部屋に付いた俺は常時置いてあるパイプ椅子に座ることなく、先生のいる机にバンッと音を立ててちはやちゃんに詰め寄った。
「おいおい...。ヤクザか己は。まあちゃんと説明するから落ち着けって。起こっても何もいいことないぞ?」
「別に怒ってるわけじゃないんですけどね...。」
そうして俺は椅子へと戻った。
座った椅子のシートにはわずかにぬくもりが残っていた。ということは、さっきまで古市が説明を聞いていたんだろう。
「それで...。さて、どこから話そうかなぁ...。」
そう言ったちはやちゃんはスーツの胸ポケットに手を入れた。俺はその行為が何を意味しているのかを知っていたため、すぐに止めた。
「だから生徒の目に付くところでタバコ吸っちゃだめって言ってるじゃないすか。まさか、さっき古市に説明してるときも吸ったわけじゃないですよね?」
「ちぇっ...ばれたか。ああ、因みにあいつの前では吸ってないぞ。女子生徒の前だと印象ダウンするだろうしな。」
ちはやちゃんは拗ねたように唇を尖らせる。
そんなことやっても可愛く...。いや、言ったら殺されるからやめとこう。
「男だったらいいって訳でもないでしょうに...。というか、そこにある灰皿が目に付いた瞬間、吸ってなくてもばれますけどね。」
「あっ、しまった...。灰皿もポケットにしたほうがよかったか...。でもあれはあれで扱いが面倒でな...。」
ちはやちゃんはよそを向いてこだわりについて話し出す。その様子に俺は一瞬だけ聞き入ってしまった。
「なるほど...。ってそんな話じゃないですよ!焦らさないでください!」
「話題逸らしたの君だろう...。まあ、原因は私かもしれないが。」
気が付けば話が脱線してしまうのは俺の悪い癖だとは思うけど...。
とりあえずそんなことは放っておこう。
「さて、古市がなぜ特監生なのか、というのが君の疑問だね?」
ちはやちゃんはこちらを向きなおすと、改まって話を持ち上げた。両手を机をのせてその手の甲にあごを乗せる...碇〇ントウ?
しかし、改まった話に俺もおふざけで返すわけにもいかず、まじめに返答を返した。
「そうです。俺、一応あいつとクラス一緒なんで多少はクラスでの様子も分かります。少なくとも、あいつは優等生といっても過言じゃないほどの人だって認識はしてますよ。ちはやちゃんだって、2-Bの担任持ってるならその評判くらい聞くでしょう?」
「まあな。職員室とかでも学年会の同じ他教科の先生からあいつの話は聞くけど、よくおとなしく授業は聞くしテストもちゃんと結果を出すし、いい生徒だとよく言われるよ。...けどな、何度も言ってるが、思い出してみろ?特監生の条件。」
「問題児であること...ですよね?」
そしてそれはタイプ問わず。でも、古市からは俺とかあの馬鹿のような雰囲気は全くといっていいほど見受けられない。
「そうだ。まあ、さっき話したとおりのことから、あいつの問題点はそういう学校内の態度とかではないってのは君でも分かったろ?」
「そうですけど...。じゃあ何て言うんですか?俺みたいに外で色々やらかしたとか?」
自分のことを例に挙げるとちはやちゃんはいよいよ呆れていた。
「おいおい...。あの様子からそんなことをする奴に見えるか?」
「見えないっすね。全く。」
むしろ外に出ると被害者になりかねないような奴だ。
どこかNOを言うことができなさそうな雰囲気というか...。
ん?
雰囲気...?
待てよ?そういうことなら...。
俺がどこか理由を掴み始めたとき、ちはやちゃんは俺の表情を見るなり、待ってましたといわんばかりに食いついてきた。
「気づいたか?」
「完全には捕らえてないですけど...、まさか雰囲気、性格面?」
「50点だ。ただ方面は間違っちゃいない。」
確かに、さっき部屋に入ってきたときから違和感は感じていた。どこか無愛想というか大人し過ぎるというか...。
ちはやちゃんは苦虫を噛み潰したような顔をしていた。おそらく言おうか言うまいか悩んでいるのだろう。
しかし、やがて決心したのか顔から迷いを消して俺に結論を述べた。
「まあ、ここまで分かったならいいだろう。...あいつの問題性は、感情がないことだ。」
そのあっさりとした残酷な答えに俺はもう一度ちはやちゃんが言った言葉を復唱した。
「感情が...ない?」
「ああ。厳密に言うと感情自体は持っているのかもしれないが、それが表情に表れないということだ。さっき他の先生からの評判の話をしたよな?大人しいだとか、まじめだとか。けれどそれは、感情が表に出ないからこそその評価になった節もいくつかあるだろう。確かに授業はまじめに受けるべきものなのかもしれないが、ときには笑ってほしい場面とかあるだろう?そういうときに一人だけつまらないとも面白いとも取れず、顔一つ動かさない奴がいるとしたらどうだ?君のように違和感を感じるだろう?」
確かにそういわれてみればそうだ。
さっきの部屋での数分にしろ、感情が動いた場面を一瞬も感じれなかった。
でもそれが...なんで...
深く考えてしまえば負の言葉がどんどん出てきてしまうようで、俺は苦し紛れに少しだけ話題を逸らした。
「化学のおじさんのネタは面白いほどすべりますけどね。」
「おいおい、それ面と向かって本人に言うなよ?あの人ウケてないこと大分気にしてるんだぞ?ショックで死んでしまうからやめとけ。確かに...面白くは...ないが...。」
こら、ちはやちゃん。あんたも言っちゃってるでしょうが。
というかあの人職員室でもやってんの?諸刃の剣にもほどがありすぎないか?
「ってそういう話じゃないだろ。」
「そうでしたね。」
「全く...。すぐに話題を逸らすのは君の悪い癖だな。ついでにここで治しとけ。」
はい、ごもっともです。
「それで、さっき君は、なんでそれだけで問題児の判定になってしまうのか、みたいな顔していたな。まるで納得がいってないように。」
「それは...。」
俺は確かにそういう顔をしていたのだろう。
そしてちはやちゃんはちゃんとそれを見逃していなかった。
先ほどからそうなんだが、この人はよく人の顔を見れていて、かつそこから感情まで見抜いている。
ほんとに、すごいことだなと感心してしまう。
「...まあ、確かに私もそれは思ったよ。上から連れて行くように言われたときは君と同じような感情だった。けれど、君も見ただろう?今日ここに来る前の教室で彼女を。」
「そうですけど...。あっ...。」
感情がないゆえの、喧騒。
彼女は怒鳴れていようと、喚かれようと、顔色一つ変えなかった。
そのことが、多くトラブルを生んでしまっているというのなら...。
確かにない話ではない。
「気づいたかね?あれが問題なんだよ。感情がないゆえのトラブル。彼女を待機させている間に過去の生徒指導部のほうに保管されてる、校内トラブルのデータを確認させてもらったが、やはりそういうことだったよ。」
といってちはやちゃんは頭に手を当てる。こればかりは扱いに困ったのだろう。
「君が起こした暴力問題ぐらいの数書かれていたよ。流石にそれなら上も判断せざるを得ないだろう。...ただ大前提として、彼女は被害者であるが。」
「被害者が問題児判定なんですか?」
「今回ばかりは捉え方が違うな...。問題児だから監視する、というよりかはトラブルを起こさないために保護する、という目的だ。」
保護、という言葉に俺は首をかしげた。なんで学校生粋の問題児しかいないような場所に保護するのか、どうも納得がいかない。
「保護?問題児しかいないような場所にですか?」
「といっても君たちだけだろう。確かに君は生粋のトラブルメーカーだが、女子には手を出さないだろう。ましてやもう片方、向洋にいたっては何に対しても許容的だ。
そこらへんに放すよりかはよほどこっちのほうがいいだろう。」
「...俺が手を出さないという確証はないですよ?」
「何、そうなったら君は一発で退学にしてやる。そうやって脅しておけば手は出さないだろう?」
ちはやちゃんはにやりと笑い、机から両手を離して左手パー、右手グーで両手をあわせ、ぱちんと鳴らした。
「はぁ...まあ、そうっすね。」
「というわけだ。それに、君たちが彼女の感情に影響を与えるんじゃないかと思っての行為だからな。期待してるぞ。」
「えぇ...。あんまあてにせんといてください。」
とりあえず理由はつかめたしおおまかには納得がいった。
あとはまあ、差し支えなくすごしていけばいいだけの話だ。
あと聞いておきたいことは...。
「あと、そうだ。もし彼女が感情を手に入れたらどうするんです?」
ちはやちゃんは帰る準備をしていたが、ん?と声を出して足を止めた。
「そりゃあ解除だろう。優等生を馬鹿の間に放り込んでおく意味はないだろう?」
「め、めちゃくちゃだ...。」
まあ、それは当然のことだというのは知っていたけども。
「じゃあ私は本校舎に帰るぞ。ああそれと、これ、向洋に頼んで冷蔵庫で冷やさせてもらってくれ。後でまた取りに来るから。」
そう言って先生は自前の少し大きめのかばんからコンビニのレジ袋を取り出して俺に手渡した。
ガチャガチャと音を立てるレジ袋。中には色々と缶が入っていた。
「おお、差し入れっすか。...あれ、これ、ジュースじゃない分も結構入ってますねー。何でしょうかねー。」
途中で明らかにジュースではないものを見てしまった俺は途中から棒読みでリアクションを始める。
うん、酒だこれ。ストゼロが四、五本。
「言ったろ?取りに来るって。」
ちはやちゃんは二カッと笑った。う、うぜぇ...。
「じゃ、次来るときは下校のときだからそれまで自由にしてていいぞー。」
「あっ、待っ...。...だから早いんだって、帰るのさぁ...。」
そうしてちはやちゃんは少し早足で本校舎へと戻っていった。
残された俺は一つ大きなため息をついた。
せっかく認識も改まってきたのに、ほんとにここ...。
ほんとにここ、大丈夫なのか?
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