第3話 時空管圧潰
予感が的中したのは、バギーがワームホールから数百メートルの距離まで来たときの事。
「栗原さん、起きてますか?」
「ああ。何かあったか?」
「実は、ワームホールが見えてきたんですが」
「そうか。どうやら助かったようだな」
「それがそうでもないんです」
「どういう事だ?」
「ワームホールの周りが」
「どうした?」
「メタンクラゲに囲まれちゃってるんです」
「なに!?」
そう。ワームホールの周囲を数十匹のメタンクラゲがひしめいていたのだ。
「そうか。あれも光っていたからな」
桜蘭とこの衛星をつなぐワームホールは地上から三十メートルのところで輝きを放っていた。その光にクラゲ達が引き寄せられてしまったのだろう。
「信号弾の残りは?」
「二発です。試してみますか?」
「いや、待て」
栗原さんは考え込んだ。
あたしはその間にワームホール周辺の様子を確認する。
地表とワームホールの間には金属製の傾斜路が延びていた。
どうやらそれは無事のようだが、その下に作った仮設基地はほぼ壊滅状態。気密天幕は完全につぶされ、コンテナも半壊していた。
これじゃあ、あの中で休む事もできない。
頑丈な酸素タンクや水タンク、それとバッテリーは無事だったが、この状況であたし達がそれ利用するのは無理そうだ。
バギーの酸素はあと三時間しか保たないというのに。
「酸素タンクは無事なのか?」
「ええ、まあ」
「レーザートーチのエネルギー残量は?」
「五パーセントほどです」
「よし、それなら何とかなる」
「どうするんです?」
「酸素タンクは頑丈にできているが、十メートルまで近づけば、このレーザートーチでも穴を開けられる」
「穴を開けてどうするんですか!? 貴重な酸素に」
「いいか。酸素とは、本来猛毒なんだよ」
「ええ」
「俺達はミトコンドリアと共生しているおかげで酸素を利用しているが、この星の奴らにとって酸素は猛毒でしかない。だから、酸素を毒ガスとして使って奴らをこの周囲から追い払うんだ」
「そのすきにワームホールに逃げ込むんですね」
「そうだ」
「しかし、タンクに近づくのも至難の業ですよ」
「だから、残りの信号弾で注意を逸らしている間にやるんだ」
もうそれしかなさそうだ。
あたしはバキーをぎりぎりまで近づける。
「これ以上近づくと気付かれそうなので、あたしはここから歩きで行きます。酸素タンクに穴を空けたら戻ってきますね」
「ちょっと待て」
「なんでしょう?」
「その前に、バギーを音声制御にして行ってくれないか」
音声制御って……栗原さん自分で操縦する気?
「大丈夫ですか?」
「手足はなくなったが、声は出せる。大丈夫だ」
「しかし」
「せっかく、酸素を放出しても、君が戻ってくる前に酸素が薄くなってしまったら意味がないだろう」
「でも、声は出せても後部シートに寝たままでは前が見えませんよ」
「なら俺の顔にFMDを付けてくれ。それを接続すればバギーのメインカメラが見れるはずだ」
「分かりました」
あたしはダッシュボードから眼鏡型ディスプレイのFMD(フェイス・マウンティッド・ディスプレイ)を取り出して栗原さんの頭部に装着した。スイッチを入れてメインカメラのコネクタと接続する。
「見えますか?」
「ああ。よく見える」
「それじゃああたしは行ってきます。うまくいったら通信機で合図しますね」
あたしはレーザートーチと信号銃を持って車外に出た。
慎重にタンクへ近寄っていく。
百メートル、九十メートル。
まだクラゲどもはあたしに気がつかない。
五十メートル、四十メートル。
あと少し。
不意にクラゲどもが動き始めた。
あたしに向かって。
気づかれたか!
あたしは右の方に向かって信号弾を撃つ。
光を浴びたクラゲは一瞬動きを止めた。
そして、光の方へ走り出す。
あたしもタンクに向かって猛然と走った。
光が消えたら、奴らはまたあたしの方へやってくる。その前にかたをつけないと。
タンクまで十メートル。
信号弾の光が弱くなってきた。
最後の信号弾を使うべきか?
メタンクラゲの群は百メートルほど先で動きを止めている。
あたしは信号銃を抜いた。
そのとき、水タンクの下から別のクラゲが出てくる。
こいつ、タンクの影にいて信号弾の光を浴びなかったんだ。
触手を伸ばしてくるクラゲに向かって、あたしは思わず信号弾を撃ってしまった。
「ピキー!」
信号弾を食らったメタンクラゲは熱さに悲鳴を上げる。
しかし、同時に信号弾の光が周囲を照らす。
非常にマズい!
これじゃあ、せっかく遠ざけたメタンクラゲがこっちへ戻ってきてしまう。
あたしはレーザートーチを抜いた。この距離ならタンクに穴が空けられる。
トーチをタンクに向けたとき、トーチを持ったあたしの腕に触手が絡みつく。
さっき信号弾を食らったクラゲ! まだ生きていたのか。
あたしはレーザーで触手を焼き切って逃れた。
こいつに急所はないのか?
さっき死体を調べたときに神経らしきものが集まっているところがあったが……
迷っている暇はない。
あたしはクラゲの身体を見つめた。透明なゼリーのような身体に白い筋のようなものがいくつも見える。これが神経だろうか?
その神経らしき筋が集中している場所、神経中枢を狙ってあたしはレーザーを撃った。
「ビギャー!」
一段と大きな悲鳴を上げた後、メタンクラゲは動かなくなる。やはりそこが急所だったか。
今度こそ。
あたしはトーチをタンクに向けてボタンを押した。
何も起きない。
しまった! エネルギー切れ。
こうなったら。
あたしはトーチを捨て、タンクに向かってダッシュした。
後ろから別のクラゲが迫ってくるがかまう事はない。
タンクに飛びついたあたしは、バルブというバルブを開く。
プシュー!
酸素ガスがタンクから勢いよく噴き出す。次いでにあたしの気密服のタンクにも酸素を満たしておいた。
後ろを向く。
クラゲの奴らは酸素を浴びて苦しんでるようだ。
あたしは通信機をオンにする。
「栗原さん。うまく行きました」
『了解。そっちへ向かう』
音声制御だけで大丈夫かしら?
バギーがあたしの方へ向かって走ってくるのが見えた。
どうやら大丈夫みたいね。
十分に近づいたところであたしはバギーに飛びついた。
操縦席に乗り込み、操縦系を手動に切り替える。前方にはワームホールへつながる傾斜路。
「行けえ!」
アクセル全開!
バギーは傾斜路を一気に駆け上り、直径三メートルのワームホールに飛び込んだ。
このワームホールの両端にはエアロックの扉が設置してあり、ワームホール自体が一つのエアロックになっている。
あたしは車外に飛び出して開閉ボタンを押す。
エアロックは重々しく開いていく。
念のためバギーの後に回りこんでみた。
やはりいたか。
傾斜路を一匹のメタンクラゲが這い上がってくるところだった。触手が早くもあたしの方へ伸びてくる。
「来るなー!」
あたしは気密服の酸素ホースを外して触手に酸素を吹き付けてやった。
「ビキ―!」
メタンクラゲは悲鳴を上げて触手を引っ込める。そのまま傾斜路を転げ落ちていく。
今のうちに。
エアロックはすでに開いている。
あたしは操縦席に戻ってバギーをエアロック内に滑り込ませた。再びバギーを降りてエアロックを閉じる。
これで大丈夫だろう。まさか、クラゲどもに
後は反対側の扉を開くだけだ。
あたしは靴の電磁石のスイッチを入れた。
直径三メートル、長さ十メートル程の時空管の中に渡された鉄板の上を歩き、あたしは反対側の扉に向かう。
扉の向こうには、あたし達をここまで運んできた小型宇宙船が無人のまま待機しているはずだ。
ピキーン!
ん? なんの音だろう?
まあいいか。どうせ扉の向こうでメタンクラゲが鳴いているんだろう。
時空管の材質には負の質量を持った物質、エキゾチック物質が大量に使われている。そのために時空管の中は常に無重力状態だ。
動きにくくなるが仕方ない。エキゾチック物質で守られてなければ人間はワームホールの中に入ることすらできないのだから。
本来、ワームホールというのはブラックホールとホワイトホールをつなぐ時空の穴を言うのだが、人類が利用しているのはそんな大規模なものではない。
十のマイナス三十五乗メートル以下の量子力学的領域では、ワームホールが一瞬開いては消えるという現象が常に起きている。その量子ワームホールに膨大なエネルギーを注入して無理やり押し広げた穴を利用しているわけだ。
無理やり押し広げた穴はもちろんすぐに閉じてしまうが、閉じる前にエキゾチック物質を差し込んでしまえば、その斥力によって閉じる事が出来なくなる。時空管はエキゾチック物質を管上に成型したものだ。
大きさも用途によって異なる。今、あたしが中にいる時空管は有人調査用のもので、直径二~三メートルの物が通常使われる。
無人調査用となるとファイバースコープが通せる直径一ミリ程度のものから、小型のプローブが通り抜ける直径一メートルサイズのものまである。
そして調査の結果、経済的に有望な天体が近くにあると分かったら、ワームホールはさらに広げられ直系十~三十メートルの生活・産業用時空管が差し込まれる。
今のところ時空管の大きさは三十メートルが限界だ。それ以上はワームホールの閉じる力に対抗できない。
ピキーン! ピキ―ン!
反対側の扉に達したとき、またメタンクラゲの鳴き声が聞こえてきた。
まったくしつこいわね。
あたしは構わずエアロック横のコントロールパネルを操作する。
今、エアロックを開けばワームホール内部の空気が、一気に宇宙船内に流れ込んでしまう。それを防ぐためにあたしは宇宙船の内部気圧を上げる操作をした。
本来ならこっちの気圧を下げるべきなのだが、あたし達は数日間、一・五気圧の中で過ごしていた。
まあ、この程度の気圧差なら減圧症の恐れはないと思うが、急激な減圧が重症の栗原さんにどんな悪影響を及ぼすかわからない。念のため船内の気圧を上げてから、《楼蘭》へ移動する途中で少しずつ減圧していくことにした。
さすがに小型とは言っても一隻の宇宙船。気圧を上げるには時間がかかる。メーターを見ると三十分はかかりそうだ。
それまでバキーの中で待つことにしよう。
ピキ―ン! ピキーン! ビキーン!
気のせいかな、さっきより鳴き声が大きくなったような……
ビキーン! ビキーン!
違う! これはメタンクラゲの鳴き声なんかじゃない。
でも、なんだろう?
以前に、どこかで聞いたような気がするのだけど……
どこか懐かしいような、不吉なような。
首をかしげながら、あたしはバギーに戻る。
「佐竹君! あの音が聞こえるか?」
バギーの中に入った途端、栗原さんが口を開いた。
「ええ。てっきりメタンクラゲの鳴き声かと思ったんですけど、違うみたいですね」
「今すぐ、宇宙船に戻るんだ」
「無理ですよ。増圧が終わるまで、三十分はかかります」
「悠長な事は言ってられないんだ。俺はこの音を聞いた事がある」
「いったいなんの音ですか? あたしもなんか聞いたような気がするんですが?」
「そうか! 君はカペラ第四惑星の生存者だったな。この音を聞いたのは恐らく脱出するときだ」
「……!」
唐突に記憶が蘇ってきた。
いや、音を聞いた時にあたしは気が付いていたんだ。
ただ、あの忌まわしい記憶を思い出すことを……あの時の恐怖を思いだすのをあたしの意識が必死で拒んでいたんだ。
「大丈夫か? 震えてるぞ」
え? 震えてる? 誰が?
あれ? あたしの手がいつの間にか震えている。
だめだ……震えが止まらない。調査官としての厳しい訓練に耐え抜いたあたしがこんな事ぐらいで……
「大丈夫か、佐竹君」
「だ……大丈夫です。すぐに治まります」
落ち着け! 落ち着くんだ。
よし、なんとか手のふるえは治まってきた。
「それより、この音はいったいなんです?」
「時空管のきしむ音だ。このワームホールは間もなく圧壊する」
やはり!
あたしは一度、ワームホールの圧壊を目の当たりにした事がある。
十六年前、地球とカペラ系第四惑星の間をつないでいたワームホールが圧壊したときに……
カペラ系第四惑星は地球と環境がよく似ていて、当時地球から二千人の移民が渡っていた。あたしも宇宙省の技官だった父に連れられて移り住んでいた。
そんなある日、ワームホールを支えていた時空管に亀裂が見つかった。
亀裂が見つかった時にはもう手遅れ。
植民地の放棄が決定され、住民の地球への疎開を開始された。しかし、地球に帰りつけたのは半分にも満たない九百人ほど。あたしの父を含めた千人以上の移民を残したまま、時空管はワームホールが閉じる圧力に抵抗できなくなり圧壊した。
それはあたしと母を乗せたバギーがワームホールを抜けた直後に起きた。背後で響いたこの世の終わりを思わせる轟音は、今もあたしの耳について離れない。
あたし達を乗せたバギーはその直後に襲ってきた衝撃波に翻弄され、周囲には無数の破片が飛び散っていた。ワームホールの出口があった北海道苫小牧町が、衝撃波とエキゾチック物質の破片で甚大な損害を受けた事を知ったのは、病院のベッドの上での事。
その事故を境に、地球上でワームホールを開くことは禁止された。
「あの時、確かにこの音を聞きました。トンネルの中で……」
「この音が始まったら、圧壊までそんなに時間はない。急ぐんだ」
「はい」
あたしはバギーから出て、エアロックへ向かった。
少しだけ扉を開く。
ワームホール内の空気が勢いよく船内に流れていく。
あたしは少しずつ扉を広げていき、三分の一まで広げた。
これはちょっとやばかったかな。あたしまで風圧で飛ばされそう。
「佐竹君。避けろ」
え? 避けるって何から?
わわ!!
風圧でバギーまで飛ばされている?
そういえばさっきバキーの磁石を入れてなかった。バギーは鉄板に付かないで浮いたままだったんだわ。
ゆっくりではあるがバギーは確実にあたしの方へ移動していた。
このままだとバキーと扉に挟まれて煎餅になっちゃう。
あたしは扉の隙間から船内に滑り込む。
耳がツーンとする。
やはり急激な減圧はきつい。
「佐竹君。先に発進準備をするんだ。それと《楼蘭》にこの事を伝えろ」
「はい」
耳の痛みこらえつつ、あたしは
操縦室に入ると同時に明かりが灯り、コントロールパネルの電源が入った。人間が入ってきたこと感知したAIが休止状態から立ち上がったのだ。
メインディスプレイに《楼蘭》の姿が映る。
「お帰りなさいませ。佐竹調査官」
船のAIがあたしを出迎える。
「緊急事態よ。すぐに発進の準備をして。それと《楼蘭》の管制センターに連絡を」
「了解。本船は二百六十秒後に発進可能です。《楼蘭》を今、呼び出しております」
《楼蘭》はカイパーベルトの中にある直径四十キロほどの小惑星。一見、普通の小惑星のようだが、中心部にマイクロブラックホールを持つ天然縮退炉惑星だ。
十年前にこの近くにワームホールが開いてこの小惑星が発見された後、ワームホールの中継基地がここに作られることになった。
新しいワームホールを開くには膨大なエネルギーが必要となる。《楼蘭》の天然縮退炉はそのエネルギー源に打ってつけだったわけだ。
「通信が入りました」
「《楼蘭》から?」
「いえ。付近を航行中の船からです」
AIが報告すると同時にディスプレイの画面が切り替わった。
《楼蘭》の映像が消えて代わりに中年の白人男性が現れる。
『こちらは宇宙船 《ファイヤー・バード》です。私は船長のジョン・マーフィ。先ほどから管制センターを呼び出しているようですかなにかありましたか?』
「こちらのワームホールがまもなく圧壊します。エキゾチック物質の破片が飛び散る危険がありますので、付近の船に退避するように呼びかけてほしいのですが」
『なんと! またですか』
また?
「またって、どういう事ですか?」
『昨日からワームホールの圧壊が続けて起きてるんです。あなたのところで五つ目かと』
どういう事?
ワームホールの圧壊なんてそんな頻繁に起きるものかしら?
『そんな事情ですので、今管制センターは大混乱となっております。呼び出しても通じないかと思いますよ。付近の船なら大丈夫です。全て安全圏に避難していますから』
「マーフィさんは避難しないんですか?」
『私は……まだ、やることがあるので』
救助活動かな?
『他にできる事はありますか?』
「怪我人がいるんです。かなりの重症ですので早く病院に連れて行きたいのですが」
『分かりました。少々お待ちを』
マーフィさんはどっかと連絡を取っているようだ。
『十三番ドックを空けるよう手配しました。そこに船を付けてください。救急車も待機させておきます』
「ありがとうございます」
あたしは通信を切ると栗原さんを収容し、船を発進させた。
ワームホールが圧壊したのは、それから五分後のこと。間一髪だった。
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