第2話 欠落

 幼少期の私は、飛び抜けた優等生でも呆れられるほどの劣等生でもなく、そういった意味ではごく普通の少年だった。

 先程名を挙げた叔母……ミシェルと話すことも多くはなかったが、たびたびあった。その際は不快感を露わにするでもなく、かと言って親身に接するわけでもなかったように思う。

 ……何を思って、どう行動していたか、「覚えている」部分は多少ならばある。けれど、ほとんどの記憶はただ残っているだけのでしかない。


「吸血鬼」が生まれるのを恐れたためか、私には兄弟姉妹がいなかった。

 隔離されたミシェルが、ごく稀とはいえ話し相手になっていたのは、それほど私に話し相手がいなかった……ということでもある。

 当時は今より使用人の仕事には余裕がなく、隣人一家が引っ越してきたのは私が成人してからのことだ。

 推測するに、私は孤独だったのだろう。


「あら、あら、来たの。来てしまったの。知りませんよ、血を吸われても。いえ、冗談よ、冗談。実はそんなに吸わなくたって平気です、本当のことですよ。とりあえず、お座りなさい」


 話し方や声音からか、もしくはもっと関係のない部分でか……彼女の奇怪さが強く印象に残っていたのは、間違いがない。

 だが、思い返せば思い返すほど、会話の内容にはおかしなところが何一つ見当たらない。


「私、ほら、化け物扱いされているでしょう。ええ、不本意だけれど、化け物。不本意ですよ、こんなの。ねぇ、だって、ねぇ、私、悪さはそこまでしてないの」


 彼女は自らが怪物と扱われることを憂いていた。


「私の子ども、可愛いでしょう。名前はね、付けさせてもらえないの。戸籍も与えられない。……ふふ、顔はレイモンド、貴方に少し似ていますね。でも、何より私と似ているの。だから、だからよ、この子も私と同じ目に遭う。怪物扱い、迫害、憂き目に遭うのです。とても可哀想。可哀想でしょう、ねぇ?」


 息子を大切にし、できれば違った待遇を受けさせたいと願っていた。その息子のほうはあまり喋らず、部屋ではほとんど読書か勉強に勤しんでいたように思う。彼のほうは、私に視線すら向けたことがなかった。

 ミシェルの憂いも願いも、考えてみれば、何もおかしくはない。人として自然なことだ。


 ……ああ、そうだな。私はそうではないのか、と、当然の疑問だ。

 私は自分が怪物や化け物と呼ばれようが、どうでもいい。息子達が苦しもうが、なんの感慨もない。……それが、嘘偽りのない本音だ。


 意外だったか?

 そうだろうな。今までは疑いを向けられぬよう、振舞ってきた。それが母の望みであり、妻の願いであったからだ。

 従っていれば、欠落など気にせずいられる。彼女たちは私の欠落を知らないが、勘づいてはいただろう。……そして、その上で、

 ……だが、そうだな。意外に思うのなら、少なくともお前の前で私は「自然」で、「人間らしい」振る舞いをできていたようだ。……それは、そうとして……


 気になることがある。

 失われた「私」は、どのような人間だったのだろうな。


 お前は私の過去を知りたいと言った。

 ……奇しくも、それは私とて同じだ。

 私は、過去の私を知りたい。……感情を持っていた頃の私を取り戻したい。


 おかしな頼みだろうが、どうか、引き受けてくれないか。




 ***




「おかしな頼みだろうが、どうか、引き受けてくれないか」


 これから父になる人の頼みに、思わず断れなかった。

 俺は、「自分」を失った人を他に知っている。……その人が自分を取り戻すまでの過程も、目にしている。


 だから、目の前の相手も俺に縋ったんだろう。

 わざわざ頼むってことは、何かのきっかけで失った「自分」とやらを取り戻しかけているからだ。


 義理の息子として頼みを聞く……ってほど恩があるわけでもないが、俺には……いや、俺にも、知りたいことがある。「過去を知りたい」と言い出したのも、他でもない俺だ。


「わかりました。続けてください」


 次子に似た、ターコイズブルーの瞳がわずかにこちらを向く。

 繕っていた表情を全て脱ぎ捨て、感情のない顔が現れる。


「……そうか」


 淡白で、無機質な声が響く。


「礼を言った方がいいか」

「……まだ、いいです。感謝ってのも、えーと……理解できてない……?あ、実感できてない?みたいなんで……」

「そうだな。続けよう」


 記憶を手繰っていたのか、一瞬だけ目を閉じ、男は再び話し始めた。


「私が祖父、父の後を継ぎ……」

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