現実の海老で架空の鯛を釣ろう
「事実は小説よりも奇なり」とは、私の苦手な言葉である。
現実の出来事の荒唐無稽さが小説をも上回ってしまったら、せっかくのフィクションの立場がない。作り話の最大の利点がなくなってしまうのではないか。そんな不安に駆られる。
しかしやはり奇妙な体験談というのはどうしても存在するもので、私の場合はもっとも身近なものが祖母の実話だった。
何十年も前、妊娠中の祖母が豪雨の中で産気付き、水を掻き分けながら必死に病院に辿り着いたときのこと。母親の執念と強さにはただただ敬服するしかないが、問題はここからだ。なんと辿り着いた病院も浸水しており、出迎えた医師の第一声が「今朝は玄関で魚が獲れまして」だったという。これはもう完全に落語の台詞回しではないか。なんなら一席設けてもいいぐらいのクオリティだ。
子を守る母の情念というものは、ときにフィクションをも軽く凌駕する。
しかし、それに負い目を感じることはない。
よき創作というものは、強烈な現実のエピソードを苗床にして生まれるものだ。生命の誕生も傑作の誕生も、どちらも等しく素晴らしく、奇跡である。
祖母は極限状態の中で子を産み、私はそれを糧として小説のアイデアを生み出す。
それでいいではないかと思う今日この頃だった。
今朝は病院の玄関で魚が獲れまして、その遥か未来では小説のネタが獲れました。
どう料理するかは、時代が決めることなのだろう。
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