7 灰色の世界
どこまでも灰色のくすんだ色のない世界。
そこに黒々とした影がぼうと浮かんでいる。
その影がゆらゆらと揺れるたびに、わたしの身体もずきずきと痛んだ。
「なにこれぇ!?」
びっくりしたような声を上げたのはシンディーだ。わたしを支えていたユウタも、慌ててあちこち見回している。
これは、影が見せている幻なの?
あまりのことにどう対応したらいいのかわからない。
ただ恐怖心だけがわき上がってくる。
一歩、影が踏み出して、思わず後ずさる。
「いや、来ないで……」
「リリア、がんばって!」
シンディーの励ましの言葉も耳をすべる。
脳裏に浮かぶのは、さっき見たシリアー族の二人の姿。
痣に覆われてても、直前まであんなに綺麗なハーモニーを奏でていたのに。
それなのに、まさかあんなことになるなんて。
あの二人だって痛くて怖くて悲しかったと思う。そして、残された二人も。
わたしは今、それを繰り返そうとしているんじゃない?
嫌だよ、あんなのは嫌だ。でも怖くて喉がつっかえてる。声が出ない。
「リリア!」
シンディーが影に背を向けてわたしに声をかけた、その瞬間だった。
一気に影が膨れ上がり、弾けるようにシンディーへ襲いかかった。
「シンディー!! 後ろッ!!」
わたしの声に驚いたように振り返ったシンディーは、そのまま影に飲み込まれていく。
つんざくようなシンディーの悲鳴が鼓膜を刺した。
「いやぁッ!! シンディー!!」
その姿が完全に影に飲み込まれ、悲鳴もぷつんと消える。そこには真っ黒なもやがあるだけだ。
やがてそのもやは人型に戻って行く。その人型の影は、二つあった。
(え……どういう、こと……)
影が二つになっている。そして、シンディーの姿はない。
これがなにを意味するのか、もちろんわかる。だけど、感情がそれを認めきれずに、誰にともなく首を振る。
影に同情して引っ張られていたのはわたし。影が狙っていたのはわたしだ。それなのにわたしが歌わなかったから、わたしが頑張らなかったからシンディーが!!
そんなのってない。そんなこと起こっていいはずがない。
シンディーが、あの明るくて誰にでも好かれて、そしてなんでもできる博識な子が。
わたしなんかよりも、ずっとなんでも出来たのに。世の中の役に立てたのに!
嫌だ、いやだよ。
こんなのいやだ。
いやだ。
いやだ。
「あれは!? シンディーなの!?」
飛び出したのはシーナだった。
そのシーナを追ってジュンも走り出す。
「おい、待て!! そいつはもう影だ、触るんじゃねぇ!!」
鋭いフィオの声が飛んで、二人を止めようと前に出る。
シンディーだった影に手を伸ばしたシーナを、ジュンが後ろから体ごと抱きしめるように引き止めた。
でも、そのすぐ目の前にはシンディーだった影。
声にならない声が上がった。それは、シンディーだった影のもの。痛くて怖くて悲しい、その辛さから出る悲鳴。
その声にジュンの動きが止まる。
瞬間、影がその形を崩し、一気に二人を飲み込んだ。
そのまま二人を引き止めようと走って来ていたフィオもろとも飲み込む。
「いやぁあぁぁぁ————!!」
頭が働かない、今なにが起こったの!?
どうしてわたしは叫んでいるの?
どういうこと!?
上がった悲鳴は一瞬で消えて、影が蠢きながら人型に戻って行く。
その人型の影は、四つ。わたしを引っ張った影と合わせて五人の影が目の前にいた。
今はそんな場合じゃないとわかっているのに、まぶたが一気に熱くなり涙があふれ出る。
影になったの? 引っ張られたんじゃなくて、影に?
みんなを助けることはもう出来ないの?
頭が混乱する。
これは幻なの? それとも現実なの!?
「くそっ、リリア下がれ!」
ユウタがわたしの前に出る。
もうわたしの前にはユウタしかいない。
「だ、だめだよッわたし、わたしがやるから! わたしはもう引っ張られてるから! だからわたしが。ユウタは下がってよ!!」
ユウタにまでなにかあったら、わたしひとりぼっちになる。
そんなのいやだ。
ううん、それ以上にユウタが影になるなんていや。
「そんなのできるわけねぇだろ!!」
「いや!! やめて!!」
ユウタの手にすがりつこうとして、激痛に膝をつく。
どうして、どうしてこんな時にちゃんと動けないの!?
どうして我慢できないの!?
わたしの痛みなんかよりも、きっとみんなの方が————。
「リリア、俺が盾になるから歌うんだ」
「馬鹿なこと言わないでよ!!」
五つの影がぞろりと動く。一歩一歩、揺らめきながらこっちへ近づいてくる。
みんな、みんなごめん。わたしのせいで。
わたしがみんなを殺してしまったも同然だ。
わたしが!!
さっき見たシリアー族の二人の最期が脳裏をちらつく。
歌おうと口を開けたのに、声が出ない。
歌っていいの?
わたしの魔法は不完全だ。もし攻撃魔法が出たりしたら。みんなを苦しませてしまったら。
それにもし、まだみんなを救う方法があったとしたら。わたしが知らずに、その道を断ってしまったらどうしたらいいの。
ねえフィオ、わたしどうすればいい?
ひゅうひゅうと喉が鳴った。
痛みと絶え間なく流れ込んでくる悲しみで、ちゃんと息が吸えない。
「やめてよ、ユウタになにかあったらわたし……」
カチカチと歯が鳴る。
怖い。影も怖いし、わたしが影になるのも怖い。
みんなを苦しませるのも怖い。
でも、でも、今一番怖いのはユウタを失うことだ。
ユウタは無事でいて欲しい。わたしになにがあっても。
「お前、そーゆーとこほんとわかってないよな。それ、俺も同じだってちょっと考えればわかるだろ?」
呆れたようなユウタの声。
ゆらゆらと揺らめく影たち。
「死なせてたまるか。もし地獄行きなら、一緒だぜ」
ユウタが息を吸った。
いつも聴いている、ブレない歌声が闇を震わせる。
「夜明けに無数の光あふれて
今目覚めた鳥たちが世界を謳い
どこか違う匂いの
今日が始まっていく
季節は巡って止まることなく
ただ過ぎゆく景色に……」
ふわっとユウタの身体を魔法の光が包み込んだ。
灰色の色のない世界の中で、そこだけが明るく輝いている。
ユウタと一緒にいく地獄なら、もしかしたら支え合って行けるかもしれない。だけど、だけどそんなこと出来ない。わたしの道連れみたいなこと。
わたし、歌わなくちゃ。
わたしが、わたしがちゃんと歌えないからみんながあんなことになったんだ。せめてユウタだけでも。
口を開く。息がつっかえて激痛が走ったけれど、必死にこらえた。
「翼広げて異国の夢を求めて
もう戻らないものをつかもうとしている
遠く輝く空の果てから
響く君の声を頼りに
心はいつでも飛んで行ける
何処へだって自由の翼で翔けて行ける」
ゆらゆらとにじり寄ってくる影。
さっきみたいに一気に襲いかかってきたら対応できるかわからない。
だからわたしたちは歌ってなくちゃいけないんだ。
歌で魔法を使うシリアー族なんだから。
あの2人だって、歌っていたじゃない。
ユウタの背中ごしに影がゆらめく。
ちゃんと立つのよ、リリア! そう自分を鼓舞して痛みをこらえて立ち上がる。
もう誰が誰なのかもわからない影。その一つが膨らむ。
こっちを狙っている!
やっとわたしの体からも光があふれた。
どうかこの魔法の力がいい方向に働きますように。
どうか。
「……色あせることなく続く
どこか懐かしい色
今日が終わっていく
いつでも聞こえる君の歌声だけ
胸に抱きしめて……」
ぱん、と弾けるように影が小さな粒子になって空中に飛び出した。そして、勢いをつけてユウタへと向かう。
だけど、ユウタの光に弾かれる。
よかった、光がちゃんと障壁になっているんだ。
影は二度、三度とユウタへ襲いかかる。その度に弾かれ、形を崩し、声にならない声を上げながら影は地面を這い回る。
その姿は、まるで泣いているようで。ううん、泣いているんだ。泣きながら救って欲しいと手を伸ばしているんだ。
その影の感情が、全身を刺してくる。
みんな、わたしどうしたらいい?
みんなを救う方法はあるの?
優しくてハンサムで頼りになるのに、シーナに頭の上がらないリーダーのジュン。
気品にあふれていて美人で、だけど怒らせたらとっても怖いシーナ。
薬の調合も料理もその他のこともなんでもできる才女なのに、すぐパニックになっちゃうシンディー。
それぞれとの思い出が胸の中を走馬灯のように巡る。
まだまだいろんなところへみんなで行きたかった。
ここから帰ったら冒険者ギルドの登録を更新して、わたしは職業登録を変えて。そして新しい仕事を受けて。
ジュンには剣の稽古をつけて欲しかったし、シーナと一緒にシンディーにお料理習いたかった。
一緒にご飯を食べて、寝て、起きて、冒険していたかった。
冒険者は危険と隣り合わせなのはわかっている。でも、でもこんな終わりってない。こんなことあっていいはずないよ。
「遠く近く触れる想いに
いつかたどり着きたい
永遠とわに巡る時間を一緒に渡ろう
いつまでも……」
揺れる光。唯一の色。
その光の向こうにいる影たちが、いっせいに膨らんだ。ユウタにすがるようにまとわりついていた影も、すっと引いて同じように膨らむ。
全員で向かってくる気だ!
ユウタ、ユウタの所に行かなくちゃ。
だけど痛い、足を持ち上げようとするだけで激痛が走る。
影が弾けた。
いっせいに黒い粒子になった影が、ユウタに向かって群がっていく。
ユウタの光は影を跳ね返しはしたものの、それでも群がってくる影に押されて目に見えて範囲が狭まった。光が弱まる。
ユウタが危ない!!
痛いとか、苦しいとかそんなことが頭から飛んだ。
足を前へ出す。
ユウタは、影に攻撃できないんだ。わたしにもそのダメージが来てしまうから。フィオの記憶を見てしまった今ならなおさら。
今ユウタを助けられるのはわたししかいない。
ユウタだけは、絶対に————。
足がもつれる。思いとは裏腹に、身体がいうことをきかない。
ユウタの光がどんどん押されていく。
「ユウタぁッ!!」
叫んだと同時に、ユウタの歌声が絶叫に変わった。
影に押しつぶされるようにまとわりつかれながらユウタが身をよじる。わたしの方を振り返った。その顔は苦痛に歪んで————。
「リリア、逃げ————」
ユウタの腕が伸ばされる。その腕はすぐに影に覆われ、叫び声を上げたユウタの顔も全部飲み込まれていく。
蠢く影。
「ユウタ……? そんな……うそよね……?」
ゆらゆらと揺れながら、影が人型に戻っていく。
その人影は、六つ、あった————。
挿入歌「昇る陽の讃歌」
https://kakuyomu.jp/works/1177354054892578523/episodes/1177354054893145556
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