5 記憶

 最後の水と食事を取ったわたしたちの周りを、フィオの風が吹く。

 フィオは、わたしたちを影から守る役目。シーナはいざという時のために、力を温存しておく。

 ジュンとシンディーはシーナのサポート。ユウタは、わたしのサポートだ。


 今度はわたしひとりでやらなくちゃいけない。

 次は絶対にユウタを、みんなを巻き込まないようにしないと。

 しっかりしなくちゃ。


 あの影は可哀想だ。同情するななんて酷だと思うし、しちゃうと思う。

 でも、フィオの言う通り同情してわたしが影になったところで、影は影のままだ。助かることはないんだ。

 だからわたしが、影の悲しみや苦しみを取り除いてやらなくちゃ。ゆっくり眠らせてあげなくちゃ。

 そのためには、わたしがしっかりしてなくちゃいけないよね。


 痣がズキズキと痛む。その範囲は、顔半分から首、そして胸からお腹、そして太もものあたりも痛い。

 範囲が短時間で広がってる。影が近づくほどに、痛みが増してその範囲も広がっているみたい。


「ねえ、ユウタ」

「ん?」

「わたしが引っ張られそうになったら、呼んでくれる? 呼び戻してくれる?」

「ああ」


 ユウタの返事はそっけないほどに短い。でも、その声でわかる。

 ユウタは絶対にわたしを呼び戻してくれる。そう信じられる力強い声。


「来たぞ」


 わたしとユウタの隣に来たフィオが指し示す先。微かに黒い点が見えている。そこから流れ込むようにして、胸を締め付ける悲しみが押し寄せている。

 痣が痛い。でも、それよりももっと、悲しさが大きい。

 これからどんなものを見ても、わたしが信じなくちゃいけないのはいつものみんな。優しくて、一緒にいるのが楽で、信頼できるわたしの大好きな人たち。


 悲しみに飲まれちゃだめだ。

 そう思うのに、胸の中が苦しくて喉がひりついた。涙があふれそうになって、ぐっと歯を噛み締める。

 あの人、わたしに救って欲しがってる。だからここへ来るんだ。最初から、助けて欲しくてわたしを引っ張った。

 わたし、あなたを助けるから。絶対に。


 ユウタのブレない声が空気を震わせる。

 わたし達を守るように吹く風。

 そして、泣きながらこちらへ向かって来る影。


 わたし、歌うよ。

 だからユウタ、一緒に歌って。みんな、わたしに力を貸して。




「いつも君が探していた夢は

 小さな吐息残したままで

 大空高く……」




 小さかった影がふらふらと揺れ、突然スピードを上げた。ダンジョンの時とは大違いの速さで、ピンク色の草原を滑るようにこちらへ向かって来る。

 真っ黒な影。それは、声にならない声で泣いて、助けを求めるかつて人だったもの。


 ——おオォオォォォォウゥォぉ……


 影の声なき声に反応するように体が痛む。そればかりか、急にめまいと頭痛に襲われて息が詰まった。

 頭の中が一瞬白くなった。歌詞が飛ぶ。

 だめ、ここで諦めちゃだめ、歌わなきゃ。でも痛い、痛いよ!

 たまらず頭を押さえてしゃがみ込むけれど、痛みは変わらない。

 ユウタが歌っている声がする。その声に励まされるように顔をあげると、間近に迫ってきた影が見えた。


 真っ黒な影。そこに人型の穴が空いているかのような空虚さ。全ての光を吸い込んで、代わりに途方も無い悲しみと痛みを吐き出す穴。

 終わらない苦しみ。今わたしが感じているよりもずっと、ずっと痛くて悲しくて……。


 飛び上がった影が一斉に膨らみ、弾けた。黒い羽虫の集団のようになった影が、わたしたちを飲み込むように押し寄せて、フィオの風に弾かれる。黒い粒は離れた場所に集結して、また人型へ。

 その姿は揺らめき、崩れ、それでも人型へ戻りまた崩れる。


(あぁ……)


 やっぱり人なんだ。人だったんだ。

 だからこそ、こんなにも苦痛を感じている。助けて欲しがっている。


 歌いながら差し出されたユウタの手に助けられて、歯を食いしばって立ち上がる。

 こんな、こんな痛みに負けてちゃダメなんだ。あの人を救えるのは、今はわたししかいないんだから。

 わたしが失敗したらみんなだって危険だ。

 もう一度。歌え、歌うのよリリア!




「いつも君が探していた夢は

 小さな吐息残したままで

 大空高くすべてを見下ろして

 少しくらいは遊んでみよう」




 影が揺らめく。その姿が崩れていき、周囲の景色が揺らめく。その瞬間その闇が一瞬で世界を飲み込み、暗くて冷たい何かに身体を押しつぶされる感覚に襲われた。

 激しい暴風雨が吹き荒れる音。

 みんなも影も見えない。

 どこ!?


(嵐だ……!)


 記憶の底から浮かび上がる恐怖。

 あの嵐の夜、一瞬で何もかもなくなった夜。

 じわじわと身体を冷たい何かが押しつぶしていく。身動きが取れない。身体は冷え切って何も感じることができない。

 息が苦しい。


 わたしはあの時家にいたんだ。お父さんと兄さんは、外へ家畜を見に行っていた。わたしはまだ幼かった弟のクイを抱いて、お母さんの歌を聞いていた。

 本当にひどい暴風雨で、外へ行った二人のことが心配でたまらなくて。

 怖くて。


 異様な地響きに気が付いた時にはもう遅かったんだ。

 何もできないままたくさんの家が大量の土砂で破壊された。一瞬のことだった。


「クイ、どこなの……クイ、返事して……お母さん……」


 絞り出すように声を出すけれど、返事はない。ただ激しい嵐の音がするだけ。

 クイはわたしが抱いてたのに。さっきまでわたしが抱いてたのにどこへ行っちゃったの!?

 身体を動かすと、かすかに左腕だけが動く。少し上げたその腕は、すぐ上にある何かにぶつかった。

 次は横へ伸ばす。でも、手に触れるのは瓦礫らしき固いものと、土と、水だけ。

 ああ、こんな冷たいところに幼い弟を放り出しておくわけにはいかないのに。

 どこ、どこなの!?


「リリア! しっかりして、そっちじゃないよ!!」


 急に鼓膜を誰かの声が打つ。

 ううん、誰かじゃない。この声はシンディーだ。


(もう、終わったんだ……)


 胸がつまる。でもそれが真実。

 わたしはもう、この嵐の夜を終えてしまった。

 これはあの夜の記憶。わたしの影の部分。


「引っ張られんじゃねえ!」


 急にわたしの手がつかまれる。それは間違えようがない、ユウタの手。

 そう、あの時もユウタが助けに来てくれた。自分だって大変な時に、どうしてわたしのところへ来たのかってあとで散々泣いた。

 でもその瞬間は、そんなことをまだ知らなかったから本当に嬉しくて。

 ぎゅっとユウタの手をにぎり返すと、急に身体が自由になった。だけど、目の前はまだ激しい暴風雨で、前が見えないほど。びっしょりと雨に濡れた身体が冷えて重たい。

 わたしはユウタの手をにぎって嵐の中にいた。家畜を放牧していた斜面の上。そこは、わたしの故郷。


 激しい地鳴り。ユウタが何か叫んだ。そして下へ向かって駆け出す。待ってと声をかけようとして、そこに兄さんの姿を見つけた。

 家畜を見に来てたんだ!

 その姿は一瞬で崩れた土砂にかき消された。


「兄さん!」


 まだ高い位置にいたユウタは土砂に飲み込まれずに済んだようだった。でも、兄さんの姿はない。

 そしてその土砂は、わたしやユウタの家にとどまらず、多くの家を一瞬んでかき消して行く。

 悲鳴を上げかけたけれど、その声すら出ない。

 これは終わったこと。それはわかっているけれどぐっと喉が詰まってまぶたが熱くなる。わたしは実際に、この光景を見たわけじゃない。

 これはユウタの見たことなんだろうか。さっきわたしの記憶を見たように。

 ひどい雨が全身を打って、涙が出てるのかどうかもわからない。


「ユウタ!」


 とにかく必死でユウタを追う。泥に足を取られてそれでも駆け出そうともがいている彼の腕を捕まえた。


「ユウタ!」

「悪い、幻すら助けられなかった……」


 その低い声は、まるで泣いているかのように湿っている。

 ユウタはこれが幻だって、影が見せてるんだってわかってたんだ。


「ユウタはわたしを助けてくれたよ!」

「ああ」

「今だって!」


 暴風雨が徐々に遠ざかって行く。

 ユウタの手をにぎると、そこには温かさが感じられた。


「リリア!」

「シンディー!」


 そこにどこからともなくシンディーが駆け寄って来た。わたしの痣を気遣うように、優しく抱きしめてくる。


「これ、本当にあったことなの……? リリア」


 雨の音でくぐもったシンディーの声が震えている。

 シンディーも見たんだ。みんなも?


「うん……」

「リリア、あたしたち、絶対にリリアのそばにいるから!」

「そうよ、なにがあっても私たちは大切な仲間なんだから」


 優しい声はシーナだ。ふっと暗がりから現れたその姿が、いつもの顔で笑う。その隣に現れたのはジュン。

 相変わらずのハンサムは、その青い瞳を細めた。


「だから早く終わらせて帰ろう。リリアならあの影を助けられるよ」


 それは何も疑っていない、まっすぐな声。


「ありがとうみんな……」

「リリア、歌え」

「うん……!」


 頷くと暴風雨が止んだ。空の色が緑に代わり、世界に光が戻ってくる。

 瞬くともう、時空の狭間だった。

 わたしたちを守る風が吹き、髪を揺らす。

 影は崩れたり人型に戻ったりしながら、風の隙間を探すようにしてもがいている。

 わたしのところへ来たいんだ。わたしに助けて欲しがっているんだ。

 あの人を救えるのはわたしだけ。


 風を操って影を睨みつけているフィオの横顔が見える。

 ユウタと目を合わせ、息を吸った。




「いつも君が探していた夢は

 小さな吐息残したままで

 大空高くすべてを見下ろして

 少しくらいは遊んでみよう


 夢に向かって今も歩いている

 君にあたたかい光届けたいの


 白い羽をそっと広げて

 君のもとへ飛んでみよう

 遠い空をこえて出逢えるその日まで

 君の歌で照らして欲しい


 凍った世界にひとすじの光を‼︎

 君の希望で……」





挿入歌「白い羽〜夢を追いかけて〜」

https://kakuyomu.jp/works/1177354054892578523/episodes/1177354054917318309


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る