過去の光
『前にも同じことを訊いたな。前にも同じ答えを返したはずだぞ』
武田は、電話口でそう呆れた。面倒臭さを隠そうともしない声だった。さもありなん。俺と武田は友人ではない。高校の頃たまたま教室が同じだった間柄に過ぎない。俺に付き合う義理はないし、俺も、あえて付き合いたいとは思わない。ただ武田の交友関係の広さは、俺にはないものだった。
もっともその有用性が成果に繋がるとは限らない。それは武田の返答で十分に分かった。これ以上会話を続けても意味がない。頭では分かっていたが、すごすごと引き下がるのも癪だった。
休憩時間はまだ少しある。手の内で煙草を弄んだ。
「前と同じじゃないかも知れないから聞いてるんだけどな」
『そっちが同じならこっちも同じさ。お前が知らなきゃ誰も知らんだろう。これでも心当たりには全員当たってやったんだぜ? 何しろ他ならぬセンセイの頼みだ』
「……その心当たりの範囲を広げては貰えないのか」
『無茶を言うなよ。女房がいるんだ。バレたら何を言われるか』
「俺に頼まれたと言えばいいだろう」
『それで家庭が崩壊したら責任を取ってくれるのもお前か? 馬鹿馬鹿しい。こっちにゃガキも仕事もあるんだ。どうして親しくもない女の連絡先を調べなきゃならん』
俺は、舌打ちをした。
室外機の音が煩かった。店の裏手で話をしているのだから仕方ない。仕方がないが、煩いという事実に変わりはない。殴りつけて黙らせてやりたかった。
露骨な溜息が耳に触れた。
『別に行方不明ってわけでもないんだろ? 探してどうする。会ってよりを戻したいのか? ガキの頃に付き合ってた相手と?』
「……俺と水無瀬は付き合ってたわけじゃない」
「誰もそんなこと信じやしないさ。誰もサンタクロースを信じないようにな」
そんなことを言われても本当だった。水無瀬とは男女としての関係は一切ない。恋愛話すらしたことがない。彼女はどこまでも友人だった。だからこそ……武田の言葉が引っかかった。
(探してどうする?)
俺は、彼女と会って、どうしたいのだ?
何のために彼女を探すのか。考えれば考えるほど、小癪な声が煽ってくる。
貴方には望むものなど――
『安倉、感傷に俺を巻き込むな。忙しいんだよ。今日も残業で嫁さんの機嫌が悪くなる。ついでに上司とお前の機嫌まで取らなきゃならんのか? 勘弁してくれよ。そんなのは卒アルでも開いて一人でやってくれ』
武田はそう毒吐いて通話を切った。抗弁の隙も与えて貰えなかった。だが何を言ったところで無駄だろう。武田に俺の言葉は届かない。今を生きている武田には。
ダクトから漏れ出る調味料の臭気。空腹の虚しさを感じながら天を仰いだ。暗くなり始めた空にうっすらと星が浮かんでいた。見慣れた配置だがちっとも名前を思い出せない。確かに覚えていたはずなのに、すっかり記憶は褪せてしまった。星の光は過去の光だ。網膜に映るあの光も、既に何年も前に失われてしまっているのかも知れない。
耐え切れなくなって顔を伏せる。火のない煙草を握り締めた。
これが、奴が感傷と呼ぶものなのだろう。ならば、
(俺は、この傷をどうしたい)
問いかけは、早く戻れと急かす声に掻き消された。
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