クリスマス・イヴ
「……彼女は?」
阿南に尋ねた。彼は推し測るような沈黙を挟み、答えた。
「……事情は何も。いつも通り処分しろとしか」
それは落ち度のない解答だった。本来であれば私も彼も指示通りに動けば良い立場だ。目の前の者がどのような理由で連れて来られたかなど知る必要はない。阿南がそれを知ることができるのは、彼の上役が気紛れに世間話をしてくれるときだけ。機会がなければ引き渡されて終わりだった。彼を通して私が何かを知ることもない。積極的に知ろうともしていなかった。今までは。
部屋の奧で拘束されているのは、まだ十代も半ばを過ぎたばかりではないかという少女だった。白いランジェリーを血痕で汚し、頬を腫らしてうなだれている。
女が送られてくるのは初めてではない。私の元へは年齢性別を問わず様々な人間が送られてくる。だが眼前の少女はその中でも異例の若さだった。見た目には、ごく普通の、高校生ぐらいの少女に見える。我々の業界と接点があるようにも思えない。
こんな平凡な少女が、一体何をすれば山奥の地獄へ運ばれてくるというのか。
「ほら、ちょっと前にデータの改竄問題で辞任した大臣がいたでしょ?」
答えを寄越したのは小倉だった。心なしか以前よりも気安さを感じられる口調だった。
「厚生省だか文科省だったか忘れましたけど、そいつとズブだった製薬会社のお偉いさんが今回の発注元っスよ。そこの会長の長男坊が手の施しようがないクズだってのは有名な話でして。高校んときツッコんだ女を自殺に追い込んだっつーのが飲みの席の鉄板らしいっス。表向きはクリーンで通ってるとこスから親父のほうもケツ拭くのに右往左往してるみたいで。この娘も……まあ、お察しってとこじゃないっスか?」
少女は、虚ろに床を見つめていた。いや、見つめているかどうかも怪しかった。半ば閉じられた瞳には暗い色が宿るばかりで何の感情も見出すことはできなかった。意志を示す気力すら失われているのだ。これでは、まるで、
「人形みたいっスね」
小倉が肩をすくめた。
「可哀相なもんです。でも、オレらも仕事なんで」
そう言って自嘲を浮かべた。阿南が、事務的な口調で続ける。
「発注者からのオーダーはありません。ただ別口からの注文が入っています」
息を呑んだ。
別口。つまりはリサイクルだ。物好きな連中はどこにでもいる。珍しいものを観たい者。珍しいものが食べたい者。自らの生活に飽いたとき、そして、そこから抜け出す力と意志を持ち合わせていたとき、人は更なる刺激を求め、新天地へ向けて移動を始める。中でも、ここに辿り着く人間は極め付け下衆な部類に入ると断言して構わない。『肉の塩漬け』などが良い例だ。阿南らの飼い主は『処分』の依頼とは別に、その手の『転売』も取り扱っていた。
「写真、それと動画の提供を求められています。もちろん肉のほうも」
解体。出荷。販売。
人を人とも思わない悪鬼の所業、ではあるが、
(彼らの欲望に応えてきたのは、他ならぬ俺ではないか)
それに……と省みる。
彼らは決して人を人として扱っていないわけではない。牛や豚と同じように考えているわけではない。人を人として扱っているからこそ、その侵犯を求めているのだ。根底にはそれを禁忌とする倫理が備わっている。ならば、私は?
唇を噛んだ。
私には彼らを蔑む権利すらない。
「撮影は私らが担当します。安藤さんはいつも通り作業をなさってください。零時半には次の業者に連絡を入れますので、それを目途に時間の調整を。……それで構わないですね?」
阿南が念を押した。言外にこう問いかけていた。「本当に大丈夫か?」と。
そう尋ねられる程度に憔悴していたのだろう。実際、家で鏡を覗いたときは我ながら酷い顔をしていた。他人からどう見えているかなど考えるまでもない。だが強がるしかなかった。
「……ああ、構わない」
阿南は、やはり値踏みをするような沈黙を挟む。だが不信感だけで仕事を中断する胆力はなかったらしい。結局は「わかりました」と答えた。
「では私と小倉は上から機材を運んできます。安藤さんも作業の準備を。揃い次第取り掛かりましょう」
阿南は小倉を引き連れてエレベーターへ向かう。私はそのまま奧へ進んだ。間近で見ると、少女の若さと平凡さが一層鮮明に見て取れた。それを徹底的に破壊した暴力の醜悪さも。
見知らぬ男が前に立っても、少女は、動きらしい動きを見せなかった。視線を向けようとする素振りすらない。ただひとつ……無意識の反応だったのかも知れない。露わになった両腿に、僅かに力が込められるのが分かった。無駄と知りつつ、それでも開くまいとするように。
拳を握った。腸が煮えくり返って仕方がなかった。いっそぶち殺してやりたかった! 少女を絶望の淵に叩き込んだ畜生を。人の皮を被ったケダモノを! そして……そんな人畜を糾弾する資格すらない、自分自身を。
怒りと惨めさが私の中で渦を巻いた。
一方不思議とクリアになっていく部分があることも自覚していた。それは、暗い感情が濃度を増すほど、強く、静かに、支配的になるようだった。私は、その感情を何と呼ぶべきか正確な知識を有していなかった。だが心当たりはあった。今までの私には縁遠かったが、目にしたことがないわけではなかった。たとえば命尽きるまで抗い続けた、あのタフな男のように。
それは覚悟だった。
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