第三話 トレード・オフ

楽園の民

「仕事を終えてビールを飲むことがそんなに珍しいかね」

 リビングのソファでくつろぐ女に問いかけた。見た目だけなら少女と言っても差し支えない。だが、どうにも子供の相手をしている気がしなかった。尊大な物腰もそうだが、理由の大半はその紅い瞳だろう。組んだ脚の上で頬杖を突き、無遠慮にこちらを値踏みしてくる。

 女は、端正な唇を歪ませた。

「そうね。とても興味深いわ」

 グラスをテーブルに下ろし、彼女が興味深いと評した夕食を眺めてみた。スーパーで買った枝豆に、鯖の缶詰。ネギを塗した冷ややっこ。大根の漬物に、出来合いの卵焼き。主食は冷蔵庫にあったローストビーフだ。輪切りにされた牛肉が赤い断面を曝している。脇にはサラダとポテト。格別変わったところがあるわけでもない。値段はどうだろう。多少高めの肉を取り寄せてみた。贅沢と言われればそうかも知れないが家庭のない独り身の中年には、この程度の浪費は許されても良いはずだ。

 彼女が何に興味を惹かれているのか、私にはよく分からなかった。

 牛肉を箸で摘まみ口へ運ぶ。肉汁が口内に広がった。ゆっくりと顎を動かし咀嚼する。飲み込み胃の中に取り込んだ。次は添え物のポテトに箸先を伸ばす。それが順番だった。

「貴方を見ていると」

 黒衣の少女は、口角を大きく上げた。

「つくづく思うわ。

「ふむ」

 私はビールを飲み干した。グラスに注ごうと缶を掴んだが軽い感触しか返ってこなかった。立ち上がり冷蔵庫の扉を開く。買い置きしていたものもこれが最後だった。他の食材もほぼ消費し尽している。扉を閉じ、振り返った。

「そういう君は地獄からやって来たのかね?」

「私が来たのはもっと別のところよ」

「そうか」

 彼女の前のローテーブルには黒い本が置かれている。先日、気まぐれに立ち寄った古本屋で入手したものだ。無節操に手に取った数冊の中に混じっていた。私には、本の楽しみ方というものがよく分からない。だが、まさか読めないものが混じっているとは思わなかった。ましてや悪魔が現れるなど。

 私は、席に戻った。ビールを諦め、在るもので食事を再開する。

 少女の視線が再び注がれる。肉を噛みながら、ふと思いついたことを訊いてみた。

「私は狂っているのか?」

 悪魔は答えなかった。

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