第89話 トワイライトの公妃
「公妃様、先ほど公王がアレクシス様を呼び戻す書状を出されました」
それは突然私の元に飛び込んだ知らせ。
兼ねてから息子のレイヴンが問題を起こしているという話は聞いている。それでも最後は私達の愛する子に、公位を譲るものだと信じていた。だけど……
「ドルジェ卿、このままマズイのではございませんか?」
「もし王がこのままアレクシス様を選ばれてしまえば……」
「落ち着きなさいダウラギリ卿、まだ決まった訳ではありません」
「だがこのまま何もしないままでは、いずれ我々レイヴン派の人間は……」
全く見苦しい。
慌てて私の元へやってきたかと思うと、我先にと泣き言と文句を並び立てる始末。
彼らにとっての継承問題は、自分達がより良い環境を保つための唯の保身。そこに私やレイヴンの事など微塵も考えていないのだろう。
(私はまた彼女に負けてしまうのね……)
公子時代の王と私の兄は、女性である私が見てもそれはもう羨ましいほどの、仲がいい親友同士だった。
そんな関係の二人だ、妹の私に公妃の話が舞い込むのは自然の流れだったのかもしれない。
私としても満更知らない仲でもなかったし、公王も優しく私を受け入れてくださった。やがて愛の結晶とも言うべき子供を授かり、当時の私は其れなりに幸せな生活を送っていたのだと思う。
そんな時だった。
『君に紹介するよ、アイーシャと言うんだ』
公王が突然連れてきた一人の女性。狩りに出た際、落馬にあって数日行方がわからないという事件が起こった。
そこで公王を介抱したのが、たまたま野山に野草を採りに来ていたアイーシャだった。
公王が無事だったことは嬉しいが、その行方がわからない期間ずっと二人っきりだったと聞いた時、私は激しい嫉妬心にかられてしまった。
これでも私はオーシャン公国の元公女。後継の関係で王が正室以外にも側室を持つ事は理解できる。だけどこの時の私は無邪気に笑う王の姿を見て、怒りすら抱いてしまった。公王にとって私は親友の妹でしかなかったのだから。
「オリーブ様、諦めるのはまだ早いかもしません」
「どう言う事?」
「正直レイヴン様の行いには目に余る部分もこざいます。ですがそれらすべてを吹き飛ばすほどの存在が近くにいれば如何でしょうか? 例えばアレクシス様より有名で、アレクシス様より領民から慕わられ、あの新生ミルフィオーレ王国とも関係が深いような人物。それもレイヴン様と釣り合いが取れるような年齢で」
そんな都合のいい人物なんて……。
この連合国家は嘗てのメルヴェール王国の脅威から守るため、小さな街や公国が集まって出来た国。昨今は戦争らしい争いごと起こってはいないが、それでも100年程前までは、普通に国境沿いで争いごとが絶えない時代を送って来たのだ。
しかも今は国の名前を変え、後ろには更なる強大な国、ラグナス王国が控えている。
もし新生ミルフィオーレ王国と関係が深いような人物が、この連合国家の公王の近くに居るとなれば、あと50年は確実に平和な関係が築けるのではないだろうか。
「そんな人物が本当にいるの?」
「えぇ、アレクシスが最近持ち帰っておられる技術はご存知ですよね?」
「知っているわ。そのお陰で近隣の村や街で生産されている野菜の量が増えたのでしょ?」
それ以外にも荷馬車の改良や食の改善やで、一気にアレクシスを次期公王にという声が高まってしまったのだ。
それまではただ平民の母親を持つと言うだけで、多くの家臣がレイヴンを推していたと言うのに、今じゃすっかり鞍替えしてしまった貴族たちが大勢いる。
「実はその人物こそ、いま話をした一人の女性なのです」
「女性? 本当に女性なの?」
俄には信じられないがアレクシスの存在すら霞むような人物。しかも女性と言うのならその存在価値は非常に高い。
この連合国家の始まりは一人の女性、元々は女王が治める国だったのだ。それが何時しか生まれてきた男児にと、公王制度が根ずいてしまい、女性の権力は薄れていってしまったという経緯がある。
もし卿の言う通り、領民達に慕われるほどのカリスマを持ち、アレクシスが持ち帰った技術を要し、更にミルフィオーレ王国からの脅威を払拭出来るような女性ならば、十分にレイヴンの公妃としてこのこのトワイライト公国を……、いや連合国家をまとめてしまう事だろう。
「名前は……、その女性の名前は何と言うの?」
「確かリネアと。アクア領の領主リネア・アクアだったと思います」
アクア……。
この連合国家でその領地の名前を知らぬもの少ないだろう。
時には精霊伝説が眠る地として、ある歴史書にはメルヴェール王国と激戦を繰り広げた戦場として、そして今は新たなる食の発信地として、このトワイライト公国にまで名前を轟かせてしまっているのだ。
そういえば先に行われたミルフィオーレ王国の生誕際に、たかが一領主が国賓として呼ばれたと大騒ぎになっていたわね。
今でこそ領主単位で小さな取引は行われているが、警戒すべき国だと言うのは間違いない。それが彼方から国の催しに招くなど前代未聞の話だ。
今までも招待されたことはしばしばあるのだが、どれも政治という駆け引きの上で成り立っていた、いわば目に見えぬ戦場。それが一気に覆されたのだから、その衝撃は相当なものだったいに違いない。
「個人的にその子に興味が湧いたわ」
同じ女性という事もあるが、私はそのリネアとかいう子に会ってみたい。
そしてもし想像通りの人物なら……
「それでは一度こちらに呼び寄せましょう。アレクシス様への手紙はゼスト様を一度通すでしょうから、オーシャン公に頼めば遅らす事も可能な筈です」
全く抜け目のない……。
昔のお兄様ならこの様な姑息な策など一蹴していただろうが、アイーシャの存在が二人の関係をも潰してしまった。
その件に関しては少なからず私も関わっているのだが、今更お互い後には引けないといったところだろう。
望むのは再び二人が昔のような関係に戻る事だが、それは原因となっている私にはどうしようもない事。
「リネア……、今から会うのが楽しみね」
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