第50話 情報屋アシュレイ

 時を遡る事、数日前――。


 冒険者の街ベルズは、ラスレイア大陸のどの国家にも属さない国境地点にある大きな街だ。賑やかで活気のある街に夢や希望を抱いてやってくる若者たちや、傷を負い冒険を続けられずに去っていく者たち、多くの人々が交差しては流れていく。


 それは勿論人だけではなく、情報もそうだ。溢れ流れる様々な情報はそのほとんどが真実には程遠いものだが、中には確信を突いたものも確かにある。だからこそ情報はどんな小さなものでも価値があり、それは時として高く売れるのだ。


 ベルズの裏通りに軒を連ねるのは、そのほとんどが酒場である。中には幾つか怪しげな薬や道具を扱う店もあるが、大抵は営業しているのかしていないのか分からないほどに陰気臭い埃を被っている。「死神の大鎌」と記された看板を掲げる道具屋も、その中のひとつだった。

 僅かな震動にさえ錆付いた音を立てて揺れる店の看板には、黒い大鎌を携えて不気味に笑う白骨の死神の姿が描かれている。窓から中を覗くと、天井から何か動物の骨らしき物が吊るされているのが見えた。


「本当にここで間違いないの?」


 用がなければ絶対に足を踏み入れないであろう店の前で、ライリが訝しげに周りを見回した。


「ええ、ここよ。フレズヴェールも言ってたじゃない。店構えはこの上なく胡散臭いって」


「確かにね。ほら、これ見てよ、この呪いの人形。目がボタンなんだけど」


 呆れた表情を浮かべて、ライリが手に取った人形を見下ろした。「本日の目玉商品」とプレートのついたそれは、目玉商品なのに、入り口のドアの取っ手に無造作にかけられていたものだ。そのくせ値段はやけに高い。


「しかもボタンの色やサイズが左右バラバラとはね」


「何だかんだ言って、割とその人形が気に入ったんじゃない?」


「ふざけないでくれる?」


 悪戯な笑みを浮かべるイーヴィを一瞥して、ライリが少し慌てたように人形を元の位置に戻した。ぶらんと揺れる人形の目が一瞬だけこちらを見つめたような気がしたが、ライリはそれを光の反射だと思う事にして、さっさと店の扉を開けて中へ入っていった。



 店の中は薄暗かった。窓はあるが光を通すのは入り口のひとつだけで、残りはすべて重くカーテンが閉められている。店内に並べられた商品は統一性がなく、何に使うのか不可解なものがほとんどだった。

 初心者の必須アイテムである属性攻撃を封じた硝子玉は勿論、各種薬草や薬の類は誰が見ても分かるものだが、中には覗いてはならない手鏡や血糊で染めた付け爪など良く分からない不気味なものまである。

 壁際の棚に並べられた瓶詰めの中には見た事のない生物らしきものが保管されており、それは時々思い出したようにびくんと痙攣してライリを驚かせた。


「悪趣味だね」


 気持ち悪い品々を見回していたライリの視線が、部屋の奥に置かれたソファで止まる。くたくたでボロボロのソファに体を預けて、気持ちよさそうに惰眠を貪っている白衣の男がいた。


「あれじゃない?」


 イーヴィに確認を取りながらソファに近付いたライリが、値踏みでもするかのように男をじっと見下ろした。

 無造作に伸びた赤茶色の髪。赤いフレームの四角い眼鏡。はだけた白衣の襟元から覗く首筋の痣は、背中から伸びた人の手のような形をしている。


「この痣……フレズヴェールから聞いた通りね。情報屋アシュレイ」


「寝込みを襲う美人は大歓迎だが、どうやらそうじゃないらしいな」


 ソファに寝転んだまま意味深な笑みを浮かべたアシュレイが、眼鏡の下で閉じていた瞼をゆっくりと開いた。


「目玉商品でも買いに来たのか?」


 大きく伸びをしてだるそうに体を起したかと思うと、眠気覚ましと呟きながら、脇に置いたままのぬるくなった酒を一気に飲み干した。


「あんな玩具の人形に用はないよ」


「待て待て、玩具だと? ふざけるなよ。あれは目のボタン以外は本物の素材で出来てるんだぞ。勿論外見だけじゃなく中身もすべて本物だ。あれで呪われた奴は、そりゃもう見るも無残に……」


「人形の説明は今度ライリがゆっくり聞くから、今は私たちの話を聞いてもらえないかしら?」


「ちょっ……何で僕が」


 言い返そうとしたライリを軽く無視して、二人の間に割って入ったイーヴィがいつになく真剣な眼差しでアシュレイを見つめた。

 赤い眼鏡の奥でイーヴィを見る目に、さっきまでのアシュレイとは違う鋭い光が垣間見える。その僅かに冷たい光を肌で感じて、イーヴィが静かに息を吐いた。


「ある情報を売って欲しいの。最近のジルクヴァイン王家の動向と内情を」


「ルウェインのトップを狙うとは、大きく出たな」


「数週間前に仲間が城へ連れて行かれたまま帰ってこないわ。今何が起こっているのかを知りたいのよ」


「その仲間は堕ちたルナティルスの後継者か?」


 思っても見なかったアシュレイの言葉に、さすがのイーヴィも驚きを隠せずに言葉を詰まらせて沈黙した。イーヴィの横では、いつでも戦えるようにライリが殺気を剥き出しにして身構える。


「まあ、そう警戒するなよ。俺は情報屋だぞ。……って言っても、この情報を知ってるのは、今のところ俺だけだと思うがな」


 得意げに口角を上げてにやりと笑い、アシュレイが白衣のポケットから取り出した煙草に火をつけた。吸い込んだ煙を焦らすようにゆっくりと吐いて、煙草を咥えたまま机の上に積み重なった本や資料を無造作に横にどかしたアシュレイは、机に腰掛けてからやっと二人を見つめなおした。


「ここ数日、王城に何やら慌しい空気が漂っていてな。普段はミセフィアの研究所に詰めている主任のカロンが城へ呼ばれたり、いつもより城門付近の警備の数が増えたり……それらは少し前に起きたフィスラ遺跡崩壊を発端としている。フィスラ遺跡と言えば、あのルナティルスの秘宝と類似した物騒なもんが眠ってる場所だろ?」


「……あなた、どこまで知ってるの」


「遺跡で何が起きたのかは、お前らの方が詳しいんじゃないのか? 正直俺もまさかこんな近くに核心がいたとは思わなかったが……まぁ、身を隠して動くにはギルドは打ってつけだからな」


 警戒を解かない二人を面白そうに見やりながら、アシュレイが短くなった煙草を灰皿に押し付けて消した。煙草の煙が室内の淀んだ空気に紛れて漂い、三人の間をゆっくりと流れていく。


「十年前に反乱が起きたルナティルスの王家は根絶やしにされたと言われていたが、実際は生き残りがいてな。そいつはルナティルスの秘宝と共に、国を取り戻すべく水面下で活動していると一部の者の間では噂されていた。俺もそう読んではいたんだが……秘宝の力を使うような奴はなかなかいなくてね。力自体は使わずとも、それを有している者は纏う覇気自体が違うし、大体は見ればそれと分かる。お前らんとこのリーダーにも目星をつけていたんだが、そういう気配がまるでなくてな。見当違いかと思ってた所に、フィスラ遺跡の事件が来たって訳だ」


「……」


「本題に入ろうか。今、ジルクヴァイン王家で何が起こっているのか」


 言葉を失ったままの二人を勝ち誇った目で見つめたまま、アシュレイが意味深に声を落して囁いた。


「数日前、秘密裏にリアファルとウルズのトップが城へ招かれた。何を話したかまでは分からんが、ルナティルスの後継者が表舞台に出た事と、ブラッディ・ローズに類似する秘宝の出現とくりゃ……全部言わなくとも分かるだろ」


「……三国家の、同盟」


「まあ、そう上手くはいかないだろうがな」


 面白げにそう言って、二本目の煙草に火をつけるアシュレイを、イーヴィとライリは曇ったままの表情でただぼんやりと見つめているだけだった。


 仲間の行方を探るつもりが、いつの間にか国を巻き込んだ話に発展している事。そしてそれに完全に乗り遅れている事。いろんな感情が沸き起こりはしたものの、あのライリですら声を荒げる事はなく、ただ静かに息を吐くばかりだった。

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