第28話 イーヴィの秘密
「それで、何がどうなってイーヴィが男になっちゃったの?」
ひとまず落ち着こうと言う事で、一行は中庭に設けられたテラスでお茶を飲んでいた。ユリシスが作戦会議という名目で人払いを頼んだ為、中庭にはレフィスたち以外の人間は誰もいない。
目の前に注ぎ分けられた紅茶をゆっくり飲んでから、皆の視線を一斉に浴びたイーヴィが右頬に手を当てて軽く首を傾げた。その仕草だけ見ると明らかに女性そのものなのだけれど、頬に当てたその手がやっぱり男らしく骨ばっている。細いと言えば細いが、女性特有のあの柔らかさがどこにもない。それが異様な違和感としてレフィスの目にありありと映し出されていた。
「まぁ……そうねぇ、答えられるなら私もそうしたいんだけど」
「イーヴィにも原因が分からないの?」
「原因が分からないといえばそうなるかしら」
「随分と回りくどい言い方だな」
紅茶を飲みもせず、さっきからずっとイーヴィを見つめていたユリシスが、なおも視線を逸らさないまま静かに呟いた。低く重みのある声は怒っているようにも聞こえるが、それは冷静に物事を判断しようとするユリシスの気持ちの表れだった。
「男になった原因が分からないとは言うが、その割りに随分と落ち着いているように見えるな」
「あら、さすがユリシスと言ったところかしら。痛い所を突いてくるのね」
「……」
未だ逸らされない視線を受けながら、イーヴィがまた暢気にお茶を飲む。暫しの無言。誰もが口を閉ざし、相手の出方を待つ中で、イーヴィが小さな音を立てながらカップをテーブルに置いた。
「結論から言うとね」
レフィス、ユリシス、ライリをぐるりと見回してから、イーヴィがにっこりと笑った。
「私、男なのよ」
……。
……。
……。
「えええええええええっ!!」
素っ頓狂な声を張り上げたのは、やっぱりレフィスだった。
「ちょっと待ってよ、イーヴィ! 男って……男? ユリシスやライリと同じ男の事?」
「ふふ、他にどんな男がいるって言うの?」
人差し指を唇に当てて首を傾げたイーヴィから、また無駄な色気がこぼれ落ちる。
「だってイーヴィ、あんなに色っぽくていかにもな大人の女だったじゃないの! む、胸だってちゃんとあったしっ!」
「今はないわよ」
さらりと言って、胸元を惜しげもなく晒すイーヴィに、免疫のないレフィスが真っ赤に染まる。
「見せなくていいってば! それよりも昨日一緒に寝るまではちゃんと女だったじゃない! 一日で男に変身するなんて……」
「変身じゃなくて、元が男なのよ、私は」
「でも」
「お前が出てくると話がこじれる。少し黙ってろ」
そう言って一瞥したユリシスが、視線だけでレフィスの口を閉じさせた。まだ言い足りないのか少し唇を動かしていたレフィスだったが、やがてそれも諦めると力尽きたように温くなった紅茶を一気に飲み干して自分を落ち着かせた。
「で?」
「なあに?」
「男のお前が、なぜ女の姿をしていた?」
「あぁ……それ、ね」
一瞬だけ遠くに投げかけた視線をすぐに戻して、イーヴィは真っ直ぐにユリシスを見つめ返す。その瞳に揺らめいた感情は、誰にも悟られる事なく静かに消えてしまった。
「一言で言うなら……呪い、かしら」
「呪い? お前にか?」
「そうよ。もう随分前からこの呪いと一緒。男だった事も忘れるくらい、長い間ね」
「でも男の姿に戻ったって事は、その呪いも解けたの?」
我慢できずに口を挟んだレフィスだったが、その疑問を遮る者はいなかった。
「まさか。これは呪いをかけた本人か、或いは桁外れの魔力を持った者にしか解く事は出来ないわ」
「でも現にイーヴィ、今は男じゃない」
「だから分からないって言ってるんじゃない。もともとこの呪いもだいぶ効力を失っていてね、大体五年に一度くらいは男に戻れていたのよ。でも、今はまだその時じゃなかったからびっくりしたの。戻る時は、体が教えてくれるから」
「時期じゃないのに男に戻ったって事は、そうさせる何かがあったって事か」
独り言のように呟いて思考に入ったユリシスの横で、レフィスも真似るように首を傾げて考えてみる。けれど思い当たるような事はなにもなく、唯一頭に浮かんだ事も特別な何かとは到底思えないものだった。
「……昨夜は特に何もなかったわよね。一緒に寝ただけだし」
「そうね。……でもレフィス。私はそれに何かしら意味を感じているんだけど」
「一緒に寝た事が?」
「へぇ。一緒に寝て、何かしたの? レフィス」
それまで一言も喋らなかったライリが、ここにきて興味津々の眼差しでレフィスを見つめてきた。
「何にもしてないってば! 一緒に寝ただけだもん。それにイーヴィ、女だったし!」
「男だったら何かしてたって事?」
「そんなわけないでしょ! ライリの馬鹿! 偏屈エルフ!」
ぷいっとそっぽを向いたレフィスの耳に、くすくすと楽しげに笑うライリの声が届く。本当にもう、どうしてこのエルフはこうなのか。呆れ半分、けれどやっぱり怒りの方が多くて、レフィスは暫くの間ライリの方を見ようとはしなかった。
「意味を感じるとは?」
それまでの二人のやり取りを一切切り捨てた物言いで、ユリシスがひとり冷静に問いかけた。その声で我に帰ったレフィスも、ライリを一回睨んでからイーヴィへと向き直る。
「そんなに重要な事でもないわよ。私が勝手にそう思っただけなんだけど」
そこで一旦言葉を切って、イーヴィがレフィスを真っ直ぐに見つめた。
「懐かしい匂いがしたの。例えば大地に芽吹く緑の香り。吹き抜ける優しい風の香り。そんな風に……今はもうどこにもない、懐かしい場所を思い出させるような……切ない香りがしたのよ」
最後の方は声を落して呟いたイーヴィは、視線を遠くに投げかけたまま、もうそれ以上何も口にする事はなかった。
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