第16話 不吉な予感
むさくるしい男たちに紛れて、ギルドに入ろうとしていた真紅の美女が、誰かに呼ばれたような気がして後ろを振り返った。途端、激しい力で抱きしめられる。
「イーヴィー! 聞いてよっ、ライリったら酷いのよ! 外道なのよ!」
「あら、レフィス。それにライリも」
振り返りざま抱き付かれたと言うのに少しも動じる事なく、真紅の服を着たイーヴィがにっこりと笑顔を浮かべて二人を見やった。
「二人で仲良く散歩? 珍しいわね」
「違うわよ! ライリったらね、邪気ぷんぷんの怪しげな術で私の目を塞ぐのよ! あの得体の知れない物が張り付いた時の感触、忘れようにも忘れられないわ。ぷるんぷるんしてるのに、触れた箇所全部に小さな突起って言うか触手って言うか、それはもう説明するのも嫌になるぶつぶつが、しかも動くの! ざわざわって! もう信じられないでしょっ。ライリ最低!」
思い出したのか、ぶるっと大きく身震いしたレフィスが、現実を求めようとイーヴィに強くしがみ付いた。その背後ではライリが呆れた表情を浮かべて溜息をついている。なぜか鼻の頭と額が赤い。
「そういう君こそ、ぎゃーぎゃー叫んで僕にしがみ付いたじゃないか。肋骨を折るくらい強い力で。おまけに離れないし暴れるし、僕を巻き込んで派手に転んで、挙句僕を下敷きにした君は無傷じゃないか」
それで鼻の頭と額が赤いのかと納得したイーヴィが、ライリに気付かれないようにくすりと笑みを零した。何だかんだ言っても、この二人、結構仲がいいのではないかと思ったものの、それを口にするほどイーヴィも馬鹿ではない。
「まぁまぁ、喧嘩はそのくらいにして……二人とも、まだ知らないの?」
話の矛先を上手に変えたイーヴィに、レフィスとライリはそう誘導されたとは解らないまま、イーヴィが口にした言葉に注意を引き寄せられた。
「何の事?」
やっと離れたレフィスが訊ね、その後ろではライリも訳が解らないと言うように眉間に皺を寄せている。
「昨夜、フレズヴェールの所にエルフの女性が助けを求めに来たらしいの。噂ではそのエルフ、今まで見た事もないほどやつれていたそうよ」
「エルフが? 誰かに襲われたとか?」
「詳しい事はまだ何も解っていないわ」
「新しい情報とか、入ったのかな。ねぇ、ギルドに行ってみようよ」
そう言うなり、レフィスがさっさとギルドに入っていった。二人が来ない事をまるで疑わない足取りで先に行ってしまったレフィスに、イーヴィが小さく声を漏らして笑いながら後に続く。最後に残ったライリも暫くはその場で迷っていたが、やがて溜息をひとつ吐いてからギルドの扉を嫌そうに開けて入っていった。
「ライリじゃないか! ちょうど良かった。今お前を探しに行こうとしてたんだよ」
ギルドに入るなり、フレズヴェールが大声でライリを呼びながら奥から急ぎ足で歩いてきた。
「ちょっと奥に来てくれないか。あぁ、お前さんたちも一緒で構わないから」
「その申し出はありがたく辞退するよ、フレズヴェール」
上品な微笑を浮かべて帰ろうとするライリの首根っこをむんずと掴んで、フレズヴェールが逃がすまいと力任せに引き寄せた。
「いやいや、ちょっとでいいんだ。頼むから来てくれ」
懇願しつつも、フレズヴェールはライリの後ろ襟を掴んだまま、半ば強引に彼を奥へと引き摺っていく。仕方ないと諦めたのか、引き摺られるままになったライリの後を、イーヴィとレフィスが駆け足で追っていった。
ギルドの二階はフレズヴェールの自宅になっている。とは言っても仕事場も兼ねているので、どの部屋も紙屑もどきの資料で埋め尽くされて、文字通り足の踏み場もない。廊下にまで及ぶ資料の山を踏み越えて辿り着いた一番奥の部屋の前で、フレズヴェールがやっとライリから手を離して三人をまじまじと見つめた。
「最初に言っておくが、俺は神に誓って何もやってないからな。第一俺には心に決めた人が……」
「もしかして、エルフの女でも囲ってたりするの?」
「なぁっ! おまっ、お前何でその事を! 千里眼かっ」
ライリから思いっきり体を仰け反らせて驚愕したフレズヴェールを見て、イーヴィとレフィスが堪えきれずに笑い出した。
「相変わらず面白いわね、フレズヴェール。昨夜の事は、もう噂になっているのよ」
「そうそう。エルフの子が何か助けを求めに来たんでしょ? でもどうしてライリなの? ライリの知り合い?」
レフィスの言葉にライリの表情が一瞬だけ曇ったが、それに誰かが気付く前に、部屋の扉が中から静かに開けられた。
中から顔を出したのは、レフィスたち三人が誰一人として思い描いていなかった人物だった。
「煩い。部屋の前で騒ぐな」
そう言って眉間に深い皺を寄せたのは、ユリシスだった。
「何でユリシスがここに」
「ちょうどギルドにいたのを、俺が引き止めてたんだ。どうせなら仲間同士で話を聞いた方が早い」
「依頼なの?」
それまでの微笑を消して訊ねたイーヴィを見て、フレズヴェールが頷きかけた頭を微妙に横に傾けた。
「うーん、どうだかなぁ。それっぽいんだが、肝心の内容をまだ聞いてないんだよ。ただ、ライリ……お前さんの名前だけ何度も呼んでた」
皆の視線を受けていると分かっているはずなのに、当の本人はそ知らぬ顔で窓の外を眺めている。その顔に僅かな影が落ちている事を、その場にいた誰もが気づいてしまった。
「とりあえず中へ入ろう。どうするかは、それからだ」
漂い始めた沈黙を破って、フレズヴェールが寝室の扉を静かに開けた。
かちゃりと響く小さな音。
それはライリがずっと閉じ込めてきたものを再び曝け出す合図として、心に深く鋭く爪痕を残していった。
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