剣-4
「父さん、殿下、何時頃着くかなあ」
「晩餐に間に合うようにと仰っていたから、夕方だろう。気になるなら、列車の時間を調べて駅までお迎えに行ってきなさい」
そわそわと落ち着かない息子に、帰宅したばかりのバシリオは言った。つい先日までクーロがランスに遊びに出かけていたのに、今度はベネディクトの方がこちらを訪れると言う。
「本当に仲がいいな、お前たちは」
苦笑する父に、クーロは無邪気に頷いた。
「ランスのお城に、僕の部屋を用意してくださったんですよ」
「それはすごい」
「いつでも来ていいって」
久しぶりに帰宅した父に、クーロは嬉しそうに、休暇中の出来事についていろいろと話す。バシリオはそれを満足そうに聞いていた。
「有り難いことだな。お前、学校を移るか?」
「ええっ!?」
「ははは、冗談だよ。だが、殿下は私たちにとって大切なお方。これからも仲良くして頂けるよう、よく尽くしなさい」
「はい!」
――獲物が、ようやく巣に戻ってきてくれた。
待ちかねていたエリンは喜んだ。
ここに来ることは師と決めたことだった。
主の敵とみなした相手に、剣が余計な手順を踏むことはない。エリンの使命はただ、バシリオの暗殺だった。
無人のセキュリティシステムしか配備されていない、コルティス家の広い庭には、エリンが身を隠せる場所はいくらでもあった。彼らが身につけている衣服は、ただ武器を隠しやすいだけではなく、監視レーダーに対する強力なステルス性をもつ。長い時間をかけて培われた彼らの装備は、超人的な運動能力と組み合わさることによって、その比類無き個の力を維持していた。少なくともエウロの中においては、影の剣に忍び込めない場所は無いに等しい。
けれど、アーシュラに無断で城を出て、今日で四日目。こんなに長く主の元を離れたのは初めての経験だ。
バシリオ・コルティスがジュネーヴの屋敷に滞在するのは、月のうち十日も無い。そう聞いていたから、下手をすればまだ時間が掛かると覚悟していた。だから、彼を乗せた車が屋敷の玄関を通って行くのを見て、エリンは、フッと胸が軽くなるような奇妙な気分を味わっていた。
あとは
とにかく、夜が待ち遠しかった。
「ねぇ、ツヴァイ」
ゲオルグを見送った後、ツヴァイと並んで渡り廊下をトボトボと歩きながら、アーシュラが言った。
「エリン、本当はどこに行ったの?」
「……私が隠したとでも思っていらっしゃいますか?」
「ええ」
「それは、困りましたね」
甘やかすような口調で誤魔化すツヴァイを、アーシュラは睨む。
「お前はいつまでもわたくしを子供扱いするのね」
「申し訳ありません」
「否定しなさい」
「ほんの少し前お生まれになったばかりのような気がしておりますので」
「もう……」
「私から見ても、孫のようなものなんですよ。姫も、皇子も」
横顔で笑うツヴァイの白い髪が、夕日の色に輝いて見える。
主人と随分年の差のある彼の来歴を、アーシュラは知らない。そもそも、生まれたときから城にいる彼のことを、そんな風に疑問に感じることはなかった。
祖父の大切な宝物、白の剣ツヴァイ。アーシュラもベネディクトも、優しい彼が昔から好きだった。
だけど、自分は生まれながらの皇女だけれど、彼らは剣としてこの世に生まれるわけではない。エリンだってそうだ。今、ここでこうして並んで歩いていることも、決して当たり前のことでは無いのだろう。
「……全然似てないと思っていたけど、ツヴァイとエリンは似ているわね」
「おや、そうですか? どこがでしょう?」
「笑うのが、下手なところがよ」
ツヴァイはいつでも笑っている。だけど、その笑顔が本当は仮面であることを、唐突に悟った気がしていた。
「下手ですか?」
「そう。エリンの方が素直で可愛いわ」
「これは手厳しい」
男は、やはり笑った。
「姫こそ、アドルフそっくりですよ。皇子もですけど」
「そう?」
「ええ。ご子息方よりも、姫たちの方が似ていらっしゃいます」
「わたくし、あんなに四六時中怖い顔をしていないわよ?」
「聞き捨てなりませんね。あの方はね、ああ見えてとっても寂しがり屋さんなのですよ」
「まあ、わたくしが寂しがり屋だって言いたいの?」
「ふむ……確かに、そうとも言えます」
「ツヴァイ!」
「ふふふ、すみません。違いますよ」
そしてツヴァイは、なにか懐かしいものを見るような目で、アーシュラを見る。
「あなたのその、知らない方が幸せなことに限って、気がついてしまうような、損な性分がです」
二人が歩く渡り廊下に、沈みゆく太陽の最後の一筋が、まるで名残を惜しむかのように差し、そして、まもなく消えてゆく。
アーシュラの元にまた、エリンのいない夜が来る。
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