蜜月-5
ベネディクトが、ベアトリーチェ・リアデンスと初めて会ったのは、バシリオが彼のもとに縁談を持ち込んでから、暫く時間の経った、ある秋の日のことである。
「ごらん下さい、あるじ様、丘が金色に!」
双子を伴って訪れたリアデンス侯爵領には、見渡す限りの葡萄畑が広がり、紅葉した葡萄の葉によって、全部が黄金に染まったように見える。クロエが指さした先を覗きこんで、ベネディクトは感心したように言った。
「本当だ。こちらも随分と葡萄畑が多いんだね」
「ここの人たちはみな葡萄ばかり食べるのですか?」
「そうじゃないよ、これはみんなワイン用だから」
「ぶどう酒……」
「あはは、カラス、みんながワインばかり飲んでいるのではないからね」
「そうなのですか?」
「エウロのワインは、どこの自治区に持って行っても高く売れるんだよ」
「へぇ……」
見渡すかぎりの葡萄畑はどこも皆収穫を終えた後のようで、人々は別の作業に忙しいのだろう、広大な畑に人の姿はほとんど無い。ベネディクトの領内にも、同じような光景が多く見られた。バシリオの言うとおり、ふたつの家が治める領地は、エウロの中央に横たわる、ひとつづきの豊かな農地なのだ。
そして、秋空の下で、バシリオの仲立ちにより、ベネディクトはリアデンス侯爵家の長女ベアトリーチェと顔を合わせた。年上であり、娘ばかりのリアデンス家で、家督を継ぐことが決められた長女だと聞いていたから、きっと、随分しっかりした人なのだろうと想像していたのだけれど――
「……ご機嫌麗しゅうございます、公爵殿下」
ベアトリーチェは消え入りそうな声で言い、作法の通りにお辞儀をした。明るい栗色の髪を上品にまとめ、身につけているドレスもさほど派手なものではない。
決して不器量な女ではなかったけれど、そこに居るだけで輝くような存在感のあった姉を見慣れていたベネディクトにとって、彼女は、拍子抜けするほど大人しく、地味な印象の娘であった。
「はじめまして。お会いできて嬉しいです」
ベネディクトは、どことなくホッとしたような心地で、柔和に答えた。彼が笑うと、ベアトリーチェも安心したように微笑む。
「さあさ殿下、田舎の城で恐縮ですが、お入り下さい」
バシリオの隣で愛想笑いをしていた当主が前に出る。
「あの……よろしければ先に、この辺りの葡萄畑を見せて頂いても構いませんか?」
「畑ですか? それは、構いませんが……」
ベネディクトの申し出に、リアデンス候は不思議そうに首を傾げる。
「僕の領内も、今丁度こんな風に一面葡萄の紅葉が美しいのですけれど、実はまだ、土地のことに詳しくなくて。ゆっくり見て回る機会も無かったのです。今日は、天気も良いですから……」
清々しい秋の空気と、素朴な印象の娘に気持ちが落ち着いたらしいベネディクトは、素直に笑って言った。
「なるほど。それならば娘に案内させましょう」
父親に促され、ベアトリーチェはおずおずと前に出る。二人が並んで畑の方へと歩いてゆくのを、大人たちは期待の籠もった眼差しで見送る。
その期待の重さが、ベアトリーチェには辛いのだろうか。ベネディクトの目からは、彼女が浮かない顔をしているように見えた。
「ご迷惑でしたか? 案内なんて頼んでしまって」
気遣わしげにそう言うと、ベアトリーチェは怯えたように顔を上げる。
「とんでもございません、殿下。お会いできて光栄でございます……」
やっぱり、そよ風にもかき消されてしまいそうな声だった。気弱な娘なのだろうか。ベネディクトは少し笑う。彼は、こういうタイプの相手は得意なのだ。
「葡萄畑、お嫌いですか?」
「えっ……?」
たぶん、鳥や動物を慈しむ気持ちと根っこは同じだ。優しくしてやらないといけないという気持ちになる。野鳥の傍に寄って観察するときのように、穏やかに、脅かさないように。
「お好きでいらっしゃる?」
「……はい。この季節は特に」
「僕もそう思います。葡萄の紅葉を初めて見て、ようやく自分の領地を好きになれたような気がしましたから」
「……古くから、この地方は『
「というと?」
「キノコ狩りなども……」
俯いたままの言葉に、ベネディクトは不思議そうに目を丸くする。
「きのこ……って、食べるきのこですよね?」
「ま、毎年……使用人が総出で採りに出かけますので、私も……」
「へぇ、それは面白そうですね」
「そう……ですか?」
「はい」
ベネディクトが笑うと、ベアトリーチェも恥ずかしそうに微笑んだ。
正直な気持ちとして、まだ彼女を結婚相手としては見られる気はしない。けれど、それはなんとなく、好ましく思える笑顔だった。
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