恋の季節-4

「ああ、もう、やっと戻ってきたわね、遅いわ」

 その後、ようやく部屋に戻ったエリンに、アーシュラが、待ちかねたように口をとがらせた。今朝は当分顔を見せるなとうるさかったのに、勝手な主人である。

 鏡台の前に座って、鏡の前に何やら並べているようだ。

「ねぇ、髪が絡まって、気持ち悪いわ」

「あんなに庭ではしゃいでは、仕方がないでしょう」

 ため息をついて櫛に手を伸ばす。柔らかい髪は散々風に吹かれたせいであちこち絡まって、エリンは時間をかけて梳き整えなければならなかった。

 少女が鏡台に並べていたのは、今日ゲオルグが持ってきたどこかの土産のようだった。色とりどりの美しいガラスの小瓶で、中には何か入っているようだった。

「その瓶は?」

「ゲオルグが持ってきてくれたの。冬の間訪れていた、ムースウエストのお土産なのよ」

「土産……瓶がですか?」

「香水が入っているのよ。南の島の、色々な花の香りですって。ええと……これが、プルメリア……」

 勧められるまま、磨りガラスの白い小瓶に顔を寄せると。濃密な甘い香りが広がる。確かに、アヴァロン城の花々には無い香りだ。

「いい香りでしょう、ゲオルグはね、この中で一番好きだって」

「左様で」

「ゲオルグはここに並んでいるお花、全部実物を見たことがあるのよ」

 その夜、アーシュラは食事中も、入浴中も、ベッドに入った後さえも、ゲオルグがゲオルグがと、嬉しそうに話し続けた。

「それでね……ちょっと、エリン、エリンってば」

「……聞いております」

「聞きたくない、って顔をしてるわ」

 エリンにしてみれば、特に聞きたくもない話を延々と聞かされているのだから、当たり前である。

「そう思うのでしたら、いい加減お休みください」

 しかし、不機嫌な顔を見せるなんて、普段感情を表に出さないエリンには極めて珍しいことだ。

「エリン……」

 アーシュラは口をつぐんで、むっとした様子の従者をまじまじと見つめる。それから、何かを思いついたように目を見開くと、にっと笑って彼の襟ぐりを掴んで引き寄せ、白い腕を首に絡めて、従者の頭をぎゅっと抱きしめた。

「知らなかったわ。お前でもやきもちを焼くことがあるのね」

 耳元でフフフと笑われて、されるがままのエリンは不本意そうに主の腕を引き剥がす。

「そういうものではありません」

「そうかしら?」

「断じて違います」

「嘘ね」

「何ですかそれは」

 エリンの頑なな返答に、アーシュラは余計面白そうに笑う。ああ、これでは違うと説明するだけ逆効果ではないか。違うのに。

 ――違うのか?

 自問した瞬間、違わないことを悟ってしまう。そうなのだ、自分はただ、主人をあの少年に取られてしまったような気がして、気に入らないだけなのだ。けれど、そんなこと、言えるはずがない。

 自分はただの守護者で、主のなすことに口を出すような立場では――

「……もし、そうだと言ったら、あの方と会うのをやめてくださるのですか?」

 口をついた言葉が意に反しているのか、そうでないのか、分からなかった。アーシュラは少しだけ考えて、そして、当たり前のような顔できっぱりと答えた。

「お前がそう願うなら、会うのをやめるわ」

「え……」

「どう?」

 少年は途方に暮れた。けれど、そんなことを問われたら、答えなどひとつしか無い。

「……私がそれを望むことは、ありません」

 自分が望むのは、いつだって目の前のこの人の幸せなのだから。


 剣の言葉を聞いた姫は、少し切なげに俯いて、そして、溶けるように甘く微笑んだ。

「忘れないでね、エリン。わたくしは、何があろうと、どんな時でも、お前を拒むことは無いわ」

 白い指がエリンの冷たい頬をなぞり、瞳の色を隠すため伸ばした前髪をそっとよけて、美しい左の目を顕わにする。心のなかを覗きこまれたような気がして、少年は、切れ長の目をほんの僅かに細めて、笑った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る