主従のはじまり-6
「気がついたようですね。殿下は、かくれんぼもお好きなのですよ」
その言葉に、エリンはパッと元気を取り戻してキョロキョロと周囲を見回す。アーシュラはあの木の向こうだろうか。それとも、こっちの植え込みの根本だろうか?
うまく見つけると、もしかしたら褒めてくれるかもしれない。
あちらこちらへパタパタ走りまわる少年を、白髪の男はしばらく呆れたように見つめていたが、やがて、ある方向をスッと指し示して言った。
「そんな探し方では日が暮れても見つかりませんよ、ねぇ、殿下」
男が指したのは、立っているすぐ脇の庭木の影だった。それは、ちょうど先程エリンが走って通り過ぎた場所だった。まさかそんなところに、と、思いながら正念は駆け戻る。
「……もう、せっかく隠れていたのに」
文句を言いながら、ゴソゴソと少女が姿を現した。
「アーシュラ!」
「あなたも、ボーっとしてないでちゃんと探しなさい。わたくしが、せっかく隠れているのに! つまらないじゃない」
「ご……ごめんなさい……」
言って、少年は困ったような、嬉しいような顔ではにかむ。怒られていることより、少女の姿が見えたことにホッとしていた。
ドレスについた汚れをはらったアーシュラは、思い通りに遊べなかったことが気に入らないらしい、残念そうにため息をついて、邪魔をした張本人である男を睨む。
「ツヴァイ、酷いわ!」
ツヴァイと呼ばれたその男は、膝をついて頭を垂れた。
「申し訳ありません。陛下から、殿下のお側に参るようにと」
「おじい様が?」
「はい」
「変なの、どうして?」
「新たな剣を育てるようにと」
「育てる……」
「はい。ですから、これからは殿下のお側に参上することが、今までよりも多くなります」
「おじい様のお傍を離れていいの?」
「そのように命じられております」
「ふぅん……」
少女は、納得したようなしないような様子である。
「これからは殿下の邪魔はせぬようにいたしますので、お許し下さい」
言って、男はエリンの方を見た。褐色の肌に、妙に映える緑色の目だった。
「エリン・カスタニエ」
名を呼ばれた少年は、咄嗟にどうすれば良いのか分からず、コクリと頷く。
「その左目は、今後は隠したほうが良いですね。こう、髪か何かで」
気付かないうちに伸ばされていた大きな手が、エリンの短い前髪に触れた。
「それから、カスタニエの名は捨てなさい。公爵にご迷惑をおかけします」
男の言葉は、少年には難しすぎるようだった。けれど、困ったように首を傾げるエリンに、ツヴァイは構わず続ける。
「この後、あなたに名前は必要ない。名乗るならばただエリンと……」
言葉の途中で、少年の紫の左目がまっすぐ自分を見つめていることに気付いた男は、一瞬言葉を途切れさせ、そして、少し考えこむ。
「……やはり、あなたの持つ色は少々強すぎる」
諭すような声音だった。しかし、穏やかだが決して優しくはない。
「あなたはこの先、殿下のために生き続けなければならない。だから、その色の強さを消す努力をしなさい。エリン……エリン・
男の名はツヴァイ。『二番目』などという大雑把な呼ばれ方は、彼が皇帝アドルフの二人目の剣であるからで、当然本名ではないはずだが、男にはもう、その名以外の名前は無かった。
#剣__つるぎ__#とは、代々の皇帝の最も傍近くに仕える従者で、主の身を危険から守る守護者である。幼い頃からの修練によって比類なき戦闘能力を持ち、その力を主のためだけに使う。――場合によっては、敵対者を葬り去る暗殺者としての役目を持つことすらある。
決して公に名を表すことは無く、その死の瞬間まで、主の側に影として寄り添うといわれる。謎に包まれたその存在について、帝室の関係者以外が深く知ることは無かった。
彼らはエウロの長い歴史の中で、アヴァロンの権謀術数における闇の部分を背負ってきた存在である。皇帝に盾突く者を容赦なく葬り去るその攻撃性から、貴族たちは彼らを密かに『影の剣』と呼び、忌み嫌うと同時に恐れていた。
アドルフは、エリンの命を奪わなかった代わりに、アーシュラの剣として育てるつもりでいたのだ。
剣の師は剣である。
この日から、少年への長い教育が始まったのだった。
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