101 第9話02:国父




 先王ゼーラトゥースの『大事な話』とやらは、質疑応答の末、夜も深けるまで続くこととなった。

 無論、ゼーラトゥースの所為などではなく、幾度かの質問を重ねたハークにこそ責任の所在が存在するのかも知れないが、それが必要不可欠な内容であっただけに、その場に居たゼーラトゥースはおろかラウムやジョゼフも文句どころか不満を表すことすらなかった。


 ただ、先王に軽食を馳走になったとはいえ、宿の飯を喰えなかったのは痛い。

 ぱん、とやらではどんなに主菜が美味くとも、ハークの腹は膨れないのだ。まあ、舌の上でとろける程に煮込まれたジャイアントホーンボアの肉は実に美味であったのだが。


〈……兎に角……米が欲しかった……〉


 若干の消化不良の感覚と満たされなさを感じたまま、ハークは宿への道を虎丸の背に揺られながら進む。

 ハークが自分の足で歩かずに虎丸の背に跨るのは主に3通りの理由が存在する。

 一つは、事態に対処するため己よりも数倍脚の速い虎丸に頼らねばならぬ場合。

 もう一つは、魔力切れなどで己が満足に動けなくなり運んでもらう場合。

 最後の一つは、考えたいこと、或いは考えなければならない事柄があり、それに思考を深く傾けたい場合、である。


 今回の理由は3番目に該当していた。

 先王らとの会談で得た知識や事実の量と数は膨大で、ハークは未だそれらを自分の中に落とし込むことが出来ていなかった。

 それを自らの脳みその中で、ああでもないこうでもないと整理整頓し纏める作業が必須であったのだが、古都ソーディアンのど真ン中に位置する領主の城から中心にほど近いハークの宿への道程など高が知れている。


〈もう着いてしまったか〉


 未だ何一つ整理など出来てはいなかったが、既にハーク達は宿の前に到着していた。

 しかし、溜息一つ漏らすどころか、不満の一片すらも表に出すつもりなどない。

 察しの良い虎丸は先程から歩を緩めていてくれたのだから。


『ご主人、着いちゃったッス。申し訳ないッス』


『何を謝ることがある。ここまで御苦労だった。確かに考え事は済んではいないが、宿の部屋でゆっくり考えれば良い』


 そう言って頭を撫で、眼を細めた虎丸から降り、共に宿の裏口へと向かう。昼間は快晴であったのだが夜半に雲が出てきたらしく月明かりすらない細道も、異常に夜目の効くハークにとっては迷うことなどない。長期滞在する者だけに貸与される合鍵を使って中へと入ると食堂の方から明かりが見えた。


「あっ、ハークおにいちゃん、おかえりなさい。ずいぶん遅かったんだね」


 食堂に居たのはこの宿屋の娘、セリュであった。照明法器の僅かな明かりを受けて本を読んでいたようだ。ハークの姿を見つけると最初は驚いたようだが、直ぐにぱっと笑顔を見せてくれる。


「ただいま、セリュ。驚かせてしまってすまんな。だが、まだ起きていたとは思わなかったよ。本を読んでいるのかね?」


 ハークは前世に子供から大変好かれにくい容姿をしていた所為で、子供、殊更女児に対しては努めて優しく話し掛ける癖がついている。

 その声を聞いてセリュはほんの少し恥ずかしそうに顔を赤らめると、読んでいた本を懐に抱えるようにしてから答えた。


「うん! ちょっと眠れなくて……。でも、もうすぐ寝るから大丈夫」


「そうか、何を読んでいたのだ?」


 何とはなしにハークは訊いてみたのだが、セリュは一層顔を赤くして胸に抱いていた本の題名をこちらにも見えるように突き出した。


「算術の本なの。算術学、苦手だから読んでると眠くなるの……」


〈しまった。訊くべきでなかったことか〉


 ハークはそう悟る。だからセリュは恥ずかしがっていたのだ。よく前世の弟子達にも言われていたものだ。勘は良いのに何故そういうことは読めないのですか、と。

 懐かしい気持ちになりながら、ハークはこういう時の対処法を思い出す。

 こういう時は下手に謝ったりせず、それの何が恥ずかしいことなのか判らぬとばかりにそれ以上触れることなく、別の話題に変換してやれば良い。


「ほう、勉強とは偉いな。それで、誰の著書なのだね?」


「あ、えっとね……、『国父』さまのだよ。ほら、ここ」


 セリュが本の裏表紙を開き巻末を指でさして見せてくれる。ハークの感覚では本の多くの著者は表紙や巻頭に己の名を綴るものと認識していたが、どうやらそこにしか著者名が載っていないらしい。


「ほう、『国父』呼びなのだな。セリュも」


 だが、ハークが寧ろ気になったのはセリュの口から出た『国父』の言葉だった。


 『国父』。当時『赤髭卿』と呼ばれたウィンベル家開祖。

 今はアルテオと名乗っているリィズのワレンシュタイン家の大元となる人物だ。

 先程までの先王ゼーラトゥースとの会話でも何度か話に登場している。


 国のそもそもの始まりとなる初代国王ハルフォード1世の第一の側近でありながら彼の師匠でもあったらしいが、直接的な国への軍事的、政治的貢献以外でも莫大な功績を上げている。

 曰く、学校を始めとした教育機関の設立。

 識字率が飛躍的に伸び、平民の大多数が買い物に必要な程度の算術を充分に嗜めるようになり、経済活動が飛躍的に円滑となった。

 曰く、街道の整備とその安全を守る警備隊の設立。

 これにより、物の流通が発展及び安定したばかりか、人々の往来も活発になり大規模な商売が可能となった他、旅行業という新しい分野の商業も誕生した。

 曰く、様々な食用野菜、果物、穀物の栽培技術開発。

 国民の食生活が大変豊かになったのは勿論のこと、麦が育ちにくい環境であっても米を育てられることなども発見することに繋がり、慢性的な食糧不足から解放された地域もある。

 更に曰く、国を流れる各大河に定期船を走らせ物流を革新させたこと等々云々。


 まあ兎にも角にも功績を上げ続けるだけで日が暮れかねない程である。そんな彼を師として父としてという意味での『師父』と呼び崇めることは、実際に初代国王ら建国直後のモーデル王国にはその主要人物の内半分近くが彼の弟子であったという事実もあり、当然のことと言えるかもしれないが、国の父、転じて建国の父とも解釈可能な『国父』では、実際に国を造った初代国王ハルフォード1世を始め代々の王侯貴族に失礼ではないかと、公式な場では随分な昔から使用を禁止されていた背景がある。


 それに伴い、平民にも初代ウィンベル卿への『国父』呼びを撤廃させた経緯があったらしい。しかし、未だにその呼び方を改めぬ地域も少なくない。特に生前の『赤髭卿』に直接的な恩義を受けた地域は頑なだ。


「うん、うちのお父さんの故郷がね、すごーく昔、麦があんまり実らなくて大変だったんだって。でも『国父』さまが与えてくださったお米で皆お腹を空かせなくなったって教えて貰ったの。だから、『国父』さまのことは『国父』さまと呼ばなきゃダメだって」


 セリュの場合も前述と似たような事情だったらしい。


〈それにしても……全く持ってどれほどの超人だったのだろうな〉


 伝え聞く『赤髭卿』の断片だけであっても文武両道の言葉ですら納まり切らない。

 これら功績は時が経つにつれ、他国との明確な力の差に発展し、周辺諸国から西大陸全土までに徐々に伝わっていき、各地で様々な形で採用されたり、そのまま真似して導入するところすらあったという。この変化についていけなかった国々の多くは国内に発生した混乱が元で滅亡し、後にその混乱を収束することになるモーデル王国が傘下として吸収、モーデル王国は更にその領土を広大化させ、現在の形へとなったらしい。


「そうか、本当に凄いのだな。『赤髭卿』殿は」


 出来れば会って話してみたいほどだった。もっともモーデル王国建国以来、もうすぐ330年が経過するのでは、人の身で今も生きている筈など無いのであろうが。


「うんうん! あんまりにも凄すぎて、『国父』さまを未来から来た人だ、とか、別の世界からやって来た人だ、なんて言う人もいるよ!」


「ほう」


 ハークは表面上軽く流してはみたが、セリュの言葉が内心気になった。


〈未来か、……将又はたまた別の世界か……。と、すると……儂の元の世界から来た人物ということか……?〉


 ハークは少し考えを巡らす。誰か該当出来る得る人物がいたかどうかを。


 結果は、いない。該当者は無しだ。

 一瞬、織田信長公のことが頭に浮かぶ。


 織田信長は現在、足利将軍や一向一揆、比叡山など古きものを徹底的に破壊した、言わば時代の破壊者のようなイメージすらあるが、その一方で多才なアイデアマンであり、彼が新しく時代に産み落としたものは壊したものと同じくらい多い。


 ハークはそれを、織田信長公と全くの面識どころか姿すら拝見したことはないにも拘らず、伝え聞き知っている。


 それでも、無い。ありえない。

 確かに織田信長公がこの世界の人外の力を発揮するレベルにまで仮に到達したとして、魔法などのこの世界ならではの力各種を手に入れていたとしたら、それ程の偉業を成せないなどと誰が言えようか。

 その点に関してはハークは充分にあり得ると思っている。

 が、伝え聞く信長公という人物であれば、いつまでも誰かの影に収まっている器などでは無い。必ずどこかで己が主にとって代わり、天下を差配するに決まっている。

 つまりは『赤髭卿』は大人し過ぎるのである。

 主君の手となり足となり、自らの一生を捧げて死んでいくなど、どう考えても信長公であろう筈が無いと断言できた。


 そう考えればまだ未来から来た人物であるほうが現実味があるというものである。


〈儂をこの世界に運んだ力もあるし、未来からというのも充分有り得るかもしれん〉


 そう考えていると、目の前のセリュが自分を見つめていることに気付く。


「ん? どうかしたかね、セリュ?」


「……あのね、ハークおにいちゃん。ハークおにいちゃんがウチに泊まるの、今日で最後なんだよね……」


 急な話題転換。

 そう言えばそうであった。ギルドの寄宿学校に明日から入学するハークは明日の夜からギルドの宿舎で寝泊りすることになるのである。

 悲しそうなセリュの顔を視て、ハークは彼女の言いたいことを悟り先回りする。


「そうだな。……寂しいと思ってくれるのかね?」


「勿論サビシイよ! サビシイもん!」


 怒られてしまった。ハークは宥めるように言う。


「そうか、ありがとう。ならば宣言しよう。儂は冒険者稼業で街の外に出ぬ限り、セリュの宿に必ず顔を出す」


「ホント!? ゼッタイ!?」


 先程まで沈んでいたセリュの表情が全く別の方向に変わる。それを視てハークはにこりと笑い掛けた。


「ああ、絶対だ。セリュの御母上の料理は美味いからな。それにここでしか米料理はいただけぬ」


「そっか! じゃあ、絶対来てね! 約束だよ!」


「ああ、約束だ」


 花が咲いたように笑うセリュを視て、なんとか機嫌を直すことに成功したハークは、安心したせいか腹が盛大に鳴ってしまった。先程の話の中で米の話やら、セリュの母親であるこの宿の女将さんが作る今やこの宿名物の米料理の味を思い出してしまったからである。


 その音に思わず吹き出してしまったセリュと共にひとしきりハークは笑いあう。


「ふふっ! どうしたの、ハークおにいちゃん? お腹空いてる?」


「ああ、実はそうなのだよ。軽くは喰わせて貰ったのだが、イマイチ足りぬようであったのでな。御母上の米料理など残っていないかね……?」


「あるよ! ハークおにいちゃんの分、取って置いたんだから!」


 現金なもので、その言葉がハークには前世の伴天連達が語っていた福音を齎すという天使の声のように聞こえるのであった。


「本当か! 有り難い! 是非喰わせてくれ!」





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