18 第2話08:恩義


 ここまで思惑通りに事が進んでいたにもかかわらず、最後の最後で油断してしまった。

 油断していなかったら防げた、というものでもなかったのかもしれない。だが彼は一瞬気を抜いた自分に毒づいた。


 状況は一気に最悪へ傾いている。

 前方からは巨龍が迫り、後方には動けぬ男と動かぬ幼児。虎丸の脚力ですら自分と後ろの二人を乗せてでは逃げ切れるとは思えない。


 つまり、ハークは今ここで選ばねばならない。

 後ろの二人を見捨てて逃げるか、戦うかを。

 見捨てれば確実に生き残れる。虎丸はハークを乗せて風のように走り去ってくれるだろう。そして後ろの二人は確実に死ぬ。龍の脚に踏まれ潰されるか、爪で斬り裂かれるか、尾の一撃で砕かれるか、それともそれ以外かは定かではないが確実に死ぬ。

 戦えば高い確率で虎丸と自分も死ぬことになるだろう。それだけの力の差がある。

 先程、尾の一撃を止めようとした際も虎丸と自分の二人がかりで何の痛痒も与えられず、なんとか軌道を変えられただけに過ぎない。

 どこか弱点は無いのだろうか。じっと見つめると目の周り、眉間のあたりに黒い靄のようなものが一瞬掛かったように見えた。が、すぐに消えて視えなくなってしまったので、埃か小さな羽虫か何かと見間違えたのだろう。


 ふと気づくと虎丸がこちらを真剣な顔で見つめていた。

 その顔には『やるッスよね!?』と書いてあるようだった。


 思わず、ふっ、と笑ってから虎丸に念話を送った。


『虎丸、付き合ってくれるかね?』


『勿論ッス! ……でも、ご主人、一つだけ聞かせて欲しいッス。ご主人はこのスラムの人たちに、何か恩義でもあるッスか? いくらご主人が優しくても、初めて会った人たちに、ここまではしないッス』


 ハークは驚いた。確かに虎丸の言う通りである。ここまでする義理は無い。

 だが、それはこの世界の彼らにであって、前世のことを含めたハークには在るのだった。



 遠い昔、歳若く、金も力も全く足りなかった頃の話だ。

 生まれた村を出たばかりの彼は、何度と無く『道々の者』達にその命を救われていた。

 救った方はそんな自覚は無かったかもしれない。ただ単に行き倒れ寸前だった彼を拾ってメシを食わせただけだ。だが、当時の彼はその行為と心に随分と救われた。


 『鋳物師』いもじの親爺からは生き残る術を学び、大工のおっかさんから料理を習った。『傀儡子』くぐつの娘とはお互いの初めてを交換したこともある。馬鹿もやったし、馬鹿もされた。そのどれもが美しい青春の記憶である。


 長じて恩を返そうと思っても、彼ら『道々の者』は漂泊の徒である。直接恩義を返さねばならぬ者達は何処いずこにいるのやら殆どわからなかった。わかっても、時の流れの中で冥府の彼方に旅立った者ばかりであった。

 だから、その恩を『道々の者』全体へと返した。彼らを患者として無償で受け付けてくれる診療所にそれとなく弟子をやって寄付金を渡した。親を亡くした『鋳物師』の子と『傀儡子』の子を引き取って養子にしたりもした。

 だが、それで若き日に受けた大恩が返せた、などとは彼は微塵も思わなかった。彼の中で、それは永遠に返しようがない負債のようなものだったのだ。


 だからこそ、同じ太陽の登る世界だからこそ、彼はこの世界でも漂泊の徒を見捨てられなかった。

 お天道様さえ見てくれているなら、異なる世界の恩義であろうとも、返す宛ての一つであるに違いない、と。



 虎丸にはそんなことは判らないだろうし、知る由もない。だが、ハークの必死さを見て何かを気付いたのであろう。本当に頭のよい相棒だった。

 だが、このことを話してしまうには、自分には前世があり、つい数日前のハークとは別の人格であることを理解させねばならない。今の時点でハークにそれは出来なかった。


『本当に虎丸は賢いな……。その話はいつかしよう。いつか、絶対な』


 伝えながら、その時は来ないのかもしれない、との思いも心の中にあった。が、それに続く虎丸の答えが、そんな弱気な考えを吹き飛ばしてくれた。


『いつか…ッスか。じゃあゼッタイ、お互い死ねないッスね! ご主人!』


『……応!! 勿論だ!』


 無邪気に応える虎丸の言葉がハークを奮い立たせる。


 逃げることは出来ない。ならばやるしかない。

 勝利条件は二つ。

 一つは無論、目の前の超大なる龍を倒すこと。


 それが無理な場合、ある程度痛烈な一撃を当てて、ハーク達を敵と認識させること。これが二つ目。

 二つ目の勝利条件を選ぶ場合は、攻撃を加えた後にある程度そのまま注意を引き付け逃げるという行程も考えなければならない。

 逃げ切ることが出来ずに捕まればその時点で敗北しかねない。体力をある程度以上残し、傷もあまり深手を受けてはいけないのだ。


 どう考えても不可能でしかない、と言えるような高難易度さである。

 だが、やらねばならない。出来ねば死ぬだけなのだから。


 こんな分の悪い、ある意味不本意とさえ言える賭けに出ねばならぬのはいつ以来のことか、正直とんと記憶にない。

 下手をすると……、己が最初期に名を売ることとなったとある一門との、大袈裟にも程がある抗争の日々以来かもしれぬ。


 あの時、頼めるのは己独りの力だけだった。それに比べれば、今は頼りになる虎丸という最強の相棒がいる。

 そう考えれば、あの時の状況よりも遙かにマシであると思えてくるのだから不思議なものだ。


 張り詰めていた緊張感が霧散していくのを感じる。身体中の力みも消えて、これならば、いい動きが出来るに違いない。

 良し! 、と気合を入れ直し、最終決戦に向けて作戦を練り直す。

 狙いは虎丸も言っていた首の内側だ。どう見てもあの部分の鱗が一番薄そうに見える。生物であれば守るべき弱点の筈であるし、首の中心部辺りには逆さに生えた鱗、逆鱗の様なものさえある。こちらの龍も逆鱗が弱点かどうかはわからないが、傷つけることが出来ればハーク達を無視できまい。引き付けるという目標が達成できる公算がぐっと高まるであろう。

 いや、傷つける、どころではない。


 必ず斬り裂き、そして倒すのだ。ヤツの喉笛をこの剛刀で掻き破る。


 物事というものは目指した目標よりも一段、二段下に落ち着くのが世の常だ。だから、傷つけさえすればいいなどという、低い目標ではその最低な条件さえ達成することは出来ない。

 必ず斬る。その想いで挑まねばならないのだ。


 問題は如何にしてあの馬鹿みたいに遠い懐へと潜り込むか、だ。一撃貰えばハークは勿論、虎丸ですら御釈迦になりかねない。


 策が必要だった。出来得る限り無傷の状態であの首元へと辿り着く策が。

 問題となるのは龍の牙と両腕の爪といったところか。

 その3つ全てを掻い潜らねばならない。

 周囲を見回す。道端の瓦礫で使えるものは全て使ってしまったが、ここにはまだ幾つか残っている。

 手頃な礫となりそうな瓦礫は、3つほど。


〈やはり、瓦礫を使うしかないか〉


 ハークは考え着いた策を虎丸に伝える。一抹の不安もまだ在るが、ここまで来たら自分達を信じるしかない。


 龍に虎丸と共に挑む。

 一歩、また一歩と青龍が前進する度に両者の距離は縮まる。

 来てみるがいい。

 全てを出し切り必ずやその喉笛に刃を突き立ててみせよう。

 その想いが、刃に、己に、明鏡止水たる気力を漲らせていた。




 ユナは数えで五つとなったばかりの女の子である。その精神はまだ形成が成されたばかりで全てを理解できているとは言い難い。

 それでも自分のせいで今のこの状況があるということをユナは5歳児なりに理解していた。

 シン兄ぃの手を離しておじいさんを助けに行ったからか。それともシン兄ぃから貰ったお椀を追い駆けたからだろうか。

 だが、どちらもユナには無視できなかった。

 おじいさんはもう足腰が立たなくなってもう長くないっていつも言っていたけど、いつも寝る前にお話してくれて、ごつごつした手で頭を撫でてくれる大好きな人だった。

 そして、あのお椀は、父も母もいないユナにとって、初めて他人から貰ったもので、彼女にとっては命よりも大切な宝物であった。どこに行くにも持ち歩いたし、最近始めた馬小屋掃除のお仕事にも連れて行って、いつも棚の上から見守ってもらっていた。

 そんな大事な大事なお椀を見捨てられるワケが無かった。


 そして、その為に今目の前で冒険者のお兄ちゃんが倒れている。せっかく自分たちを助けに来てくれたのに、自分のせいで額から血を流して倒れているのだ。

 揺らしても引っ張っても起きてくれない。どうしよう、と周囲を見渡すが再び土煙が周囲を覆ってシン兄ぃ達の姿も見えない。遠く自分を呼ぶ声が聞こえるだけだ。


 途方に暮れるユナを庇う様に、白くて大きな魔獣さんとその魔獣さんを連れた男の子がドラゴンの前に立ち塞がった。


 ユナは神に祈らない。

 神に出会ったことが無いからだ。

 だから、ユナは目の前の男の子に祈る。


(おねがい! あたしたちを助けて!)


 と。



 魔法の力とは純粋な想いや願いから生まれる、と言われる。

 その純粋な気持ちに精霊達が反応して、奇跡を起こすのだ、と。

 勿論それだけが魔法の力の源泉ではないが、一つの魔法体系の基礎として、この世界の魔法学者の中では広く教えられていることである。


 ユナは無論、そんなことは知らないし、魔法使いでもない。

 しかし、その純然たる想いが、暴走した龍の覇気を恐れて散っていたこの地の精霊を再び呼び戻し、ハークの背に羽を形成するが如く集まりつつあるのを『精霊視』のSKILL持ちであれば見ることが出来た筈だ。


 そして実際に、その光景を視認することが出来る人物が近くにいたことなど、ハークや虎丸、ユナには知る由もないことであった。



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