トレジャー・ボックス5

 トレジャー・ボックスを始め、この島にあるすべての公共施設のスプリンクラーは、近海で組み上げられる海洋深層水が出る。


 当初は消火液だったのだが、度重なるタバコの誤報と濡れへの被害から水へ変える要望が出され、だったた体に良いミネラルウォーターをと、この無駄遣いとなった。


 当然、海洋深層水は海水である。


 塩分や不純物は取り除かれてはいるが、飲料水にできるほど綺麗な水だった。


 つまり、今レストランフロアに降り注ぐ水は


 ◇


 ……ブルーバベルは焦りから、指の爪を噛む。


 コンボの要『弾くウォーター』がFGOカード以外を貫通させることは事前に知っていた。


 それでも九百九十四枚の海水とそこから溢れるモンスターが壁となり、一方で空気は通過するから窒息の恐れのない、完璧鉄壁の防御だった。


 なのに、今はびしょ濡れだ。


 海面で弾ける波紋はスプリンクラー、雨のように降り注ぎ、音に刺激に塩分濃度低下でモンスターたちが暴れに暴れ、海水が混ざり、そしてここまで流れて溜まっていた。


 溜まるペースこそ遅いが、一度入った水は『海フィールド』が邪魔をして外に出せない。一方で空気は難なく抜けて、中は沈む難破船だった。


 こんなこと、ブルーバベルは想定してなかった。


 もしも敗れるとしたら海水のない地中からか、あるいは海水ごと吹き飛ばす強力系魔法での一撃、雷属性には九百九十四の内に『避雷針シーホース』当たりが出れば完封できるから対策もしてなかった。


 それなのに、今、溺れようとしている。


 水深はすでに『停止カボチャ』が沈むほどに来ている。このまま頭まで沈むのは時間の問題だ。


 打開策、考える。


 だが手札がない。


 デッキ九百九十九枚は全てコンボに使いつくした。


 残る手札はゼロ、それ以外にあるのはエナジードリンクにエナジードリンクの空き缶、携帯電話も携帯ゲームも水没して壊れた。後は、何もなかった。


 どうする?


 一番はカード効果を解除することだ。海フィールドが消えればこの水を遮るものもなくなり解決だ。


 だが敵がいる。


 奴が死んでから出ないと解除しても死ぬだけだ。


 なら死ぬまで耐える。それから解除だ。


 導き出された打開策に異議を唱えるように鈍い音が響いた。


 弾くウォーターの結界すぐ前、きらりと光り、泡を引きずりながら沈んでいくのは弾丸だ。


 発砲、つまりまだ生きている。


 まだできない。まだ解除できない。


 水はもう胸の高さ、息苦しい。


 焦る。考える。爪を噛む。


 そしたら急に明るくなった。


 見上げれば水面に灯り、隠れていたテーブルがどこかへ吹き飛ばされていた。


 そしてその天井から滴る水がブルーバベルの目に入り、慌てて下を向いたらもう水だった。


 ブクブクと泡を立てて、ブルーバベルは全てのカードを解除した。


 ◇


 一瞬にして、全てが消えた。


 海水も、モンスターも、見え隠れしてた半球状も、そしてスプリンクラーの水だけが降り注ぎ、流れて行った。


 ずぶ濡れのヒニアが見てる前で、ずぶ濡れのクラクが髪をオールバックに掬い上げる。


 それから刀を抜きながら椅子を蹴り飛ばしながら向かった先に、男がへたり込んでいた。


 黒のマントに黒の革ジャン、黒のブーツ、それと首や手首に大量の鎖、顔には溶けてるが化粧の痕跡が見える。


 濡れていなければヴィジュアル系の格好だろうとヒニアは思う。だけど肝心の男は、ヴィジュアル系には程遠い。


 小さな体、細い手足、顎は小さく頭は大きく、年頃は中学生ぐらいに見える。何より目を引いたのは青や紫に染めた髪、全身ずぶ濡れなのに髪だけが油たっぷりで水分を弾いて楓の葉のように広がっていた。


 オシャレに目覚めて、それっぽいものをマネして、だけども独力な上に自分を正しく認識できてない男、ヒニアが良く相手する客層そのものだった。


 そんな男が、濡れる床を這いずり、まるで打ち上げられた魚のように跳ねながら、クラクから少しでも逃れようとする。


 だけども大股のクラクはすぐに追いついた。


 そして蹴りを一発、文字通りお尻にかまして、前のめりに崩した。


「な! あ! あぁ」


 振り返り何かを言い返そうとした男、だけどもクラクを前に声を失った。


「ブルーバベル、だな」


 確認ではなく宣言、これから何が起こるのか、ヒニアはこれまで何度も見てきた。


「待て! 取引しよう! 俺を仲間にできれば伝説のカードのありかに案内しよう!」


 右手をかざし、まるで映画のような命乞いを、ブルーバベルと呼ばれた男は始めた。


「お前だって聞いたことがあるだろ? 六枚で一体、揃えれば無限の力を得られるという伝説の合体カード、俺はその中の右耳を……」


 言葉を遮ったのは、クラクの抜刀だった。


 左の腰から右手で引き抜き、外へ広げる。


 その一動作の間に、クラクあブルーバベルが掲げてた右手の指の何本かを、斬り飛ばした。


「うぎゃあああああああ!!!」


 悲鳴、右手を押さえて転がるブルーバベル、遅れて鮮血が辺りに飛び散る。


 苦痛に地団駄、悲鳴が枯れた後には過呼吸の音、それをクラクは、タバコを加えたまま見下ろす。


 暫くの身悶えの後、やっと落ち着きを取り戻した男は、右手を腋に挟みながら震える左手を飛んだ指へと伸ばす。


 次の一刀は左手首だった。


「うぎゃあああああああ!!!」


 また悲鳴、今度の鮮血は一瞬にして吹き出た。


 今度は暴れない男、度重なる刃傷に、両手の間で交差し、傷を腋に挟んで止血しながらうつ伏せで動かなくなる。ただその身が細かく震えてるのは、声を押し殺して泣いているのだろう。


 その身を、クラクは蹴り飛ばし、表にひっくり返す。


 もはや、度を越したいじめだった。


「もう、やめろ。あめろよぉ」


 弱弱しい鳴き声、なんとか絞り出す男の口へ、クラクは切っ先を差し込んだ。


 カチリカチリと歯と刃が打ち合う音がする。


 そして目を覗き込みながら、クラクは噛みしめるように言った。


「雑魚が。このレアカードはお前みたいな幼稚園が持ってていいカードじゃねぇんだよ」


 言い捨てて、クラクは口から刀を引き抜くと、同時に右足を高々と上げて、男の交差する腕ごと、その胸を追い切り踏みつけた。


 ボギリ、との音が何十にも重なって聞こえたのは、まとめて何本もの肋骨が踏み砕かれたからだろう。


 ブルーバベルは、口から大量の血を吐き出すと、一度だけで跳ねて、死んだ。

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