第八節 収奪

 「キア! そんな、そんな、嘘でしょ、裏切ったのね人間を。ねえキア、人間を裏切ったの?」


 「リシャーリス殿下、胸を、胸を隠してください」


 塔から落ちそうになった私は、イルトラに引っ張られるままに室内に戻されてベッドに倒れ込んだ。


 「殿下、危ないです。もしかして泣いておられます?」


 「キアを失ってしまったのよ、みんな私のせい。私達は初めから間違っていたのよ」


 イルトラは嗚咽をあげる私から無理矢理寝間着を剥ぎ取ると、新たな寝間着を着せる。

 身体が冷えてきたので、泣きながらも私はしぶしぶ寝間着に袖を通し、イルトラが前のボタンを留めた。


 「イルトラ、なんでそんなに無慈悲なのよ、世界が滅びるのよ」


 「殿下、今ので・・・〈世界の滅びが確定〉したのですね」


 イルトラが世界の滅びに関して正確な用語を使った事に、私は違和感と不安を感じた。

 ハプタ王家は世界の滅びについて情報統制を行っており、勇者であるキアにも詳細な事は教えなかった。

 さらに世界の滅びによって人間界が被る被害については数段階あり、正確に理解している者は少ない。


 「イルトラ、今〈世界の滅びが確定〉と言った?」


 「殿下、すぐには滅びないのでしょう。私は仕事をするだけです」


 「それ、誰に聞いたの?」


 世界の滅びの詳細をイルトラでさえ知っているなら、キアが永続の不健全さを知っていたとしてもおかしく無いのだ、血の気が引いた。


 「アン・アナアムの塔におられる、セラシャリス殿下からです」


 「えっ、知らな……いえ、思い出せない」


 知っているはずなのに思い出せない不自然な忘却に、私は魔法的な力を感じた。

 アンテ城の各塔に人除けの魔法がかかっているにしても、ここまで強力な忘却の力では無いはずだ。


 「不思議ですが皆そう言います。私は王女付きの給仕班長ですから覚えているのでしょう」


 忘却の力は私を秘密の記憶に不必要な存在と判断したのか、その強力な圧力でイルトラの返事を含めてすべての記憶を押し流してしまった。


 「そうよイルトラ、今ので・・・〈世界が滅ぶ〉のよ」


 「大騒ぎした割には、敗北はあっけないですね」イルトラは赤い月を見ながら平然としている。


 「でもねイルトラ、これは人間の大虐殺なのよ。キア、分かってるのよね、世界の九割を滅ぼすのよ」


 私がベッドに座り直すと、イルトラが水差しの水をコップに注そぐ。ミントといくつかの薬草が含まれるそれをゆっくり口に含んだ。


 「あ、塩を入れ忘れました」


 「後で自分で入れて飲むわ」


 元からあった微熱と先ほどの騒ぎで増えた火照りが水で冷やされて、落ち着きが戻って来た。


 「ああ、もう力が収奪されているのね」


 月の大きさが反転してから、イルトラの灯りの魔法が格段に暗くなった。

 これからは、人間に関係するものすべてが赤い月に力を奪われるのだ。


 人間同盟とハプタ王家の指揮官達は飛び起きた頃だろうか。

 稚児達はどうか父王には知らせずに朝まで寝かせてあげて欲しい。父が勇者と魔王をどれほど憎もうが、世界の滅びは覆る事がないのだ。


 「イルトラ、軍装を用意して置いてくれる。呼び出しが来たら着替えるわ」


 「かしこまりました。ではおやすみなさい」


 イルトラは薬屋の娘という出自にも関わらず、器用に灯りの魔法を還元すると部屋を出て行った。


 アンテ城と魔王城にある聖剣の台座は、二つの月を通した人間界と魔界間の力の交換の鍵だ。

 儀礼的な戦争を通じて行われてきた聖剣の交換を、三万年前から人間は拒否し、魔界からの一方的な収奪に使った。


 そうやって自己循環可能なまでに力を蓄積した結果が、輪廻から離脱であり、人間界の永続だ。


 しかし月を通して魔界に力が逆流すると、人間界の永続性の条件である自己完結した力の循環が失われる。

 人間界が輪廻に帰れば、人間界はその過ぎた力を奪われて大地の九割は崩壊するだろう。


 「確かに人間の自業自得だけど、虐殺は選んで欲しく無かったな、キア」


 人間界の崩壊は、世界の中心であるヘリオトスから一番遠い所から始まり、聖剣の台座から一定の距離で止まるだろう。

 多くの人間は知らないうちに輪廻に帰って行くだろうけれども、土地・食糧を巡る戦争と飢饉で数え切れない人間が死ぬはずだ。


 「私達は高望みをした。滅びの導き手である魔王を排除する事を望んでしまった」


 人間界は永続性を獲得し維持するために、三万年間ずっと消極的な戦いを続けてきた。


 「キアが最強で最後の勇者だったから魔王と戦う事を選んだのよ」


 兄の考えは違っていた様だけれども、私はキアを自らの意志を持たない純真なうちに使い潰したかった。


 「キア、私はキアの事が何も分かっていなかった」


 手で顔を覆うと赤い月の光に照らされた左手から、アリザニンクリムゾンの血が滴った。

 昨日の魔界侵攻作戦で、黄水晶の剣に斬られた場所だ。


 「そうか、治らないのか。負けるって、惨めよね」


 これが聖剣も含めた水晶剣に『切られる』という事であり、黄水晶の剣だから痛い訳では無く、神に祝福されていない存在で私だけが幸運にも死ななかっただけなのだ。

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