第五十一話 見送り
ドアは天然木調仕上げであり、外観にはこだわっている。
風体自体は立派なものだ。
建物全体が、年季の入った音響機材に似ていた。
愛花の家の倉庫で見た、古いコンポを彷彿とさせるような。
というのが、会場に初めて訪れた日の感想。
道が狭く店も多いので、次に行くときに思い出せるか不安な初見勢、
そのドアをもう、二度とお目にかかれない可能性もあっただろう。
生きたままではお目にかかれない可能性が、あった。
けれど、ホールを出て、そこまでたどり着いた。
夢呼が押せば、それはあっさりと開いた。
―――
自分の手でドアを開けただけ。
それでも、狼狽えたね。
おいおい、こんなにあっさりと……本当に?。
何だ、簡単じゃないか―――と思いもしたが、そう思えるまでが長かった。
ステージで立ち回った。
それでも、あいつらは上がってきた、何度も。
丸根マネは、見えない位置から手伝ってくれた。
真弓だって。
ただあまり意識しないのは、いつだってそうだからだ。
あいつは本当にいつもいつも、こう―――弱音を吐かないからイラつく。
そこまでされるとなあ―――ホント、困ったもんだよね。
アンタが困ったときくらい、この夢呼さんが何とかしてやるって言ってんのに。
いや言ってない。
言いたいけど言わせてくれない。
……それくらいできないとでも思うのかね?
何にせよ、終わらないってことだねぇ。
腐れ縁というかなんというか。
―――
真弓に助けてもらった(らしい)あと、ドアの光を見つめて呆然としていた。
本当に出口があるのかって、実際は半信半疑。
まあ、あるけれど……でもまさか、たどり着けるなんて。
まだ生きることが出来るなんて。
ほら、見て、と後ろを振り返った。
出ることが出来るんだよ、ここまで来ているんだよ。
「真弓……っ?」
「ああ―――、言いにくいんだが、あのな」
真弓はそっぽを向いていて、髪で表情が見えなかった。
何、どこを見ているの?
どこも見ていないの?
声が小さいよ。
「アレだよ、今の……噛まれた」
―――
脛が傷んだが足首に比べればまだマシだ。
悩んだけれど、両足から力を抜いて、出来るだけ優しげな表情を作る。
―――あのさぁ。
「噛まれた……っていうか、はは」
大したことのない、という風を装う。
それが間違いということを、自分の口が動いてから気づく。
夢呼、七海、愛花が黙って自分を見ている。
「歯が……触れ……刺さった」
途切れた単語でも、吐くのに苦労する。
息が浅くなった。
息が苦しいのとは違う……。
まだ、そうなってはいない―――これに時間差があるという事実くらいは、もう理解している。
警官、杜上のことでも思い返せばはっきりする。
「靴以外が、当たったみたいだ」
ぼそりと声に出した。
ダメだ、反応が怖い。
顔を上げたがそれで精いっぱいで、直視が出来ない。
目を見ることが出来ない。
「そんな、何か……あの、外に出れるから」
怪我をしたのなら医者に行けば、と言ってくる愛花だが、必死になるな。
今回のこれは、そういうものじゃあないだろう。
わかってるくせに……馬鹿だな。
みんなうかつに動けない―――無論、この事件からの脱出口となったドアは開いているが。
赤い光が周期的に夢呼の横顔を照らしている。
それを反射している眼鏡……だからその浮かぶ感情がわかりにくい。
無表情に見える。
いやいや、出て行ってもいいんだぜ、と思う私。
息を吸って言う。
「……あのさぁ。先に行っててくれない?」
「おい」
夢呼が迫るように前に出る。
おい逆だ、何で
あ、ドアを閉じやがった。
「……行けよ」
行って。
声を絞り出す。
残念だが私が話したことは真実だ。
血管に響くような痛みが、相手に伝わることがないだろうが。
正確に表現すれば、暴動者を蹴ろうとした時、予定とズレて、歯に命中した。
組み手において注意すべき点だと言われてきた。
切り傷……と、表現するのは、正確には異なるかもしれないが。
いつもは顔面なしのルールでやっているとはいえ、相手の顔面を打ってしまうときがある。
私も全力でそれをやったのは親子喧嘩の時くらいである。
まあ、あの野郎は顔面だろうが何だろうが躱すし捌くんだが。
その際、自分の拳のほうが痛みを訴えることも多い……攻撃した側の、傷み。
歯にあたるのは代表的な事例だ。
私も実際に経験はある。
だからこそ間違えようのない痛み。
現代ではかなり少ないが、破傷風菌が体内に侵入することがある。
そこまで考えて、思い至る。
この日、ライブハウスを襲ったこの事件。
菌。
ウイルス。
……そうか、やはりなんとなくだけれど判断はしていた。
まあ、今頃気づいても遅いだろうし、それにしたって確たる証拠もない。
あとそれの正体がわかったところで、何をどうできるというのか。
「先、行っててくれほらよ、ドアがある、から」
目を見開く。
すっとぼけようという思考は、確かにあったけれど、
噛まれたのは事実だ。
そして私のミスである。
「心配せずとも、恨んだりしないって」
無傷の三人を。
恨みはしない―――そう言ったし、それは事実である。
自分の頬が持ち上がるのがわかった。
笑みが出てくるのは、楽しいからではない。
人はあきらめてしまうと、絶望感が薄れるのだろうか。
どういう気持ちなんだろう、今の私。
今。
これ以上の最悪は、ない……という気持ちなのかもしれない。
けれど。
「……いや、でもそうだな」
両手を宙に挙げて私は言う。
「
私よりも怯えている女の、肩を掴んだ。
ちょっと
そんなあからさまな台詞を言ってしまえば、本当の不良として終わってしまうだろう。
背中に両手を回す。
「えっ、えっ?」
困惑する……
時間的にまだいける。
話すなら今だぞ、私。
話すか、死ぬか選べ私。
さあどこから言えばいい。
言えることはあるはずだ。
「あぁ―――少し、だから、聞いてくれ」
あくびのようにも聞こえかねない、長考の唸りが出た。
「あんたのことは……嫌いだった」
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