厄介な夜会
「先輩って、ここでお茶する以外の時間は何してるんですか?」
恋愛小説のような再会を果たした翌日。約束通り夜更けにやってきた俺に、ナオが最初にした質問がこれだった。
「なんだ急に。唐突だな」
「いえ、ちょっと気になっただけなんです。先輩って、私みたいに学校へ行くこともないでしょう?幻体の身で、昼間や夕方は何してるのかなぁと思いまして」
ちなみに、幻体というのは俺達の今の状態の事だ。名付けたのはナオ。最初は幽体と呼称していたが、幽霊ではないのだからその表現はおかしいとツッコんだところ、そんな造語を作り出したのだった。なかなか悪くないセンスだったので、その呼称を使うことにしている。
「昼も夜も、外を当てどなくぶらついているかな。人通りの多い場所へ行くこともあれば、その逆もあるし。どこかの屋上で雲を眺めていることもあれば、料理屋の厨房に忍び込んで調理風景を見てることもある」
「・・・なんで調理風景?」
「料理が趣味だったから、その名残でな。見ていて比較的面白いし」
そう素直に告げると、ナオが目を見開いて固まっていた。
「・・・先輩って、料理が趣味なんですか?」
「過去形だがな。今はしたくてもできやしない」
そう返すと、ナオは目を瞬かせた後にこう言った。
「・・・意外過ぎて言葉が出ません」
「こう見えても、存在があった頃は夕食を週に数回作っていた。洋食の方が好きなんだが、本格的に作ろうと思うと時間と手間がかかりすぎるからな。和食ばかり作っていたっけか」
「・・・ちょっと見直しました。先輩にも取り柄があったんですね」
「おい」
「てっきり、社会不適合を地で行くろくでなしかと思ってました」
「割と間違ってはいないし、そう自嘲したこともあるがな。本人を前にそう言う事をストレートに言うか?」
「だって、先輩にはデリカシーとか不必要でしょう?」
「・・・」
一本取られたなと思った。ニヤついているナオの表情を見ているのも癪なので、お茶請けのクッキーを数枚摘んで口へと放り込む。自棄食いをする人の心理が初めて分かった気がする。
「というか先輩、初めて会った時よりもちょっとだけ素直になりましたね」
「そうか?」
「はい。二日前は、もっとそっけなかったですよ。それに、口を開くと必ず皮肉や嫌味が混ざっていましたから」
「お前の絡み方が鬱陶しかったからな。ちなみに、今のお前は少しマシだ」
「そうですか?」
「最初に会った時は、やけに必死だった印象が強いな。目の前に現れた蜘蛛の糸を逃すまいとする、地獄の亡者のように」
「その例えには文句を言いたいですが、確かにそうかもしれません。このままずっと独りぼっちかもしれないと不安だった時に、自分と同じ存在を見つけたので」
「一人の方が気楽でいいだろう。少なくとも、こうして束縛されることはなかった」
「人と関わらないと、心が荒んじゃいますよ?二日前の先輩みたいに。今は、私のおかげで少しマシですが」
「勝手に自分の功績にするな」
そう言って、デコピンを一つ。額をさすりながらむくれるナオを無視して、アッサムティーを口に含む。ほコーヒーの方が好みだが、甘味と合わせるなら紅茶も悪くない。
「先輩は、強いけど弱いですよね」
お代わりの紅茶を自分のカップに注ぎながら、ナオが矛盾した言葉を呟いた。
「何かの謎かけか?」
「いえ、心の在り方の話です」
「カウンセリングなら間に合ってるぞ」
「そんなつもりじゃないですよ。そもそも、先輩の心は頑なすぎて、私には扱えません。取扱対象外です」
「随分な言われ様だ」
「私は、先輩と違って他者との関わりなしには生きていけません。孤独な環境に二か月も耐えてきた先輩は、間違いなく強いと思います」
「ようやく俺の偉大さに気がついたか。苦しゅうない、存分に崇めろ」
「茶化さないでください。でも、先輩は過度に人との接触を避けている傾向があります。他人と接して、自分の心を傷つけられるのが嫌なんじゃないですか?」
「・・・」
「そういう観点で言うなら、先輩は弱い人間です」
心の中で溜息をもらす。違うな、間違っているぞ後輩。俺が他人と関わらないのは、傷つくことが怖いからじゃない。さも俺の事をわかったように、知ったかぶった他人にああだこうだと批評されるのが大嫌いだからだ。
「ナオ。お前は結構ずかずかと他人の心に入ってくるタイプだな」
「よく言われます。・・・怒りましたか?」
「そのことについては怒ってはいない。が、俺の事を理解したかのように、偉そうな御託を並べるのには虫唾が走る」
「・・・すみません」
意外と素直に、ナオは謝った。
「自分の心っていうのは、本人にすらわからないことが多いんだ。ましてや、たかだか三日程度の付き合いの他人がそれを分かったように話すのは、傲慢と言わざるを得ないな」
「・・・そうかもしれません。でも、自分に見えない内面が、他人からは見えているってこともあるんじゃないですか?」
「あるかもしれないな。だが、それは心理学かあるいは哲学の領分だ。素人が生兵法で語っていい類のものではないと俺は考える」
「・・・やっぱり先輩は理屈っぽいですね」
「感性や感情を基にして話すよりは、余程実があるからな」
「そんなんだと、女性にモテないですよ?女性は、話し相手にはまず共感を求めるんですから」
「これかわいー、ほんとだ、かわいーってやつか?傍から見てると、茶番としか思えんのだが」
「でも、そういう会話で深まる友情とかあると思いますよ」
「そんな表面だけの関係は願い下げ、疲れるだけだ」
「まったく。もう少し大人になったらどうですか?理論理屈も結構ですけど、社会に出たらそういうお付き合いって、たくさんあると思いますよ?」
「俺は社会不適合者の幻体だからな。人間社会などシラーヌ・ド・ゾンゼーヌだ」
「なんですかそれ」
「知らぬ存ぜぬのフランス版」
「テキトーな事言わないでください」
「冗談っていうのは、元よりテキトーなものだ。冗談と冗句、それに寝言に関しては、理屈は必ずしも要らないんだよ」
「もう、面白みのない人ですね!」
「ありがとう。最高の褒め言葉だ」
そんな、実があるんだかないんだかわからない会話を続けながら、茶会の時間は過ぎていく。
その日飲んだ紅茶は六杯だった。
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