05.混沌
2063/05/26Mon.(1)
VRから戻ってもう一日以上が過ぎていた。その間ずっと、
「自分は何のためにいるんだろう?」
と陸は病室のベットの上で自問自答していた。自分の世界が虚構で、間もなく消え去るという事実を知ってしまった陸が自身の存在意義を見出すことは土台無理な話であった。ただ、そうした状況にあってもこの世界に未練を感じるのは、咲良の存在が大きかったからだろう。その咲良ともあのような別れ方をして、結局、心の置き場も失くしてしまった。それに加え、あの夢の中で指輪をもらった時の咲良の幸せそうな笑顔を思い出すと、余計に今の自分が惨めに思えた。ただ今となっては、何が現実で、何が虚構で、何が夢なのかは陸の中ではどうでもよくなっていた。その時、陸を現実に引き戻すかのように、ドアをノックする音が静かな病室に響き渡った。
ドアが開く音がした後、陸の正面のカーテンが開いた。そこには40代後半くらいの茶髪で髪の長い男性の看護師が立っていた。
「おはようございます。陸くん、今ちょっといいいかな?」
男性看護師はその容姿からは想像できない優しい口調で陸に話しかけた。
「あー、井上さん、大丈夫ですよ」
それは看護主任の井上だった。井上は夜勤明けだったようで、疲れの色がその表情に現れていた。
井上は「何か元気ないみたいだけど、大丈夫?」
といつもと様子が違う陸を気遣いつつも、
「実はね、一つお願いしたいことがあるんだけど。今週の金曜日まで看護大の学生が実習に来るんだけど、一人、陸くんに付いてもらってもいいかな?」
と続ける。陸のように若くて研修や実習の対象になりそうな入院患者はほとんどいないためこうした依頼は多々あった。井上の頼み対して、気が紛れると判断したのか、陸はあっさりと首を縦に振った。
「良かった、助かるよ。ありがとうね。じゃー記録が終わったら、実習生連れてくるからよろしくね」
井上はそう言い残すと忙しそうな様子で病室を後にした。
井上が出て行った後の病室で、「実習生か・・・」
陸は独り言を呟きながら咲良のことを考えていた。
「何故わざわざVR《こっち》で実習するんだろ?向こうの方が技術は進んでいるのに」
陸の世界のVRの基本コンセプトが近未来ということはあるが、先日見た咲良の携帯端末といい、科学技術の点では明らかに咲良の世界の方が進んでいた。にもかかわらず、わざわざ技術の遅れた世界に来てまで研修する意味が陸には理解できなかった。咲良と会う度、次から次へと湧いてくる疑問。そういった所も陸が咲良に惹かれる一因であった。
「俺ってバカだな。こんなこと考えてもどうしようもないのに」
こういう状況に至っても咲良のことを考えている自分が滑稽に思えた。その時、ドアをノックする音がし、井上が戻ってきた。
「陸くん、お待たせしました。今からいいかな?おーい、入って来て」
井上はそう言って廊下から実習生を招き入れ、
「こちら、患者さんの岩嵜さん、じゃー自己紹介してください」
と自己紹介するよう促した。すると、淡いピンク色のナース服を着た細身の女性が井上の横に立ち、
「実習生の日向と言います。金曜日までよろしくお願いします」
と頭を下げた。そして、顔を上げた瞬間、陸ははっとした。それは咲良だった。普段とは違い髪をアップにして、マスクをしていたので陸も一目では気づかなかった。咲良も声こそ出さなかったものの、驚きを隠せない様子であった。井上は咲良の方を向いて、
「じゃー日向さん、さっき説明したようにバイタルチェックと問診お願いします。陸くんもよろしくね」
と言うとそそくさと病室を出て行った。
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