ミヤの父親トラン 中編

 トランを魔の森の城に案内が終わり、昼食を付き合うことにした。といってもこちらが用意した食べ物を皆で食べるだけのものだが。今回は無理を言って魔の森で獲れる魔獣の肉を使用した料理を作ってもらった。いわゆる魔界風料理だ。シラーの得意な料理でまとめてもらったのだ。


 城のテーブルでもさすがに五十人を座らせることが出来ないので、トランとシュリー、それに僕とシラーの四人に数人のトランの眷属が同席することになった。それ以外のものたちには別室の食堂で食べてもらうことにした。それにしてもこれだけの量をシラー一人でやったとは、信じられないな。


 「さすがにそれは無理ですよ。トラン様の眷属の中に料理人がおりましたから手伝っていただいたんですよ。それにしても、これだけの人数分の魔界料理を作るのは久々で、なんだか懐かしい気分になりました」


 「僕も魔界料理は好きだ。魔素が独特な味を生み出しているのだろうな。久しぶりのシラーの手料理だ。ありがたく味わわせてもらうよ」


 「気に入っていただけると嬉しいのですが。ちなみに蛇肉もいれてありますよ」


 さすが、分かっているな。この辺りの魔界料理で最高の食材と言えば蛇肉だ。あらゆる調理法で最高の存在感を主張するあの肉は一度食べたら、他の肉では心の底から満足することは難しいだろう。この料理ならトランも気に入ってくれるはずだ。


 ……ちょっと待て。なんで僕はトランを歓迎しているんだ? 当たり前のように歓待してしまっているが、本来であれば塩を撒いて追い出してもいいほどだ。いくらミヤの父親と言えども、一度は人類を滅亡させる気満々だったのだからな。とはいえ、ここで機嫌を損ねて再び人類の危機を迎えるわけにはいかないか。


 「トラン。待たせたな。この料理が今、用意できる最高のものだろう。口に合うといいが、とにかく存分に食事をしてくれ」


 「ほお。これはありがたい。こっちの世界でもこのような料理を堪能できるとはな。我が眷属も料理のやり甲斐があると言って喜んでいたな。どれ……これ、旨いな。最高の料理と言ってもいいほどだ。私を歓迎するのにこの料理を選ぶとは、なかなか分かっているではないか」


 それから食事が進んでいく。このなんとも言えない味は何なのだろうか。何度も口にしているはずなのに、その度に全身が震えるような衝撃を味わえる。蛇肉、おそるべし。そして、この料理を作り上げてしまうシラーにも感謝をせねばならないな。


 「シラー、最高の料理だ。この余韻があるうちに撤収したいものだな」


 「ロッシュ君。そんなに露骨に私を避けなくてもいいではないか。私は今、非常に機嫌がいい。君への評価は最初に比べれば、ピポ草から怪力自慢のオーク程度には上がっている。ミヤの関係者でなければ、部下に欲しいほどだ」


 ピポ草? オーク? なんのことだ? シラーに聞いてみると魔界に存在するもののことらしい。ピポ草とはその辺に生えている薬にも毒にもなんの役にも立たないものらしい。いわば無評価、むしろゴミ。オークは魔界でもそれなりに名の通った種族で、オーク隊がある魔王軍はそれなりに恐れられるらしい。怪力自慢のオークはそのオークの中でもとびっきり評価が高いらしい。つまり、良い評価といえるというのだ。


 例えはよく分からなかったが、まぁ評価されて嬉しくないわけではない。ちょっと、胸のうちに喜びが湧きあがってきた。僕がいい気分に浸っていると、トランが大きなため息を漏らした。せっかくの気分を。僕は嫌そうな表情を作って、トランの方に顔を向けた。するとトランはうんざりしたような表情を浮かべていて、ちょっとイラッとした。


 「トラン、どうしたんだ? 何か料理に不満でもあるのか?」


 「料理に文句はない。しかし、この料理に水とは……ちょっと常識を疑ってしまうな。ロッシュ君なら、私が言いたいことは分かってくれるだろ?」


 催促ばかりだな。わざと出さなかったんだ。酒が入ると少し面倒だったから。でも、催促されて出さないとあっては公国が侮られることは必死だ。


 「やれやれ。もしかして、無いのかな? だったら私は失礼なことを言ってしまったようだな。いや、ロッシュ君を立派な王と思っていたのだが、やはり大した国ではないかもな」


 やっぱり言い出したよ。こうなったら、ドワーフが認めた公国の酒に溺れるほど飲ませてくれるわ。


 「まぁ慌てるな。トラン。公国の酒は格別だ。食後に、と思っていたが、食事中に希望とは。やれやれ、料理を楽しもうという気がないようだな。しかたがない、特別に食事中の提供を許してやろう。シラー、済まないが用意してくれ。その間は僕の方で用意しよう」


 「分かりました。それでは急ぎ持ってまいります。でも持ってくる必要はないと思いますが。きっと、ご主人様が持っているお酒で十分満足するかと」


 「そうかもしれないが、魔族はあれがないと満足しないんだろ? だったら飲ませてやるのが親切というものだろう」


 「ふふっ。相手がどんな方でもお優しんですね。わかりました。すぐに持ってまいります」


 そういって、シラーは食堂から出ていった。


 「トラン。シラーに酒を持ってきてもらうが、その前に我が国の酒を飲んでもらおうか。ただ、トランに酒の味が分かるか怪しいが……大した味覚もないのに評価されても困るからな」


 「誰に物を言っているんだ。これでも魔王として、魔界のありとあらゆるものを食し、飲んできておるわ。私に正当な評価が出来ずして、誰が出来るというのだ。いいから、その酒を出すがよい。私が直々に飲み、評価を下してやるわ」


 よし。これならば嫌味を言われることはないだろう。僕はウイスキーを取り出し、飲ませた。本当は酒精の弱いものからと思ったが、酒は公国の歴史でもある。公国で誕生した順番でいいだろう。


 「これは……香りは然程無いな。色は淡い黄金色。美しい酒だな。どれ……おお、これは喉に響くような味だな。鼻に抜ける香りは……素晴らしい。このような酒は魔界では味わったことがない。是非とも樽でもらいたいくらいだ。しかし、ロッシュ君大丈夫なのかね? いきなり最高のものを出しては、その後のものがより色あせてしまうのではないか?」


 うむ。やはりウイスキーの評価は上々だな。これを気に入らなければ、これからの酒の味を語る資格はない。とりあえず、ウイスキーは一杯だけにして次は米の酒だ。


 「次のは無色透明。透き通っていて濁りがない綺麗な酒だ。香りは……うむ。穀物の香りか? 実に芳醇だ。ほのかに甘さすら感じる。さて、味は……なるほど、これは良い。酒精は然程強くはないが、それでも喉越しの感触が実に良い。いつまでも飲んでいたいとさえ思えてくる」


 米の酒も気に入ったようだ。さて、次は……と思っているとシュリーがこちらを物欲しそうに睨んでいた。すっかり忘れていたが、彼女もいたんだな。僕は、女性向けに果実酒を出すことにした。ワインがいいだろう。グラスに真っ赤なワインを注ぎ、彼女に差し出した。


 「これはブドウという果実から作られたワインという酒だ。酒精は然程ではないが、飲みやすいと思うぞ」


 「それは楽しみですね。んん? これは……なんて素敵な味なんでしょうか。果実の甘味と香りがあるにも拘わらず、酒精がそれを邪魔をしない。いいえ、むしろ際立たせてくれますわ。食事の際に、いつも側に樽ごと置いておきたいお酒ですね」


 吸血鬼はとりあえず酒は樽なんだな。さすがはドワーフと双璧を成すほどの酒豪の種族だな。おお? トランが物欲しそうにシュリーが飲んでいるワインを見つめているな。


 「トラン。実はそのワインをさらに手を加えた酒があるのだ。飲むか?」


 「何!? ワインの更に上があるというのか。是非、欲しいものだ」


 嫌味を言うことすら忘れているようだ。僕はブランデーを取り出し、グラスに移していく。だが、その前に比較のためにワインも差し出した。


 「これがブランデーというものか。ワインとは似ても似つかない。本当に同じ酒なのか。まずはワインを……なるほどシュリーの言う通りだ。素晴らしいな。しかし、これほど旨い酒のさらに上となるとワクワクしてくるな。それでは早速……おお、おお!! これは凄いな。芳醇な香りが口に広がり、それでいてウイスキーのように喉を焼けつけるような感覚を味わわせてくれる。すごいな。こんなものが人間界には存在するのか。人間界に住むのも悪くないかもしれないな」


 最後の言葉は聞かなかったことにしよう。とにかく公国の酒が評価されたことはトランであっても嬉しいものだな。しかし、僕は失敗してしまった。ブランデーを出した時に最後だと言っておくべきだった。次を楽しみにするように催促してくる。


 「ロッシュ君。私は非常に楽しい気分だ。これほどの気分は久しくないほどだ。本当に感謝している。さて、次の酒が楽しみだな。そのカバンから出してくれるんだろ? 不思議なカバンだが、酒が大量に入っているのかな? そんなカバンなら私も欲しいくらいだ」


 僕は何も言えずに、時間ばかりが経過していく。最初は残っていた酒があったため、トランも喜んでいたが酒がなくなり始めるとやや機嫌が悪くなり始めてきた。


 「ロッシュ君。私は酒を飲みだしたら満足するまで飲み続ける主義なのだ。どうやら酒が無くなりそうだが、追加はないのかな? できれば、そろそろ新作を飲みたいのだが。もしや、酒がないとは言わないだろうね?」


 やや怒気を含んだような口調が僕に容赦なく降り注いでくる。酒はカバンの中に大量にあるのだが、新作というのは残念ながらないのだ。とりあえず、ウイスキーあたりを出して気を紛らわすか? 調子が良かったのに、詰めが甘かったな。終いにはトランは隠す気もないほど大きなため息を付いた。


 「ロッシュ君……」


 この沈黙はちょっと嫌だな。そう思っていると、ようやく助け舟がやってきた。シラーが大きな樽を食堂に持ち込んできたのだ。かなり息を上がらせているところを見ると急いでやってきてくれたことが分かる。シラーの乱入で、トランの怒りは収まり、やってきた樽に釘付けだ。ここがチャンスだ。


 「トラン。これが締めの酒だ。魔族ならばこの酒を飲まなければ満足はしないだろう?」


 「何を言って……まさか。いや、そんなはずは。しかし、このかすかに漂う匂いは……間違いない魔酒だ。は、早く持ってきてくれ」


 シラーは樽にコップを直接突っ込み、酒をコップから滴らせながらトランのもとに運んでいく。やや無作法な気もするが、トランは気にする様子はない。もしかしたら魔界では正式なやり方なのだろうか? トランはコップを持つやいなや、香りを嗅ぐまでもなく、ぐいっと飲み干した。


 「おお、なんと旨い魔酒なんだ。これほどのものは魔界でもなかなかお目にかかれないぞ。なるほど。これか!! ドワーフの心を打ったものは。そうでなければ、人間に手を貸すわけがない。しかし、気持ちが分からんでもない。この味ならば、酒に命を捧げるものならば、誰だって服従してしまうだろう」


 トランは急に立ち上がり、僕に頭を下げてきた。


 「今までの非礼を詫びよう。ロッシュ君。君の国は素晴らしいの一言だ。これほどの酒を作れるのだ。すべてがこの一点に凝縮されている。私は君を偉大な王として今後は接しようと思う。それで私から一献受けてくれないか?」


 その言葉にトランの眷属はやや驚いたような声を上げていた。これは一体どういうことだ? シラーが言うには元とはいえ魔王から直々に盃を受けることは、同格であることを認めたと等しく、大変名誉なことらしい。なるほど。トランはそこまで僕を評価してくれたのか。それならば盃を受けてやらねばならないだろう。


 「ロッシュ君。今日はとことん飲もうではないか」


 僕はその言葉を聞いた瞬間、逃げるべきだった。

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