生存の報告

 ミヤは身籠ったことを知ってから、ずっと上機嫌だ。毎日のように浴びるように飲んでいた魔酒も封印して、シラーも巻き込まれて、泣く泣く断酒を決意していた。シェラが美味しそうに晩酌をしている姿をシラーが羨ましそうに眺めている姿もすっかり見慣れたものだ。


 あれから、僕とシラーとで城郭都市からサノケッソの街にかけての河川に護岸工事を施し、広大な水田地帯を作っていった。水路の整備を行ったが、水不足が懸念された。この地域だけでも二十万人近い人が居住し、そのほとんどが農業に従事することを考えると、農地も相当な面積を用意しなければならない。もちろん、僕が手伝えるのは堤防を設置するくらいだ。水田はその副産物にすぎない。


 ただ、水不足だけは解消しておこう。村で作ったように上流域に貯水池を作っておくことで解消することができるのだ。水田で米を作っている間は、貯水池の水を利用し、それ以外の時期は上水道として利用することができる。水を大量に使う公衆浴場の設置が簡単に出来るようになる。


 これがこの地に残された最後の仕事になるだろうな。ミヤの体調は未だ問題はないようだが、早く村に戻ったほうがいいだろう。僕は急ぎ気味で仕事をこなしていた。シラーにも付き合ってもらって申し訳ないな。僕がそれを言うと、シラーはいつも笑っていた。


 「気になさらないでください。私もミヤ様の体が心配ですけど、この仕事も必要にしているロッシュ様の気持ちも分かっているつもりですから。早く終わらせて村に帰りましょう。それにここ最近、魔力が高まっているのを感じるんです。限界かもって思っていたんですけど、それが楽しかったりもするんですよ」


 シラーの笑顔に本当に助けられる。貯水池の設置のために川を遡って、山へと登っていった。ここから望む景色は絶景だ。山々が連なっており、未だ山頂には雪が残っているが、裾の方の雪が溶け春を感じさせる風景が広がっているのがよく分かる。


 僕達は貯水池の設置を急いだ。窪地を見つけ、低くなっている場所に石材で塞いでいく。隙間には細かい砂で埋めていく。今回は、村で作ったものよりも遥かに大きな容量が必要だ。なにせ、村は二千人しか住んでいないからね。一つの貯水池で賄うことも可能だろう。そのための場所も見つけているのだ。しかし、僕は仕事が増えるが複数に分散することにした。シラーが疑問の思ったようで聞いてきた。


 「たしかに貯水池が一つだけの方が作るのは簡単だ。ただ、貯水池を作る時に気をつけなければいけないのはどれだけ決壊しないかを考えないといけないんだ。貯水池を一つにすると、その分、水の貯水量が増えてしまう。そうすると、どうしても壁に掛かる水の圧力が高まってしまって、決壊する可能性が高くなってしまうんだ」


 貯水池は人が住む地域の上に位置するものだ。決壊すれば、当然大量の水が地域に流れ込んでしまう。河川の決壊による洪水よりひどい惨状となるだろう。シラーは、感心したような声を上げて納得してくれた。まずは一箇所だ。後数箇所も作って水路で結べば、水不足は解消するだろう。


 村で一度作っているおかげで、要領がわかるので仕事が早く済んで良かった。最後の候補地を探して、山道を歩いていると、下から息を切らせながらハトリがやってきた。そういえば、朝から姿を見なかったが、山を下っていたのか。僕は一旦、歩くのを止めてハトリがやってくるのを待った。


 「はぁはぁ。ロッシュ殿。急ぎの報告があります。北部諸侯連合の領主達の家族が王都よりこちらに向かっているという情報が入ってきました」


 僕はハトリが何を言っているのか分からなかった。確か、北部諸侯連合の領主達の家族と言えば、王国で処刑されたと聞かされていたが。何か、裏があるのか? ただ、見過ごすわけにはいかない。詳細は後で聞くことにして、保護に動き出さなければ。ハトリに家族の位置と向かっている先を聞き出すと南の砦に向け、行動をしているというのだ。しかも、かなり近い。そうなると、ライルに保護を命じなければ。命令が遅れれば、ライルが勘違いをして攻撃をしてしまうかもしれない。


 「ハトリ。詳細は後で聞くことにしよう。しかし、事は急ぐ。フェンリルのロンロの乗ったハトリが一番早いだろう。ライルへの命令を頼めないか?」


 もちろんです、と強く頷いたので、すぐに手紙を書き、ハトリに手渡した。ハトリは、僕に一礼をしてすぐに下山していった。しかし、どういうことなのだ。違う家族を勘違いしているということはないだろうか? いや、報告は忍びのものからだろうから、そんな手違いがあるはずがない。


 とにかく、ロイドたちに話をしなければな。正直、王国の工作の疑いが抜けきれない以上、喜べないがロイドたちはきっと喜ぶだろうな。そんな事を想像したら、僕まで嬉しくなってきて、工作があれば崩してしまえばいいんだ、と思うようになった。とにかく、この吉報を早く教えてやらなければ。


 最後の仕事を手早く終わらせ、水路を山の麓まで繋ぎ終える頃には夕方となっていた。僕達はすぐに元北部諸侯連合の公爵領都を目指して移動を開始した。ミヤは走って行こうとしていたが、僕が体に障るといけないからとハヤブサを説得して背中に乗ってもらうことにした。


 ハヤブサはやはり早い。領都までの30キロメートルの距離を一時間もしないで着いてしまった。すでに領都で調査活動をしているゴードンに会うことにした。今は領主の屋敷で寝泊まりしていると言うので向かった。


 「ロッシュ公。どうなされたのですか? 急な来訪とは。もしかして、何か問題でも?」


 「いや、そうではないのだ。僕も不確かな情報で振り回すのは些か心が痛いが、もしかしたら北部諸侯連合の領主の家族が存命で、公国に向かっているという報告があったのだ」


 「可能性でも、朗報ではないですか。まずは、ロイドさん達を呼び出しましょう。すでに夕方ですから仕事も終わっていることでしょう。しかし、そのような報告が来るとは、やはりロッシュ公は神に好かれているとしか思えませんな」


 神と言えば、シェラだが。好かれていると言えば、好かれているのかも知れないな。それでも、今回は関係ないだろう。シェラは今頃、サノケッソの街で一人晩餐を楽しんでいることだろう。僕は、ロイド達を待っている間に、ゴードンの調査報告を聞くことにした。


 「いやはや、ここは宝のような場所ですぞ。どうやら、北部諸侯連合にしたことで全ての領地から資料がここに集まっているようですな。未整理な物が散見されますが、それでも内容は役に立つものばかりです。最も役に立つのは、住民の台帳ですかな。四十万人以上の台帳がひとまとめにされていますからな。これは、移住してきた者たちの台帳作りに大いに役に立つことでしょう」


 ほお、それほどのものがここにあったとは。しかし、ゴードンの喜び様は尋常ではないな。こういう書類仕事が実は好きなのではないだろうか。さらに、ゴードンからの報告は続いた。


 「台帳もさることならが、面白いものがあったのです。領地から産出される作物や鉱物、木材などの数値と領土外から運ぶ込まれる物資の数値が記載されたものがあったのです。それと、価格表です。すべての物価が記載されていたのです。これらを参考に公国内での物価を決めれば、通貨が流通した際に混乱が少なく住むことでしょう」


 なるほど。それは素晴らしいものだ。物価というのは、決めるのが難しい。もちろん、商人が多く、競争が発生すれば価格というのは適正になっていくものだ。しかし、公国では商人が極端に少ない。公国が全てに関わっているからだ。参考となる物価の目安があれば、適正価格を最初から決めやすいということになる。もっとも、産出される資源によっては、価格を調整しなければならないが。


 これで通貨の流通に向け、大きく前進することが出来たな。


 「それにしても、ゴードン。こんな屋敷で寝起きしていたら、村に戻っても満足できないのではないか? ベッドなど凄いのだろ?」


 「本当に凄いですぞ。贅の限りを尽くしたという寝室がありますからな。私も一晩をそこで寝ようとしたのですが、どうも寝付けなかったので、結局執務室に布団を敷いて寝ております。やはり、布団は硬いほうがいいですな」


 「そうか……」


 公国内ではゴードンは有力な人物になったのだが、贅沢をできる体質ではないのだな。僕はゴードンへの褒美に豪華な屋敷を考えていたが、ゴードンは喜びそうにないな。僕は、頭を悩ますことになった。しばらくすると、ロイドたちが集まりだしてきた。領主は八人いるが、その八人が揃ったのは随分と遅くなってからのことだった。

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