侯爵家の屋敷にて 後編

 僕達は侯爵の提案を受けて、侯爵家付き執事の案内で談話室に向かうことになった。ロドリ伯爵がいつの間にかいなくなっていた。何か急用でもあったのだろうか。談話室は食堂から近い場所にあった。先程より狭く、人数が入ると窮屈な場所だ。ソファーも人数分ないため、立っている者もいるくらいだ。僕達は侯爵の到着をずっと待っていた。


 「伯爵。侯爵はいつ見えるのだ? 僕達は早く話を済ませて帰らせてもらいたいのだ」


 伯爵は一切動じることなく、しばし待たれよ、と静かにしている。やけに落ち着いている伯爵の姿を見て、何やら不安に感じる。僕はガムドに領内に散っている者達の参集状況を確認した。


 「それが不思議なのですが、連絡が一切入らなくなりまして、状況が分かりません。時間的にはすでに完了して報告が来ているはずなのですが」


 すると、ハトリが再び僕の股ぐらから顔を出してきた。そこしかないのか? もうちょっと出てくる場所を考えてくれてもいいだろうに。僕がそんなことを考えていたが、ハトリは少し焦ったような表情をしていた。


 「ロッシュ殿。まずいです。この屋敷は大勢の兵に取り囲まれております。脱出は困難かと思いますが、なんとか屋敷に潜んでいる里の者たちで時間を稼ぎます。早く脱出の用意を!!」


 僕はハトリの報告を聞いて、立ち上がらざるを得なかった。


 「伯爵!! 僕達を謀ったな!!」


 「ほお、気づいたか。田舎者の辺境伯のくせにやるではないか。少しは褒めてやっても良い。侯爵殿下の素晴らしい采配によってこのお屋敷には精兵五千人が取り囲んでいる。ネズミ一匹出入りできる隙はないぞ。侯爵殿下!!」


 伯爵がそう叫ぶと侯爵がのっそりと部屋に入り、伯爵が座っていたソファーに腰掛けた。


 「さて、辺境伯。お前がしたがっていた話をしようではないか。そうだな、その前にさっきの酒はもうないのか? ないじゃと⁉ まぁ、いずれは儂の領土になるんだ。焦ることはなかろう。さて、お前には王弟殿下より命を取ってくるように命じられている。まずは死んでもらおうか」


 しかし、誰も襲い掛かってくる様子はない。僕は立ち上がり、このような場所には一秒でもいたくはない。すぐに身を翻し、部屋から出るように一歩を踏み出す。


 「いいのか? 辺境伯。この部屋を出れば、ここにいる全員の命を奪うことになるのだぞ。知っていると思うが王国軍がこの屋敷に向かってやってきている。遅かれ早かれ、お前たちは死ぬ。だが、今回、お前が命を断てば、ここにいる全員は見逃してやってもいい。儂はこの屋敷を血で汚したくないのでな」


 僕は歩くのを止め、再び侯爵の方を振り向く。


 「侯爵の好意は有難く受けておこう。だから、ここではお前の命を奪おうとは思わない。しかし、次に相まみえた時は覚悟しておくんだな」


 そういって、僕達は部屋を静かに出て、屋敷の玄関の方に向かっていった。ここにいるのは僕、ミヤ、ガムド、グルド、サリル、そして護衛役の兵が四人。それに対して相手は五千人。とても生き残ってここを去るのは不可能だ。しかし、僕は生き残らなければならない。僕にはまだ使命を果たせていないのだ。僕は皆の方を振り向いた。


 「このドアを開ければ、否応なく戦闘が開始されるだろう。皆にはここを生きて出てもらわなければならない。君たちにはやってもらいたいことが山ほどあるからな。幸い、僕には魔法がある。これで相手を牽制する。その隙に脱出をして欲しい。異論はあるだろう。しかし、これは命令だ」


 僕がそう言うと、皆は一様に言いたそうな言葉を飲み込んで悲痛な顔で僕の顔を見つめていた。うん、それでいい。今は言い争いをしている時間はないのだ。そして、僕は虚空を見つめ、ハトリを呼んだ。すると、目の間にハトリが現れた。


 「ハトリ。君にはガムド達の護衛に回って欲しい。里のものもいるのだろ? ガムドを支え、なんとか逃してやってくれ。この報酬は里に大きな形で返させてもらう。すまないが、僕に命を預けてくれ。それから……」


 「は、はっ。命に代えましても、その命令を忠実に実行させていただきます。ロッシュ殿もご武運を」


 僕は頷き、最後にミヤの方を向いた。


 「そして、ミヤ。君には僕の側を離れないで援護して欲しい。ミヤがいれば、何とかなる気がするんだ」


 「ふふっ。当り前でしょ。私はずっとロッシュの側にいて貴方を守ってみせるわ。それに相手は人間でしょ。遅れを取ることなんてないわ」


 それは頼もしいな。もっともミヤの言っていることは間違っていない。一対一ならばミヤに勝てるものなどいない。しかし、今回は僕を守りながら戦うのだ。劣勢を強いられるのは必須だろう。さて、後は僕の覚悟だ。僕はずっと魔法で人の命を奪うのを躊躇していた。しかし、今回だけは皆の命を救うために、それを破らねばならないだろう。すると、ミヤが僕の肩に優しく触れてきた。


 「いいのよ。ロッシュは無理をしなくても。貴方が出来ないことを私がやれば済むだけなんだから。だから、自分の命を守ることだけを今は考えて」


 僕は静かに頷いた。僕達が相談をしていると、未だに諦めきれないのか、侯爵が後ろからやってきて、酒はないのかと催促してきた。こいつは人の生き死にをどうとも思っていないのだ。本当に最低な奴だ。こんな奴の話を聞く必要はないな。


 僕は皆の目を見て、頷いた。これが今生の別れとは思っていない。必ず、生きてこの場を逃げ切るのだ。僕は勢い良くドアを開けた。目の前には大勢の兵がひしめきあっていた。ガットン伯爵の言うことはひとつだけ正しかったな。確かにネズミ一匹這い出る隙間はなさそうだ。


 僕は広範囲に風圧を強めた空気の塊が出るように風魔法を使った。周囲から僕の周りに風が集まりだし、僕の手から強烈な風が前方に吹き抜けていった。その風によって、前面の兵たちは体が一瞬だけ宙に浮き、後方に吹き飛ばされた。その吹き飛ばされた兵に押し倒される兵も多数出て、前面は大きく崩れた。


 「今だ!! 突き進め」


 僕が命ずると、ガムドたちが戦闘となって目の前を剣で切りつけながら切り抜けていく。その中でもガムドとグルドの対人戦闘の巧みさは異常だ。敵の武器を奪いとり、その敵を切り捨てていく。まるでそれは演舞のように美しいのだ。僕もやってみたいものだな。そんなことを考えている間も空気の塊を前方に打ち込んでいく。


 空気の塊に抗えるものなどいない。当たったものは尽く吹き飛ばされていく。僕達の集団はなんとか敵の中腹まで辿り着いたが、いくら敵を倒しても相手は全く怯むことはない。徐々に僕達は追い詰められていく。終いには、僕とミヤだけが取り残され、ガムド達と離れてしまった。その距離は遠くないのだが、その距離を埋めることが出来ない。


 とにかく僕は自分の身を守るために風魔法を使う。そろそろ魔力が心許ない。魔力回復薬を飲みたいところだが、その隙がない。ミヤは目の前に現われる兵たちを相手に手を動かしているが、苦戦しているような様子だ。やはり僕を守りながらでは十分に力を発揮できないのだろう。


 向こうのガムド達も苦戦している様子だ。あのままでは……。そう思っていると、なにやら向こう側で変化があった。ガムドの周辺にいる何人かの兵たちが同士討ちを始めたのだ。その中にハトリがいるのを見て、それがどうやら忍びの里の者たちだと分かった。これで少しは持ちこたえそうだが、やはり劣勢であることに変わりはなさそうだ。


 くそっ。僕の魔力が底を尽きそうだ。このままでは……。すると大きな僕達の進行方向、敵達の外側に大きな変化があった。見たことのない旗が風になびいているのが見えた。その者たちが味方か敵か分からなかったが、その変化によって、敵に動揺が見られた。これを逃すわけにはいかない。


 僕はありったけの魔力で魔法を使い、ガムド達との合流を図った。その時だ。屋敷の方から大声が聞こえてきた。侯爵の声だ。こんな喧騒の中、よく通る声をしている。さすがは戦場で名を上げたものなのだな。


 「辺境伯の首を取れば、我らは王国から食料をもらうことができて、救われるのだぞ。皆、奮戦してはやく首を取るのだ!!」


 侯爵の声に励まされたのか、敵達はすぐに立て直し、僕とミヤを追い詰めていく。僕達とガムドたちの間には更に大きな開きが出来て、向こうの状況が全くわからなくなってしまった。しかも、僕の魔力もついに尽きてしまった。回復薬が飲めれば……。あとはミヤの奮迅に期待するのみか。僕がミヤの顔を見ると、すこし笑っていたのだ。


 「やっと、着いたのね。ロッシュ。もう大丈夫よ。私達はこの臭い集団の中から抜け出すことが出来るわ。早く、お風呂に入りたいものね」


 僕にはミヤが何を言っているのかわからなかったが、直後に理解することが出来た。なんと、遠くの敵が盛大に吹き飛び始めたのだ。その吹き飛ばされていく場所が徐々にこちらに近付いてきた。ついにその姿を見た。シラーを筆頭にミヤの眷属達がいたのだ。眷属達は僕達を囲み、寄る敵たちを尽く吹き飛ばしていく。シラーは敵と戦いながらも余裕の表情でミヤに話しかけていた。


 「ミヤ様。遅くなりました。ご無事だったでしょうか」


 「誰に言っているの? こんな人間ごときに傷をつけられるわけが無いでしょ。まったく、もうちょっと遅かったらロッシュに傷がつく頃だったわ。まぁ、そんなことがあったら、こんな人数、私一人で地獄を見せてやるところだったわ」


 ミヤがなにやら物騒なことを言っているが、こういう状況では頼もしいな。眷属達が合流してからは、形勢は大きく変わり、僕達は難なく脱出することが出来た。すぐに僕達は侯爵家の領都から脱出した。


 遠くから侯爵の声の叫び声が聞こえた気がした。

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