エリスの出産 

 僕は無我夢中で村へと向かっていった。最速最短で、魔の森を突き抜け、迫りくる魔獣をハヤブサが高い跳躍で回避しながら進んでいく。村からラエルの街まで30キロメートルほどあるのだが、三十分ほどで着いてしまった。夢中でハヤブサにしがみついていたせいだろう、平衡感覚を失い、ハヤブサから降りると足を滑らせ尻もちをついてしまった。僕はなんとか立ち上がり、ヨロヨロとした足取りで屋敷の玄関に立った。


 久しぶりの我が家だ。何も変わった様子がなさそうだ。エリスの報告を聞いてから、頭の中で最悪なことばかりを考えしまう。なかなかドアを開けられないでいると、向こうからドアが勝手に開いたのだ。僕の目の前にいたのは、マグ姉だった。


 「ロッシュ。帰ったのね。おかえりなさい」


 そういって、マグ姉は僕に抱きついてきた。懐かしい匂いがして、僕はマグ姉を強く抱きしめた。一瞬だがエリスのことを忘れてしまっていた。そうだ、エリスは⁉ 僕は、きっと悲壮な顔を浮かべているのだろうな。マグ姉にエリスのことを聞きたいけど、声がなかなか出てこない。僕があうあう言っているっと、マグ姉が僕の手を掴み、屋敷の中に引っ張っていった。僕は力が抜け、マグ姉の引っ張ることに任せて付いて行った。着いた場所はエリスの私室だ。マグ姉は僕の方を向いて言った。


 「行ってきなさい」


 どういう意味なのだろうか? マグ姉の表情からは何も読み取ることが出来ない。いや、僕の考える力がないだけかも知れない。とにかく、このドアを開けなければ。僕は一呼吸して、ドアに手をかけた。音もなく、ドアがゆっくりと開いた。エリスの部屋は、この屋敷では一番日当たりのいい場所だ。部屋の光が僕の目の中に入ってきた。一瞬だが、眩しさに目が眩んでしまった。次の瞬間、僕の目に入った光景は忘れることはないだろう。


 ベッドに横たるエリス。その胸の中には赤ん坊がすやすやと寝ていたのだ。そして、ベッドの隣の椅子にはクレイが座っていて、その腕にも赤ん坊が。僕が呆然と立ち尽くしているとマグ姉が後ろから声をかけてきた。


 「ロッシュ。間に合わなく残念だったわね。元気な赤ちゃんが産まれたのよ。それも双子よ。男の子と女の子よ。エリス、すごく頑張ったのよ。褒めてあげなさいね」


 僕は一歩、足を進めるがなぜか涙が出て、上手く進めない。ヨロヨロとした足取りでベッド脇に立ち、エリスの髪を撫でた。それに気づいたのか、エリスは薄目を開けて僕に微笑んだ。


 「ロッシュ様。おかえりなさい。二人分の名前を決めないといけなくなっちゃいましたね」


 僕はエリスに、頑張ったな、と褒めるとエリスは疲れているのか再び目を閉じた。エリスが起きているのか寝ているのか分からないが、赤ん坊を落とすようなことはなくしっかりと抱きしめている。赤ん坊も安心しているのか、穏やかな顔で眠っていた。僕も抱いてみたい。強烈な衝動にかられ、手を伸ばすとマグ姉に腕を掴まれた。な、何をするんだ!! 心の中で叫びながら、マグ姉に抗議の視線を送った。


 「ロッシュ。自分の姿を見てみなさいよ。ホコリまみれじゃない。そんな汚れた姿で子供を抱く気だったの? 気持ちは分かるけど、少しは冷静になりなさいよ」


 僕は自分の姿を見る。なるほど、たしかにホコリまみれだ。僕の姿と赤ん坊を交互に見てから、素直に部屋を後にした。風呂に入る時間が勿体無い。水を全身に浴び、汚れを落とした後、きれいな服に着替えて出直してきた。僕は生まれたばかりの子を抱き上げ、小さな手を見つめ、将来のことをふと想像した。僕はその子をマグ姉に預け、もう一人の子をクレイと抱くのを変わってもらった。


 なるほど。双子と言うだけあってそっくりなものだな。エリスの特徴である犬のような耳がついている。若干体毛が濃いような気もするが、クレイが言うのに、大人になるにつれ、薄くなっていくらしい。そうだったのか。男の子は黒髪で、女の子は栗色の髪だ。僕とエリスの特徴がはっきりと別れたようだ。目はどうだろう。ダメだ。眠っているせいで見ることが出来ない。尻尾は二人ともあるようだ。


 僕が抱いている子を再びクレイに戻し、僕は近くの椅子に座った。どっと、疲れが出てしまったのだ。そして、ラエルの街で報告をしてきた者へ少なくない怒りが湧いていたのだ。なにゆえ、あのような報告をしたのだ。僕がその話をマグ姉に愚痴ると、少し困ったような表情になった。


 なんてことはない、僕に報告をしてきたものは速報を知らなかっただけなのだ。エリスの容態が急変したのは事実だ。だって、予定より早く産気づいてしまったのだから。しかも、急だったものだから大変な騒ぎになったらしい。それでも、無事に出産できたので、続報を出そうとしたら僕が屋敷に戻ってきたらしい。


 報告をくれた者、済まなかった。


 すると、ドアが静かに開いた。と思ったら子供用のベッドが運び込まれてきた。運んでいるのは、お腹を大きくしたリード。リードも出産が近付いてきているというのに無理をして。ちなみ、リードの予定はあと二、三月くらい先だ。エリスと出産のタイミングは同じくらいだと思うが、エルフは亜人に比べると妊娠期が長いようなのだ。


 エリスに横付けされたベッドに、赤ちゃんが移された。一瞬、泣きそうになったが再びスヤスヤと眠りだした。リードはそれを見て頷いてから、部屋を出ていった。おそらく、もう一人のためにベッドを持ってくるはずだ。僕が手伝わなければ。僕もリードの後を追いかけ、家具工房に向かった。そこで初めて、リードは僕の存在に気づいたのだ。


 「ロ、ロッシュ殿。おかえりでしたか。気付かずに申し訳ありませんでした。エリスさん用にベッドを一台しか用意していなかったですから、動揺してしまってたんです。もう一台は私の子供用のがありますから、これを持っていきます」


 そういって、指差した先にベッドが置かれていた。僕はそのベッドをエリスの寝室に運び、赤ん坊を横たえた。とりあえず、これで一安心だな。クレイは今まで抱っこしていたので、離れて少し寂しそう顔をしていたのだった。マグ姉は、ベッドで寝ている赤ん坊の寝顔をずっと見つめているのだった。


 僕は、部屋を離れ居間に向かった。エリスの出産を知ってから、怒涛の連続でどうも頭の中が整理できなくなったのだ。自分でコーヒーを淹れ、一口啜ってから一息つく。ああ、僕はこの世界で父親になったんだな。そう思った途端に、現実味が徐々に帯び始め、名前を決めなければという思いで頭が一杯になった。


 決めたぞ。男の子をホムデュム、女の子をサヤサとしよう。考えている時はいまいちと思っていたが、なかなかいいではないか。決まれば、紙とインクが必要だな。命名式だ。僕は元マリーヌの部屋に入り、紙とインクを探し出した。そこで、ふと本が目に止まり覗くと、様々な絵と文字が描かれていた。どうやら、マリーヌが書いていた子供向けの本だな。


 ふむふむ。ん? んん? どうも内容がおかしいぞ。描かれているのは成人の男性が二人だな。それがなぜ……これは、ダメだな。子供向けではない。まさか、マリーヌにこんな趣味があったとは。とりあえず、どこかに隠しておいてマリーヌに取りに来させたほうがいいだろう。僕は本を隠し、紙とインクを持って居間に戻った。そこには、マグ姉とリードがお茶を飲んで寛いでいたのだ。


 僕が手にしている紙とインクを何に使うのか興味津々といった様子だったが、名前は公開するまでは秘密だ。僕は居間に向かう足を変え、自室に引きこもった。満足のいく字が書けたのは、それからシェラ達が屋敷に到着するまで要したのだった。

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