歩道橋

fktack

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新しい職場に来てもうすぐ2年が経つ。そこは新設された工場で、私はそこの現場監督として赴任した。国道17号線沿いにあって上空を覆い被さるように首都高が走っている。そばに大きな歩道橋がかかっていて私は毎朝そこを渡って通っている。工場側がS区の4丁目で、向こう側が5丁目だ。

1年目は車で通ったが、今は電車で通勤している。車は今年の夏にエンジンに穴が開いて水が漏れ、構わず走っていたらそのまま壊れてしまった。ずっと痰がからんだような音がボンネットからしていた。修理費用の見積もりをとったら20万かかるというので、そのまま廃車にした。中古の白いトヨタ車で7年乗った。

電車に乗ると工場まで2時間かかったが、途中で寝たりできるので体の負担は減った。眠くないときは環さんにLINEで愚痴を言った。環さんは工場がオープンしたときに採用したパートだ。

「今日も課長に怒られました。今月で仕事やめます」

「それは残念です。せめてS区の名産のメロンを食べてからにしてみては?」

「メロンは夕張市だけだと思ってました」

「S区のメロンは有名です。福園さんはお仕事ばかりだから知らないかもですが」

「じゃあS区も財政は相当きびしい?」

「何を言ってるんです。S区はとてもお金持ちで各家庭に純金の柿の種が配られてますよ」

「メロンじゃないんだ(笑)」

「メロンは高いから(怒)」

(怒っているスタンプ)

環さんとのやりとりに私は癒されたが、いつでも好きなときにできるというわけではなかった。彼女にも家庭があるのだ。私が帰るのは9時とか10時だから、洗い物とかお風呂に取り組んでいるのだろう。ドラマを見ているかもしれない。返信がこないとき、私は電車内をぼんやり眺めて過ごした。中吊り広告が昔より減った気がする。同乗する人が年下ばかりになった。中学生がスーツを着ているように見える。私は9月で40歳になった。以前電車で通勤していたのは10年前で、そのときは高田馬場まで通っていた。年下の上司に毎日いびられていた。その人は小さい「っ」を大きく発音する人で、例えば「なてます」というのを「なてます」と言った。わざとだった。「のだめカンタービレ」が好きでよくクラシックを聞いていた。ユニセックスぶっていたが腕毛がどうしようもなく濃かった。私は仕事のミスをねちねち言われた後、よくトイレに行くふりをして会社を抜け出し、神田川の川面を眺めていた。そのときは愚痴を言う相手がいなかったのだ。


「すみません。返事遅れました」

「大丈夫です。すみません、なんて言われるとこっちも悪いと思っちゃうから気にしないで」

「でも、福園さんを電車内でぼんやりさせちゃうの忍びなくて」

「大きなお世話です(笑)」

「ゲームとかしないんですか?」

「だいたいすぐ飽きちゃいます。ドラクエウォークもダウンロードはしたけれど」

「うちの子もやってましたよ。最近やたらと遠回りして帰ってくる」

「足腰が丈夫になっていいと思います」

(「なんじゃそりゃ」のスタンプ)

「本とか読まないんですか?」

「たまに読みます。今ちょうど自分の小説を読んでいたところ」


高田馬場を鬱になってやめた後、私は自宅療養しながら小説を書いていた。元々高校時代に書いていたことがあって、そのときは仲の良い友人や教師に読んでもらっていた。


(「びっくり」のスタンプ)

「自分の、て自分で書いたってことですか?」

「はい」

「作家さんだったんですか?」

「いや、書いたことがあるってだけです」

「そうなんだ」

「一度芥川賞の候補になったこともあるのですよ」

「芥川賞ってなんですか?」


小説を書くとブログに投稿し、Twitterで宣伝をした。同じような人が集まり、お互いの作品を読んで感想を言い合った。私の小説は「重厚」とか「緻密」と言われた。今思えばやたらと長ったらしいのをそう表現しただけかもしれない。ぜひ読んでみたいと環さんは言った。


「読めるんですね? 芥川賞候補(笑)」

「芥川賞はウソです。ていうか芥川賞知ってるだろ?」


私はそのときちょうど読んでいた「十字路」を、自分のブログに公開することにした。ただし読んでいて退屈な部分もあったので、3分の1くらい削った。ちょっとだけ待ってと言うと「怖じ気づいたんですか?」とからかわれた。「環さんにわかるよう難しい漢字を直してるんです」と言い返したが、返信はつかなかった。

「十字路」は私が大学を卒業したころを舞台にした話だった。バイトを3つかけ持ちしていて、その中の塾のアルバイトで出会った女性との恋愛の話だ。私は大学を卒業してから2年ほどぶらぶらしていた。環さんは普段は本を読まないと言うから、原稿用紙10枚程度で区切った。20話近くになった。小出しにして反応を見たが、公開した翌日には「次お願いします」と催促してきた。


「本当に読んでますか?」

「読んでます。お台場ドライブ行きたい!」

「夜は何もないけどね」

「観覧車乗りたい」

「観覧車は動いてないです」

「あ」

(「しまった」のスタンプ)


そんなやり取りを話の終わりまで繰り返した。環さんは私が思ったよりも熱心に読んでくれ、女学生が自殺した場面では「ショックなんですけど......」とコメントし、「ミキちゃんがかわいそうだけど、私が親なら同じことしないとは言い切れない」と言った。ミキちゃんの妹は障害児で、両親はそのことを世間からひた隠しにしようとしていた。しかし私はそのことについてわざと濁していて、笠奈は障害児や家のことについてはすべてミキちゃんの嘘だ、と主人公に教えた。笠奈とは主人公の恋愛の相手だった。弁当屋のそばに住んでいる。環さんは端から嘘をついているのは笠奈のほうだと思っていた。

「笠奈もかわいそうだけど、ちょっと被害者ぶってるところがある」

環さんの言葉で、私はこの小説が笠奈とミキちゃんがカードの表裏になっていて、どちらかの肩を持つと自然ともう片方が悪くなってしまうことに気づいた。


「笠奈は福園さんの元カノですか?」

「彼女じゃないです」

「振られちゃったんだ? かわいそうに」

「いや、フィクションなんで(笑)」


フィクションだからといって、モデルがいないとは限らなかったが、環さんはそれ以上突っ込んでこなかった。私は少し物足りなかったが、無理やり聞くのも野暮だった。環さんは主人公は私そのものだし、語りの口調も朝礼のときみんなの前で喋るのとまんま同じだと言った。翌朝の朝礼で私が意識したのは言うまでもない。

「最近外のトイレが部外者に使われている形跡がありました。稼働時以外は施錠しますので、閉まっていたら声をかけてください」

張り切ってしゃべったら、声が途中で裏返ってしまった。環さんはマスクをしているので、聞いているのかいないのかわからなかった。


その日の帰り道「別のも読んでみる?」と話を振ると「ぜひぜひ♪」と返ってきた。


由真からメールがあったのはその夜遅くなってからだった。


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