第23話 由実を励ます会

 土曜日、学校の最寄り駅に午後2時に集合してカラオケボックスに向かった。駅前のビルにある勝手の知った店。受付してくれた年長で髪をオールバックにした店長風の人は、顔なじみでも変に馴れ馴れしくして来なくて逆に好感が持てた。


「めっちゃ涼しい」

 部屋に入るなり、桂が襟をはためかせて、エアコンの風を胸元へ送り込んだ。夏本番の8月を迎え、外は午後の太陽が容赦なく照り付けていた。


「のど乾いてるでしょ。先に飲み物頼んじゃおうよ」

 すみれが注文をまとめてフロントに電話を掛けた。ドリンクが来てから乾杯して「由実を励ます会」がスタートする。


 駅前に集合した時から、主役であるはずの由実は明らかに元気がなかった。桂と比佐子も察している。この前は吹っ切ろうと気を張っていたけど、引き摺るのはしょうがない。だからこその励ます会。歌って騒いで発散して嫌なことは全部忘れてしまえばいい。石川に彼女ができたことを知ったすみれも気持ちは一緒だった。


「主役なんだから最初に歌えば?」

 様子を窺うように桂が差し出したタッチパネルを、由実は目を合わせずに、手のひらで拒んだ。部屋の温度が1℃下がる。


 そこへ店員がドアを開けてドリンクを運んで来た。受付の人とは違う時々見かけるギャルっぽい子。高校生ぐらいだけど、髪色が淳教女子では完全な校則違反。「失礼しまーす」とそっけなくテーブルの上に置いて帰って行った。背中を見届けて、すみれがグラスとストローを配る。それぞれ注文したドリンクを手にした。


「それじゃあ今日は由実を励ます会ってことで盛り上が行きましょう。乾杯!」

 空気を温めようと、明るい声を作ってすみれはグラスをつき出した。しかし由実は握ったグラスをテーブルに置いたまま。


「由実」と桂が乾杯を促す。それでもうつむいたまま。やがて目が潤み出した。その涙は、友達の優しさが琴線に触れたものではないのは、顔付きで分かった。


 やはりまだ崎元のことを引きずっているようだ。由実は明言していないが、多分崎元が初めての彼氏。突然振られたショックは想像より大きいのかもしれない。

 とうとう両手で顔を覆って泣き始めてしまった。自分から言い出したとはいえ、振られたばかりで励ます会は酷で、逆に現実を突きつけられてしまったか。


「あんな奴のこと忘れなって」

 桂が肩に手を添えた。由実は顔を覆ったまま首を振る。


「これから絶対もっといい人と出会えるから」


「違う」

 泣き声に交じって由実の声が漏れた。手の中で籠っていたが確かにそう聞えた。


 眉間にしわを寄せた桂が、すみれと比佐子を交互に見た。すみれは首をかしげる。


「違う?」

 肩に手を添えたまま、桂が顔を覗き込む。両手に包まれた顔が上下に振れた。


 泣いている理由は崎元に振られたせいではない。それならなぜ泣いているのか。3人は怪訝な顔で視線を交差させた。


「あんたまさか・・・」

 真っ先に思い当たった桂だったが、そこまで言って言葉を詰まらせた。口を半分開けたまま、また二人を見た。それですみれもハッと気づいて立ち上がり、テーブルを回って由実の横に座って背中に手を添えた。視線を送ったのは訊いていいかの確認。桂は目顔でOKした。


「妊娠してるの?」

 その問いに、由実は頭を垂れた。

 桂はソファーに背中を預けて天井を仰いだ。比佐子は由実に向けていた視線を床に落とす。すみれは卵をなでるようにそっと由実の背中をさすった。音の途絶えた部屋に、隣の部屋の楽しそうな歌声が聴こえてきた。遠足が中止になって恨めしく雨空を見上げる子供みたいにそれを聴いた。


「病院行ったの?」

 背中の収縮が落ち着いてきたところで桂が尋ねた。由実は首を振った。


「検査薬?」

 その問いに今度は頷いた。

 使用経験はなくても市販の妊娠検査薬が高感度なのは知識としてあった。何より、それを使用したのは身体の変化を自覚したからだ。


「相手は崎元だよね?」

 訊くまでもない質問、でも目的地に行くためには通過しなければならない中継地点。案の定首を縦に振った。


「崎元には話したの?」

 これも訊くまでもないはずが、今度も縦に振った。

「え、もう言ったの?」

 別れ話から5日しか経っていない。妊娠が発覚してすぐに報告したとは驚きだった。


「もしかしたらやり直してくれるかも知れないと思って」

 しゃくりあげながら由実が言った。


「そんなことあるわけないでしょ」

 桂が吐き捨てる。


「パニクっちゃったんだよね」と慌ててすみれがフォローする。


「どうしたらいいか分かんなくなって。いまから考えれば自分でもおかしいと思うけど」

 しゃくりあげながら由実は言った。


「それで崎元は何て?」


「呼び出されてお金渡された。これで処理してくれって」

 由実はバッグから封筒を出してテーブルの上に置いた。中に30万円が入っていた。


「手術費用に手切れ金と口止め料込みって感じだね。よくすぐに用意できたもんだね」


「つとむクン・・・、あの人、実家病院だから」


「病院なの?言われてみれば、金持ちで甘やかされて育った感じする。まさか産婦人科じゃないでしょうね」

 桂の言葉に、由実が体を強張らせたのが答えだった。

「当たりなの?呆れるわ。命を扱う場所でしょうに。それで、そこの病院紹介されたとか?」

 呆れついでに桂が問うた。

「実家長野だから。でも親の同意書がいらない病院教えてくれた」


「そういうことには詳しいのね。即行調べたのかも。教え子妊娠させたのバレたら100パークビだから、結構ビビってたんじゃないの?」


「すごい動揺してる感じだった」


「でしょうね。それで大急ぎでこの金用意したんでしょ。渡された時何か言われた?」


「手術費用だからねって」

 中絶しろという念押しだ。


「それだけ?」

 その問いかけに、由実は上目使いで桂を見た。親の機嫌を窺う子供の様な眼差しに含みを感じ「何言われたの?」と桂が質す。


「これっきりにしてくれって。お金を受け取ったんだからこれで終わりだからねって。これ以上何か言ってきたらこっちにも考えがあるからって」


「考えって何?学校に報告する気?そんなことしたら自分の立場がヤバくなるだけじゃん」

 桂はおもわず鼻で笑った。しかし由実はぐっと身体を硬直させた。意外な反応に、桂は何か思い当たったようにかっと目を開いた。

「あんたまさか、変な写真撮らせてたんじゃないでしょうね」


「嫌われたくなかったから・・・」


「バカじゃないの!」

 桂の怒声に、由実の身体が一層縮こまる。

「何考えてんの!ばら撒かれたりしたらどうすんのよ!」


「そんなことしたら崎元の方が捕まるんじゃないの?!」

 見かねたすみれが由実の背中越しに声を上げた。


「ばら撒いたら崎元が捕まるよ。リベンジポルノ防止法でね。ニュースとかで聞いたことあるでしょ?でもこの法律は親告罪なの。親告罪ってわかる?自分から被害を訴えないといけないの。そうしないと捜査してくれないの。あんたそんなことできるの?自分の写真がばら撒かれましたって警察行けるの?それに一度流れた画像は一生消えないの。あんたの画像が一生ネット上に流れ続ける。デジタルタトゥーって知らないの?よくそんなもん撮らせたね!」


「由実は被害者なんだよ!」

 堪らずすみれが大声を出した。


「ごめん」

 一つ息を吐いて謝る桂に、首を振る由実。


「でもアイツ、本当に腐ってるね。教師のくせに。生きてる価値ない。死んだ方がいいよ」


 怒りが収まらない桂は崎元にその矛先を向けた。桂の崎元に対する怒りには、少し気があった自分に対するものも含まれているのかもしれない。


「とりあえず1回落ち着こう」

 すみれがドリンクに手を伸ばすと、みんなもそれに倣った。由実もオレンジジュースを飲む。氷が溶けてすっかり薄くなっていた。


 この日の集まりが「由実を励ます会」であることは4人の頭の中から消え去っていた。


 ドアガラスに人影が写った。歌声のしない部屋を何気なく覗いたら中に人がいて驚いた、そんな様子ですぐに立ち去った。直後に一瞬タンバリンの音が漏れ聞こえた。


「それで、どうするの?」

 それが一番重要な問題だった。具体的に言わなくても何のことかは伝わる。テーブルの上では30万円の入った封筒の口がエアコンの風を浴びて揺れていた。


「産めるわけないじゃん」

 由実は固く絞った布巾から水滴が垂れる様に言った。

 本人が決めることだと分かっていてもまだ高校生、それも別れた男の子供を産むのはリスクが大きすぎる。


「それがいいと思うよ」

 すみれが言うと、由実はかすかに安堵した表情を見せた。


 夏休み中なのが不幸中の幸いだった。

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